新しい世界1
レヴィアナの婚礼の話は、予定通り、2日後に公表され、輿入れまでの予定はつつがなく進行された。
分刻みのスケジュールで、感傷に浸る暇などなく、忙殺されていた。
そうしていよいよ迎えた出発当日の朝。
最後の挨拶の為、レヴィアナは謁見の間を訪れた。
玉座ではシュヴァル王と、フィアナ妃が彼女を待っていた。
「本日発ちます。ご挨拶を申し上げに参りました。」
薄いオレンジのドレスの裾を持ち上げて、非の打ち所の無い優雅な礼をする。
「国王陛下、並びに王妃殿下には多大なるご恩を賜りました事、ひとえに御礼申し上げます。」
王室の作法に乗っ取り、形式ばった挨拶になる事が歯痒かったが、公式の場で、宰相や側近たちも控えているので仕方がない。
「レヴィアナ王女にあっては、これまでの公務を通しての尽力、大義である。これからは、アールヴヘイムと我が国の架け橋となって欲しい。」
「末永く健やかでありますよう、祈っています。」
シュヴァルに続いて、フィアナが口上を述べる。
ここまでは、台本通りだった。
「宰相、しばし人払いをしてくれ。」
「陛下!儀式の途中でございます。」
「出発は昼過ぎだろう。少しで良い。“家族として”別れを告げたいのだ。」
シュヴァルは、側に控える宰相ジラルドの茶褐色の瞳をまっすぐ見据えた。
台本通りに、つつがなく儀式を終わらせたいジラルドだったが、しばしの沈黙の後、降参したように溜息を吐いた。
「仰せの通りに」
ジラルドの言葉を号令に、シュヴァルとフィアナ、レヴィアナを残して人々は謁見の間を後にした。
「支度は整ったのか?」
静かになった空間に、シュヴァルの声が響く。先程とは違って、優しい兄の声だ。
「はい。おかげ様で全て整いました」
「アールヴヘイムは、太陽の光が届かない国だ。毛皮はたくさん持っただろうな?」
シュヴァルの問いに、レヴィアナは吹き出しそうになりながら頷く。
兄から贈られた、山ほどもある防寒用の毛皮のせいで、荷造りに手間取ったエルザがぶつぶつ文句を言っていたのを思い出したからである。
「また貴方様はその様に侍女達の負担を増やすような事をなさいましたの?」
呆れたように、言わなくて良い事をフィアナが言うので、レヴィアナは堪え切れずにくすくす笑った。
「わ、私はレヴィが寒さの余りに体を壊さないか心配なんだ!」
「あちらは魔界ですのよ。魔法で城内を暖かくする事など造作もないでしょう。城内を出ない限り、お風邪を召す事はないでしょうに」
妻に言い負かされて言葉が出ないシュヴァルを見て、レヴィアナはまた笑う。
少し拗ねたような顔をして、シュヴァルは話題を変えた。
「足りぬ物は無いか?」
「十分過ぎる程頂きましたわ。お義姉さまからもたくさんご用意頂きまして、ありがとうございます」
「いいえ。まだ足りないくらいですわ。もう少し時間があれば、もっと華やかにして差し上げられたのだけれど」
残念そうな王妃の言葉に、レヴィアナは苦笑した。
王族の輿入れの際、花嫁が持参する所謂“花嫁道具”は、多ければ多い程、華やかさと権力を示すとされている。
ベルナドッテの王女ともなれば、それ相応の用意をすべきだと、フィアナは母親に代わって色々と手配してくれた。
だが、婚姻決定から出発までの期間が短かったせいで、満足の行く様な準備が出来なかった、とフィアナは嘆いているのである。
「不便があればご遠慮なく報せを下さいませね。すぐにお送りしますわ」
「ありがとうございます、お義姉さま」
「レヴィ、お前に渡すものがあるんだ」
ふと真剣な声音になった兄を、レヴィアナはやや緊張した面持ちで見つめる。
シュヴァルが胸元から取り出したのは、上質そうな赤の布地で覆われた小さな箱だった。
やや色褪せている事が、年代を感じさせる。
「父上から、お前が嫁入りをするときに渡すよう、預かっていたものだ」
「お父様から?」
「開けてみなさい」
シュヴァルから箱を受け取り、そっと開くと、そこには指輪が1つ、収められていた。
透き通る様な美しい石の飾りがついた指輪。その石の色は、レヴィアナの瞳と同じ紫だ。
「これは……?」
「父上がお前の母君に贈った指輪だそうだよ。母君が亡くなる前に、父上に預けたようだ」
母が亡くなったのは、5歳になる前だった。
母の形見は一切無いと聞かされていた。父が全て処分したと。
それは父から母に贈られた、“愛情の証”。
早くに母と死別し、父の顔もおぼろげな記憶しかない。
そんな両親からもたされた思いがけない贈り物が、純粋に嬉しかった。
手元で輝く指輪を、しばし感慨深く見つめていたレヴィアナは、兄に礼を言うと大切そうにその小箱を胸に抱いた。
「和平を結ぶ架け橋になれるよう、誠心誠意努めます」
「お前1人が気負う事はないんだ。とにかく、健やかである事が1番だからな」
シュヴァルの言葉に、フィアナも大きく頷く。
「私には、人間と魔族の間に種族の違い以外の差があるとは思えないのです。だから、戦争を止めて双方が共に生きる道は必ずあると信じています。
私が、そのお役に立てるならという気持ちでいます」
だから、とレヴィアナは言葉を続ける。
「どうか、私を嫁がせる事に負い目をお感じにならないで下さいね、お兄様」
ふわりと優しく微笑むレヴィアナは、まるで聖女の様に神々しい。守らなければと思っていた存在だったけれど、いつの間にかこんなにも頼もしく誇り高い王女へと成長していたなんて。
シュヴァルは嬉しく思うと共に、一抹の寂しさも感じた。
きっと父王が健在ならば、同じ気持ちを感じたのだろうとシュヴァルは思った。
こうして、家族としての挨拶の時間は静かに終了した。
王女を載せた馬車は、予定通りその日の午後にベルナドッテ城を出発した。
王女の輿入れの列は、馬車十数台に及び、行き交う人の目を引いた。
供の者や護衛を含めて50人程が帯同していたが、彼等は国境までしか同行せず、その後はアールヴヘイムの使者達がその列を引き受ける事になっているらしい。
「緊張しておいでですか?」
馬車の窓の外を流れる景色を眺めていたレヴィアナは、エルザの心配そうな声に、苦笑に似た笑顔を浮かべる。
「多少はね。でも、エルザが一緒だから、心強いわ」
「光栄ですわ。レヴィアナ様の御身は私が必ずお守り致しますから、ご安心くださいね」
「なんだか近衛騎士みたい」
「あら、もとよりそのくらいの気概でお仕えしてますのに」
おどけた様な口調に、軽く吹き出してくすくす笑うレヴィアナ。
張り詰めていたものが、少し和らいだ。
道中は特に異常もなく、馬車は予定通り、夕刻前に国境付近にさしかかった。
ゆっくりとスピードを落として馬車が止まる。
しばらくすると、コンコンと馬車の扉を叩く音がした。
「殿下。近衛隊長のウィルソンでございます」
「着きましたか?」
「はい。先方の指定通り、我等は列の後方に下がらせて頂きます」
扉越しの声は、王女であるレヴィアナを置いたまま、列を離れざるを得ないことに対しての、悔しさが滲んでいた。
彼と直接言葉を交わす機会はほとんど無かったが、職務に対して真面目な男なのだろう。
「これより先は、ベルナドッテ側の進行が許されません。最後までお供出来ない事、どうかお許しを」
「十分です。よくぞ道中無事に先導してくれました。礼を言います、ウィルソン隊長」
「勿体なきお言葉にて」
「帰路の無事を祈っています」
「殿下もどうかご息災で」
「ありがとう」
馬車の扉越しに、隊長が深々と礼をする気配が伝わり、その後ゆっくりと足音が遠ざかっていった。
それからどれほど時が経ったのか、陽も沈みかけて辺りが薄闇に広がる頃。
馬車の外に人の気配が現れた。
無意識に体が強ばる。
それに気が付いたのか、隣に座るエルザが、膝に乗せた手をそっと握ってくれた。
「ベルナドッテ第5王女、レヴィアナ・シエナ・パーシバル殿下でいらっしゃいますか」
外から掛けられた声は、人間のものと何ら変わりなく、その声音は思いがけなく紳士的だ。
「はい」
「私は、ジーマと申します。これより先は、私が馬車を引かせて頂き、ご案内致します」
「よろしく頼みます」
「城に入るまでは、お顔を拝見する事を禁じられておりまして。この様な形でのご挨拶になるご無礼をお許しください」
慇懃な口調からは、レヴィアナを乱暴に扱おうとする様子は微塵も感じられず、少しだけ安心する。
同時に、早速文化の違いを発見した。
ベルナドッテでは、通常下位の者が王族に謁見する事はほとんど許されない。
直接言葉を交わす事も基本的にはなく、顔を合わせて話す事があるのは、側仕えの人間か側近くらいの者である。
しかし、ジーマという使者の話によると、どうやらアールヴヘイムでは、顔を合わせて言葉を交わさない事の方が非礼とされるようだ。
「王女殿下?」
黙って考え込んでいたレヴィアナに、ジーマが怪訝そうな声音で呼び掛けた。
「失礼しました。こちらこそ、お出迎え頂きましてありがとうございます」
「長旅でお疲れではありませんか?」
「いいえ、問題ありません」
「もうしばしご辛抱ください」
「ええ、お願いします」
では、と一礼する気配がして、ジーマは扉から離れていった。
それから程なくして、馬車は再び動き始めた。
「紳士的な方だったわね」
「はい。ですが油断は禁物です。相手は魔族ですもの」
「…そうね」
緊張の表情を崩さないエルザの言葉に、首肯しながらレヴィアナは思う。
魔族だから油断ならない、という言葉は差別的な印象が強い。
敵方だから油断ならない、という言い方とは意味が異なる。
エルザがいくらレヴィアナの理解者だとしても、彼女の中にも魔族に対する差別が確かに存在している。それが、無意識なものだったとしても。
けれど、それを今諫めるつもりはなかった。
魔族と人間が、少なくとも敵対関係である限り、その差別意識を無くす事は出来ないであろうから。
どれほど時間が経ったのか、窓のはすでに夜の帳が下りていて、外の様子は判然としない。
ここが人間界なのか、魔界なのかも。
そんな事を考えていると、馬車がゆっくりと停止し、鎖を巻き上げるような音が聞こえた後、馬車は再び動き始めた。
やがて再び馬車は止まり、誰かが扉を叩いた。
「王女殿下。ジーマです。お疲れ様でした。城に到着致しました」
「ありがとう」
「扉を開けますが、よろしいでしょうか?」
「えぇ、お願いします」
僅かに緊張の面持ちで扉が開くのを待った。
扉が開くと、1人の青年が跪いて頭を下げていた。
その礼は、ベルナドッテでも常用される、最敬礼の作法である。
アールヴヘイムでもこの礼が使われているのか、ベルナドッテ風に迎えてくれたのかは、定かではないが、なんとなく少し安心する。
「ようこそアールヴヘイムへお越し下さいました。城内の者一同を代表し、慶んでお迎え致します」
丁寧な口上を述べた後、ゆっくりと青年は顔を上げた。
肌の色はレヴィアナと変わらないか、少し色白に見える。
顔立ちは端正で、歳も若い。エルザと同じくらいに見える。
金色の瞳が、人懐こく細められている。
外見的な人間と魔族の違いをあげるとしたら、耳の形だ。
レヴィアナ達のそれよりも、僅かばかり尖っている。
僅かな差だが、はっきりと分かるくらいの差はある。
おぼろげな記憶の中の母の姿も、その特徴だけははっきりと刻まれていた。
「魔族をご覧になるのは初めてでいらっしゃいますか?」
「し、失礼しました。不躾でしたね」
笑いを含んだ声音に、まじまじと見つめてしまっていた己が恥ずかしくなって、慌てて目を逸らす。
「いえ、貴女様のようなお美しい方に見つめられて、気分の悪くなる男はおりません」
にっこりと笑ってさらりと伊達男の様な台詞を言ってのけるジーマに、レヴィアナはやや面食らう。
レヴィアナの後方に控えるエルザは、なんだか物言いたそうな顔をしている。
「そちらは侍女の方ですか?」
「ええ、彼女はエルザと言います」
視線で促すように見つめると、エルザは表情を消してスカートの裾を持って礼をする。
「エルザ・ヘイデンと申します。以後お見知りおきを」
「これはどうもご丁寧に。それにしても殿下のみならず、侍女の方までお美しいとは」
「お上手でいらっしゃいますのね」
口角を上げて微笑みの表情で言うエルザは、完全に“社交辞令モード”に入っている。
それが分かるのは、長年一緒にいる自分だけであろう、とレヴィアナは内心苦笑する。
「率直な感想ですよ・・・と長々と失礼しました。城内へご案内致します」
立ち話が長引いた事を詫び、ジーマが歩き始める。
荷物を乗せた馬車の方を見遣ると、使用人の様な身なりの者たちがいそいそと荷解きを始めていた。
「お荷物は、すべて殿下のお部屋に運ばせて頂きますので、ご安心ください」
ジーマの言葉に小さく頷いて、レヴィアナとエルザは彼の後を追った。