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プロローグ

この作品には前作「マイルストーン サ・ガ」のキャラクターが登場したり、用語が使用されたりしていますが、原則単品でも楽しめるように作ってあります。もちろん、前作を読んでいるとより一層楽しめると思います。


 強く暖かい陽光に守られ、その背を精一杯伸ばす緑が見渡す限りの大地を覆っている。そこに敷き詰められた赤、青、黄、ピンクなどの花の絨毯。(さや)かに光る一陣の風があるいは押し合い、あるいは支え合う草花の合間を吹き抜けて行った。

 青空を目指す風に乗って遥かに響き渡るは草笛の音。無邪気に草を食む数百頭の羊と、戯れにその背に乗る子供たちを眺めながら、一人の少女が故郷の調べを奏でていた。草原の真っただ中、赤いフェルトの絨毯に横座りで腰を下ろす彼女の背後には十数張の穹廬(ゲル)が立ち並んでいる。どのゲルの傍にも十頭余の馬がいななき、数えきれないほどの羊と山羊が所狭しとひしめいている。

 羊毛で織った黄色い旗袍(チーパオ)でその体を包む少女。幼さの残る黒の巻き毛はその肩の辺りで切り揃えられている。彼女が一片(ひとひら)の葉で生み出す優しい旋律が繚乱とした大地を更に彩ってゆく。そう、全てが歌い輝く草原の夏がやってきたのだ。

 ふと、甲高い音が彼女の背に突き刺さる。唇から葉を離して彼女は振り向き、少し肩を竦めると言った。

「またですか、姫様」

 ゲルの並ぶ方から地を揺らす音が響いてきた。少女は葉を風に任せると、立ち上がって音のする方向へ視線を向けた。まもなく彼女の視界に一頭の馬が飛び込んで来る。それに跨るのは鐙にしっかと足を掛けた見目麗しい金髪の娘。水色の旗袍の上から黄金のバックルが付いた藍色の帯を締める彼女は、一直線に少女のもとへ駆けて行き、その目の前で馬を(とど)めると口を開いた。

「サーニャ、一緒に来て頂戴」

「だめですよ、姫様。昨日も行ったじゃないですか。今日は止めた方がいいと思いますよ」

「あなたが来てくれれば大丈夫でしょう?」

「あたしが居ればいいというわけじゃ」

 サーニャと呼ばれた少女は歯切れの悪い物言いで抵抗するが、手綱を取る馬上の娘はまるでそれを意に介さない様子。目を伏せたサーニャに彼女がもう一声を掛けようとした、その時、大音声が周囲の空気を震わせた。

「ヴィーカ! また勝手にどこかへ行くつもりか。もうお前も十四だ。気ままに遠駆けなぞ、メルキの娘がすることじゃない!」

 声の主は一人の偉丈夫。銀象嵌の施された尖がり帽子を頭に乗せ、牛革製のブーツで地を踏みしめる彼の右手には短弓が握られていた。振り向いてその姿を認めるや否や、ヴィーカはその絹のように白い指を口元に寄せて鋭く指笛を吹く。そしてそれに導かれて一頭の馬が彼女のもとへ走り寄る。その身に着けられた鞍や鐙は使い古されており、ヴィーカの馬のそれよりは一段劣っているように見えた。

「行きましょ、サーニャ」

 ため息を隠しきれないサーニャにヴィーカは笑顔を向けた。彼女が今呼んだのはサーニャの馬だった。

「分かりました」

 遂にサーニャは観念した。苦笑交じりに返答すると、本来の主人よりもヴィーカの方に懐いている愛馬の鼻を撫でてやる。

「まったく、お前のせいなんだぞ?」

 そんな主人の気持ちを知ってか知らずか、彼女の馬はその掌を舐めてきた。サーニャは足下の絨毯を丁寧に丸めて鞍に乗せた後、鐙に足を掛け騎乗する。彼女の準備が整ったのを確認したヴィーカはやっと声を上げて馬を走らせ、サーニャは慌ててその背に着いて行く。

「ヴィーカ、おい、待つんだ、ヴィーカ! サーニャ、ヴィーカを止めるんだ!」

「日暮れまでには戻るわ。心配しないで頂戴」

「申し訳ありません、ニコライ様」

 追って来た声にサーニャは振り向いて謝った。まるで謝る気のないヴィーカの分と、義務を果たそうとしない自分の分のふたつを合わせて。しかし、そんな罪悪感もきっと馬を馳せている間に薄れてゆくだろう。

「まったく、仕様のないやつだ。けど」

 走り去る二人の背を見送りながらニコライは呟いた。程なくして彼女らの姿は指先ほどに小さくなり、彼は踵を返してゲルの中へと入って行った。乾いた柳と牛の腱で組まれ、フェルトで囲まれたその空間。戸を開けてそこへ入った彼を二つの声が迎え出た。

「本当に今のままでいいと思っているのですか?」

「黒い鉄をどうして曲げられようか」

 そんな言葉を聞きながらニコライは床に腰を下ろし、自身の傍らに弓と帽子を置いた。ふう、と一息ついた彼の右頬には、一筋の傷跡が浮かんでいた。


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