王宮騎士に必要なのは平常心と無視力です
主人公は女性かつ異性愛者ですが、同性愛が普通に存在する世界です。割としっかりした男色表現や、性的に下品な表現があります。抵抗のある方はお控え下さい。
貴族とは奇人変人であるほど位階が高く、しからばすなわち彼等を統べる王族とは変態の極みである、という真理を学んだのは随分昔のことだ。変態と言っても種々あるが、まあようは王宮とは倒錯した色狂いが巣くう魔窟だと理解しておけば間違いない。この真理を早々と体得できたからこそ、今日まで私は我が身を清らかに保てたのである。
一体どれだけの同僚が前や後ろの大切なものを散らして職場から去って行ったことか。彼等のその後を聞くとどうやら大半が彼等の主観的には幸せな人生を送っているようだが、別に全然羨ましくないので追随するつもりは露ほどもない。
当然断言するが、私は変態ではない。いたって健全な嗜好の持ち主だ。ただ大変残念なことに、職場が変態どもの巣窟なのである。
物の本によれば、労働者の心身が過度な緊張を強いられる職場状況を指して「暗黒」と呼ぶらしい。なるほど一見王宮職とは、名誉と給与が共に安定した花形職ではある。しかし、人間の暗黒を覗き見るのにこれほど適した職場もまたない。うっかり深淵を覗き込む素振りでも見せれば、速攻心を犯され、体を喰われる。なんの比喩かはあえて語るまい。自分が男でも女でも関係はなく、相手が男でも女でもやはり関係ない。王宮とはまこと恐ろしき魔窟なのだ。
そして私の仕事とは、その魔窟と魔窟の住民達の警護役たる王宮騎士職である。
王宮騎士においては「王宮騎士として長く勤めている」ということはそれだけで昇進の条件を満たす。転属も退職もせずに王宮に長く勤めることが「できている」ことが立派なひとつの技能として見なされるからだ。まさに暗黒。それなのに世のうら若き青少年達にとっては、憧れの職業の頂点というのだから恐ろしい。夢と現実の乖離を感じる。
昇進すれば、当然給与は上がる。そして警護職の意味合いが強い王宮騎士にとって、昇進とはすなわち警護対象の位階が上がることをも意味している。なりたてペーペーの新人騎士などにやんごとなき方々の特別警護など任せられない。速攻、金銭的にも肉体的にも囲い込まれてお終いだ。職務上、どうしても対象の側に侍る時間が長い王宮騎士は、もっとも魔窟の毒に晒されやすい立場にある。
貴人を外敵から護り、我が身を内敵から護る。これが、王宮騎士の任務なのだ。
さて、自己紹介が遅れたが、私の名はフローリア・シャハナーと言う。わけあって、日頃はフロレンツ・シャハナーと名乗っていると言えば、私の性別に関する嘘と真については、説明の必要はないだろう。
さる筋の口利きによって、性別を偽ったまま王宮に身を置いてどれほどの月日が経っただろうか。騎士の従僕見習いから始まって、今や私も立派な王宮騎士のひとりである。幼い頃から磨き抜いてきた華麗な無視力と危機察知能力で、未だもって我が全ての貞操は、……唇以外無事だ。
これがどういうことかと言うと、つまり望まない昇進が止まらない。評価されているのは、回避する実力を伴った貞操観念の強さである。切なく思えばいいのか、情けなく思えばいいのかわからない。
どうせ辞めないだろうと足許を見られているのではなく、きっとお前ならば……! と縋るような信頼を寄せられているのがわかるのが、また辛い。辞令を手渡す上司の、じっと此方の目を見つめて言う「信じている」の一言が重すぎる。
そして先だってついに、私は王宮騎士としては最大の誉と言ってもいい立場を手に入れた。すなわち、王族の専属警護である。絶望しかない。
繰り返して言うが、貴族とは奇人変人であるほど位階が高く、しからばすなわち彼等を統べる王族とは変態の極みである、というのは絶対の真理だ。異論は認めない。
しかし、一点補足をするなら、彼等は決して無能な色狂いというわけではない。王族を初めとする貴族が真実無能ばかりなら、国はとうの昔に倒れていただろう。ところが実際は、文化も経済も発展した大国として我が国はその名を知られている。つまり我が国の運営者達は、ただただ精力が旺盛なのだ。全てにおいて精力的だから、国を発展させるのと同じ力を、自らの欲望にも注ぎ込んでいるだけのことなのだ。英雄色を好むと言えば、まさにその通り。
だからと言って、それに倣おうとはこれっぽっちも思わない。対外的には優秀な指導者達でも私にとっては魔窟の住人である。それも今私が側に侍るのは魔窟の王の一族である。またも繰り返して言うが、絶望しかない。
――扉が開いた。
コツは、目に入れたものを認識しながらも深く理解しないことである。不十分な説明だが、ほとんど感覚の世界なので言葉にするのは難しい。とにかく私は、部屋の中から出てきた人物を視界に納め、目を見交わし、浅く一礼して、その背中を見送った。若干皺の目立つ衣服、首筋に張り付くしっとりと汗ばんだ髪筋、やや血の気を多くした頬、此方と目が合った瞬間恥ずかしそうに揺らいだ水気に満ちた双眸。何れも、理解しなくてよいものだ。正気が削られる。
凄絶な色気を撒き散らしながら去って行く麗人を見送りながら、私はそっと息を吐いた。安堵の息である。そろそろ無駄なことをつらつら考え続けるにも、話題が途切れてきたところだったのだ。
なにせ部屋の前での立ち番というのは、無心で行うようなものではない。ひたすらに頭の中を無為な思考で埋め尽くすことによって、耳からの音声情報の認識度を下げることに執心すべき時間だ。警護役として失格と言うならば言うがいい。昼日中から精力有り余った貴族の閨の音声を最初から最後まであますところなく聞いたことがある者だけに、私を断罪することを許そう。
湯桶とタオル、着替えを持った侍女達がやってきたので、中に通す。その際、ご苦労様です、と小さな声をかけながら軽く微笑んでおくことは忘れない。侍女からの覚えはめでたい方がいい。何と言っても、王宮内をその数の多寡で分けるとするならば、最大派閥は侍女と呼ばれる彼女達になるのだから。これもまた、長年培ってきた身を守るための術なのだ。
やがて侍女達が部屋から出てくる。入れ代わりに名前を呼ばれたので入室した。
「ねえねえ、勃った?」
で、かけられた第一声がこれである。流石魔窟の王の一族。呼吸するように狂っている。
当然、否と返すと、大層不満げな顔をされた。その間も、此方の一点を凝視している。どことは言わない。言わないが、自分の視認によって、私の発言の真実を確認したようだった。まあ、あれですが。私、ないんですが。そもそもあれが。
「ちぇー、つーまらん」と肩上で揃えた癖毛をがしがしと掻く美丈夫こそ、今の私の主たる、現王の第三子ベルンハルト王子殿下だ。無論、王族の血に恥じぬ変態である。
「わざと、扉を全部閉めさせないでおいたのにぃ」
「然様かと存じましたので、勝手に閉めることは控えさせていただきました」
だよね! やっぱそうだったよね! とキレ気味の反応を返すわけにもいかない。整然と、平然と、業務に添った反応のみを返してこそ、上司の信頼に応えることになるはずだ。まあ、私は信頼に応えたいのではなく、貞操を守りたいだけだが、それが両立する無情な世界こそ此処である。
ジロジロと私を眺め回すベルンハルト殿下はベッドに腰かけた姿だ。真新しいシャツとズボンに着替えているのはいいが、上も下もボタン類の留めに不足があるのは何なのだ。それがだらしないと見えないのが恐ろしい。下品と評するのも少し抵抗を覚えるのは、退廃的な色気と、下卑た好色では質が違うとでもいうのだろうか。流石王族、まるであこがれない。
「フロー君てさぁ、不能なの?」
「……何度も申し上げておりますが、そのような事実はございません」
「じゃあ、なんで勃たたないの?」
勃つものがないからだよ!
心底不思議そうに首傾げんな、淫獣が!
そう言えたら、どれだけ幸せなことか。しかし言えない私としては、「目に入れたものを認識しながらも深く理解しない」技能をいかんなく発揮しながら、淡々と業務に励むしかない。
「私はフロー君見てると、普通に勃つんだがなあ」
「私相手に限ったことではないと存じます」
別に声も震えないし、動揺もしない。それが虚勢ではない自分が悲しいところである。張り続けた虚勢はもはや身に染みついており、そもそもこの程度の小打、この魔窟では挨拶程度でしかない。しかしベルンハルト殿下と会話をしていると、私はしばしばある誘惑に駆られる。私、実は女なんですよ! と叫びたくなる。
先程部屋から事後の色気をだだ漏らしながら出ていったのが麗しき男性であった通り、ベルンハルト第三王子殿下は男色家として有名である。私の知る限りでは、手を付けられた女性の例はないから、恐らく筋金入りだ。しかして私は対外的には男であるものの、真実は下にはあるべきものが無く、上にはあらぬべきものが有る。些細でも有る。ちっちゃくても有る。
かと言って真実の告白など、当然できようはずもない。貞操貞操と言っているが、そもそも長年王宮を偽り続けてきた事実は既に立派な犯罪だ。貞操の危機を脱する代わりに、牢屋にぶち込まれて命の危機に瀕するのでは笑うこともできない。
私にとって唯一の光は、ベルンハルト殿下が「無理強いは好まぬ」と明言していることである。是非とも男に二言なしを貫いて頂きたい。殿下のその言葉だけが、私に、辞令を出した上司への復讐を思いとどまらせている。
まあ、無理強いを好まぬ結果がこのあからさまな誘惑と秋波の嵐なわけであり、無理強いを好まぬ殿下が、その言葉を守りながらもしかし連戦無敗であることも、至極有名な話ではあるのだが。
「フロー君は全く難しいねぇ」
「わかりかねます。……それから、『君』付けはおやめ下さいと」
立ち上がる殿下が上着に腕を通すのを助けながら言うと、「えぇ~」と高い位置から笑い含みの声がする。
「フロー君、ちっちゃいからねえ。ついつい。それに、きちんと普段はフロレンツと呼んでいるだろう?」
「ふたりきりの時だけだよ」と囁く声の、語尾を無駄に掠れさせるのはやめて頂きたい。自分の声が相手にどう響くのかを熟知している声だ。流石王族、手管が汚い。しかしこちらも伊達に思春期を王宮で過ごしていない。その程度の秋波で靡くと思われたら大間違いである。
大体私が小さいのではなく、殿下がでかいのだ。内務職に従事しているというのに、その体格の良さはどうしたものなのか。確かに私も男性にすれば小柄な方ではあるが、こればかりはどうしようもない。
「ではフロレンツ、行こうか。遅い昼食にする。少しでも腹に何か入れておかなければ、会議など耐えられん」
ニコリと笑ってベルンハルト殿下が先に立つ。
……色を好めど、誰もが勤めを忘れないからこの国の繁栄はある。色欲さえ駆逐されれば素晴らしい人材は多いのだと、一介の騎士ですら思うのだ。それにさえ目を瞑れば、ベルンハルト殿下もまた、内務に優れた有能な王族なのである。
しかし如何せん、変態である。魔窟の王族である。
「あっ!」
廊下を歩いていた殿下が急に振り返った。とんでもないことに気がついた、という顔をしている。
「そっかぁ、フロレンツ! 君、もしかしてタチの方か!」
「…………」
繰り返して言うが、ここは廊下である。
「小柄だからてっきり思い込んでいたけれど、そっち? あぁ、いやいや、それなら心配することはないよ、大丈夫、私はタチもネコもどっちもとく――」
以下省略。
次の日上司に呼び出されて、「ベルンハルト殿下を抱いたのか!」と詰問されたので、「マイダン子爵令嬢に貴方の名前で恋文を出してもよろしいですか」と返答すると誠心誠意の籠もった謝罪を受けた。全く、騎士団副長ともあろう方が、くだらない噂に踊らされるとはとんでもないことである。
「ああ、お帰りー、フロレンツ。一体、何だったんだい?」
「殿下の不用意なご発言のせいで、不名誉な噂が広がっている件についてでした」
「ははっ、別に私は不名誉だなどとは思わないけれどね-」
ははっ、不名誉なのは私ですー。
とは勿論言わずに、椅子に座る殿下の傍らに立つ。眼前の訓練場では、王立騎士団の面々が鍛錬に励んでいた。
王宮騎士がいささか儀礼職的な側面が強いのに比べ、王立騎士団に所属する騎士達は有事の際には真っ先に戦場に出る実戦派集団である。王宮騎士を優美高妙と言い表すなら、王立騎士は質実ムキムキ――間違えた、質実剛健。その性質の違いから、両者の仲はあまり友好とは言えないが、……言えないが、先程から妙に刺々しい視線が私だけに突き刺さるのは、他に理由があるのに違いない。つまりは、不本意かつ不愉快な某噂が原因であろう。皆、こんな淫獣殿下の何がそんなにいいのだろうか? 技術か? 何のとは言わないが。
「ああ、いい、いいねぇ」
そして元凶たるベルンハルト殿下は、常にもましてご機嫌である。「殿下」と控えた声をかけると、「んん~」と向けられる視線がニヤニヤしている。
「昨日、わざと、あそこで仰いましたね?」
返答は「うふふ」という気持ち悪い笑い声だった。胸の中で、口にすれば首が物理的に飛ぶ暴言が渦巻く。
王宮騎士団と王立騎士団の不仲が有名なのと同じくらい、ベルンハルト第三王子殿下とナタナエル王立騎士団長が犬猿の仲であることは周知の事実だ。
そしてそのナタナエル団長は、今は遠目にもわかるほど米神に青黒い血管を浮かび上がらせて、訓練に集中できていない騎士達を怒鳴り散らしている。
王立騎士団への視察が今日であることは以前から決まっていた。ベルンハルト殿下とナタナエル団長の不仲は両者隠しもしていない。ナタナエルを激怒させる騎士達が集中できていないのは、昨日から王宮内を駆け巡る真新しいひとつの噂が原因である。とくれば、おのずと導き出される答えがある。
「ナタナエル殿はどうも表情が険しい上に、顔も赤いようだけど、熱中症だろうかねえ。心配だな~。ねぇ、どう思う? フロレンツ」
「わかりかねます」
「つれなーい」などと仰せになる殿下を私は華麗に無視した。王族に対する無視など不敬の極みと言われそうだが、しかしこれは実際のところ遠回りな敬意の表れであると私は主張したい。あえて口をつぐむことで、殿下に対する不敬表現が口から飛び出すことを防いでいるのだ。殿下に不敬な態度を取ってはならないという敬意故に! 嘘を吐いた。自分の首を物理的に守りたいという保身故にである。
つまらないことを考えている内に、気持ちも落ち着いてきた。
しかし盛り上がるばかりで落ち着かない人間が他にいた。
「ベルンハルト殿下!」
ナタナエル王立騎士団長である。
ベルンハルト殿下が「なぁにぃ?」と頬杖をついたまま間延びした声で答えるのは、もちろん一から十までわざとだろう。
「……ック。――本日は殿下のお越しに際し、我が団の騎士達も珍しく緊張し、殿下のことが気になって浮ついているようでございます」
睨まれているのは私ですがね。
「そこでいかがでしょうか、殿下。彼等に活を入れるようなお気持ちで、私と一手、手合わせを頂けましたなら、彼等の士気もまた上がりましょう」
「ああ、それは楽しそうだ!」
断れよ!
これは私の心の声であり、団長を除く王立騎士団の面々の心の声である。確信はある。なぜなら、殿下の即答に、彼等の半数が信じられないものを見た顔をし、残りの半数が諦めた顔をしたからだ。反応の差は在職期間の長さの差に違いない。
誰一人として、ナタナエルの建前を信じているものなどいない。我らが主はお互いに、相手に恥をかかせて悔しい思いをさせてやろうくらいのことしか考えていないはずだ。とかく仲が悪すぎる。それも割と低次元に仲が悪い。
「さて、それじゃあ私は少しあっちに行ってくるから、フロレンツは私の代わりに此処に座って見ておいでよ」
「さすがにそうは参りません。このままで待機しております」
此処、というのはベルンハルト殿下が座っている椅子のことだ。いつもの軽口と受け流すつもりでいたら、片腕を取られて思いっきり引っ張られた。
「もー、フロレンツは堅っ苦しいねえ! 遠慮なんてしなくていいのに!」
遠慮は生き残るための必須能力だ、などと内心で反駁する間もなく、体勢を崩した私は座り込んだ。未だ椅子に座ったままの、ベルンハルト殿下の足の上にだ。
音を立てる勢いで血の気が引いて慌てて立ち上がろうとするが、巧みに殿下に邪魔される。
「ちょ、殿下! お戯れが過ぎます! お離し下さい!」
あの王立騎士団の長という名の悪鬼の顔が見えていな……いわけがないですよね! もちろんそうですとも! 窺い見た殿下の顔は、私に対しては玩具で遊んでいるような無邪気さを、ナタナエルに対しては獲物に揺さぶりをかけるような油断ない揶揄の笑みを器用に示し分けていた。共通しているのは、どちらにしろ非常に楽しそうだという点だ。
楽しめないのも、笑えないのも私である。王族の手を振り払う不敬など、その膝の上に座る不敬に勝るわけがない。身を揺すってもがく私を捕らえる殿下は、殺意が湧くほど楽しそうである。
「あは。暴れないでよ。ほら、そんなに暴れるとぉ、 ……ぁ」
私の邪魔をしていた手がぴたりと止まる。その唐突さに思わず私も動きを止めて、殿下の顔を見上げると、待ち構えていたように満面で微笑まれた。
「勃っちゃった」
フローが柔らかいお尻で擦るから、と耳朶に声を吹き込む笑顔は、間違っても太陽が高い時間帯に見せていい顔ではなかった。流石王族、常識から解き放たれている。大体なぜ今に限って「君」を省いたのだ。
ナタナエル団長、どうぞ攻撃は下半身重視でよろしくお願いします。できれば不幸な事故を起こして下さい。
二人の手合わせが勝敗すらつかず時間切れを迎えるまでの間、私はずっと不運な事件が起きた際に、ナタナエルを弁護する言葉を考えて過ごした。当然立ったままでである。そしてもちろん、殿下のためのお茶を用意しに来ていた侍女二人がちらちらと互いに目配せしあうのには気がつかないふりをした。
なぜなら私は知っているのだ。あらゆる噂は彼女達の口によって広がるのだと言うことを。そして、その真偽を、時に貴族よりも早く正確に見抜くのもまた彼女達なのだということも。加えてなにより、彼女達が、私が殿下に堕ちるまでの時間を賭け事の対象にしていることを、私は、知っている。
恐らく、侍女達の手によって広められた私の不名誉な噂は、同じ彼女達の手によって早々に清められるに違いない。どことなく嬉しそうな顔をした侍女と、悔しそうな顔をした侍女が、一体さっきの私と殿下のやりとりのどこで、何を、どう判断したのかについては、考えるつもりはない。
ついでに言えば、筋肉装甲を纏ったナタナエルと打ち合えるベルンハルト殿下の肉体についても全く考えるつもりはない。内務職のはずなのに、その無駄にできあがった肉体は何なのですかとか、何のために鍛えているのですかとか、一切尋ねる予定はない。深淵がこちらを覗いている気配がするからだ。
無視こそ最大の防御。座右の銘である。
望ましい深傷を下半身に負わないまま戻ってきたベルンハルト殿下を、一礼と共に迎える。私の願いを、天は聞き入れてはくれなかったようだ。
「大きなお怪我もなく、よろしゅうございました」
「いやあ、勝利を見せてあげられなかったのは残念だけれど。あんまり熱っぽくフロレンツが私の大事なところばかり見つめてくるから、途中でまた勃っちゃいそうで困ったよ」
汗に濡れた髪を後ろに掻き流しながら、殿下は笑った。繰り返すが、無視こそ最大の防御である。私は真っ赤な顔で棒立ちになっていた二人の侍女の前で軽く手を叩き茶器の片付けを頼んだ後、着替えを求める殿下と共に部屋に戻った。
暑いからと胸襟を大きく開き、汗ばんだ髪を掻き上げながら気怠げに歩くベルンハルト殿下は完全なる凶器だったと言わざるを得ない。もっとわかりやすく言えば、歩く猥褻物だった。しかし、平常心と無視力こそ王宮騎士の美徳である。数多の視線をくぐり抜け、ついに私は殿下を部屋まで連れて帰った。
「間もなく、侍女が参ります。私は部屋の前に立っておりますので」
猥褻物を閉じ込めて、私はようやく息を吐いた。大切なのは平常心と無視力だ。
扉が開いた。
「フロー君が、脱がせて着せてくれていいんだよ? やり方がわからないなら、私がフロー君の服で教えてあげ」
扉を閉めた。
大切なのは平常心と無視力である。
くそっ、去勢されろ!
読了感謝。
微妙に下品で恐縮です。
しかし楽しかったので、あまり反省はしていない。