祀
ここからは、祀目線のお話です。
ご容赦あれ<m(__)m>
加良に、あの手紙は無事届くだろうか。
京と決めたメッセージは、今の2人の思い全てだった。
自分があの時“助けて”と言わなければ、加良が巻き込まれる事はなかったはずだ。そんな事はわかっていたはずだったのに、何かに縋りたくて言葉を発した。
その結果が、祀と京は退学。加良は1週間の謹慎となったのだ。
責任感の強い加良だから、きっと2人が退学になったのは自分のせいと、守れなかったせいと思ってしまう。そうして自分も辞めてやる、と思うはずだ。
なんとしてもそれは避けたかった。
親友の加良を自分たちと同じ辛い道に誘うのは避けたかったのだ。
幸い、加良を守ってくれると約束してくれた人物もいる。
なんとその人は、連絡手段を絶たれた祀と京のパイプにもなってくれる、という。
藁にも縋る思いで其れを受け入れ、今祀は東京の外れにある都立高校に通っている。
緑豊かなその高校は、通っている生徒も心豊からしく、有名私立から急遽転入してきた祀にも優しく接してくれた。
幸いにも都立なのに寮という物が存在していて、祀はそこから通っている。汚い物を見るかのような両親の視線からも逃れる事が出来るから…。
教室の窓から見える緑が風に揺れ、ささくれだってしまう心も凪いで行くようだった。
「絢世くん、お手紙が来ていますよ」
学校から寮に戻って来た祀に寮母が声を掛ける。その手紙が誰からなのか察しが付いていた祀は、受け取った手紙を大切そうに胸に抱えた。
「毎月来るわね、手紙。差出人はいつも決まっている子よね?絢世くんの彼女かしら」
ふふ、と笑いを含んだ寮母の言葉に曖昧に頷き、祀は急いで自室に戻った。
鞄を机に置き、備え付けられているベッドに腰を降ろすと、綺麗な水色の封筒を見詰める。封筒をひっくり返すと、何時もの名前が『川崎 雛奈』と記されていた。
そう。
加良の友人だ。
凛とした姿を思い浮べ、感謝の気持ちを胸にしながら水色の封筒を切った。
その中から、小さなメッセージカードと一回り小さな封筒が出てくる。まずメッセージカードに目を馳せた。
『絢世くん、お元気ですか?
加良は相変わらず人を遠ざけ、怖い顔を崩そうとしていません。
早く、少しでも早く傷が癒え、受け入れてくれるといいんだけれど…。
あなたとの約束は絶対に守ってみせるから、だから心配しないでね。
いつものように、例の物同封しておきます。 雛奈 』
加良の近況に涙が浮んだ。
あの小さな、けれど芯の強い加良が、どれだけ心細い想いをしているのか検討もつかないけれど、今は雛奈に任せるしかないと解っているから祀は浮んだ涙を拭い、同封されていた封筒に手を伸ばした。
綺麗な藤色の封筒の封を切る。
自分の手が少し震えているのが解って、綺麗な顔を苦笑に歪めた。
慎重に便箋を引き抜き、綴ってある文字を目で追って行く。男らしい文字は、愛しい人の近況を伝えてくれる。
何度も読み返し、最後に綴ってある『京』と言う文字を愛おしいそうに撫でた。
「京…」
自然と口から零れた名前に、閉じた瞼の裏でその姿を探す。浮んだ姿は変わらず男らしく、そうして祀を優しく呼ぶ。止まったはずの涙が溢れ、祀は小さく嗚咽を零したのだった。
どの位そうしていたか。
ふと涙を拭った祀は徐に動き出す。机に備え付けられた引き出しを開けるとシルバーの箱が目に入った。その箱を開けるとこれから行う作業に必要不可欠な物が入っている。
祀は慎重にそれらを出した。
京は今、東京にはいない。
少し遠くの県で働いているのだ。
祀は手紙を書く為に机に向かい、開いた便箋に文字を綴った。
新しい学校の事、親の事、そうして加良の事。色々な事を書きそうして想いを伝える。
本当は逢いたい、と書きたいけれど許されない事だから文字には出来ない。ただ好きだと、愛していると綴り封をした。そうしてメッセージカードに今度は雛奈に宛てて文字を綴る。
短い文面を読み直し、少し大きめな封筒に入れ封をした。
この学校に来てから毎月1度行われる作業。
唯一京と繋がっていられるこの作業が、今の祀には何よりの心の支えだった。
初夏が深まり、暑い夏を越えあっと言う間に木々の葉が色付き始めた10月、この学校は修学旅行を迎える。
行き先は沖縄。
その事実を知った時、祀は驚愕した。
沖縄。
それは、あの精悍な男らしい、愛おしい人が居る場所だった。
逸る気持ちを抑えながら、雛奈への手紙に伝えたのは1学期が終了する時だった。
翌月来た手紙には、逸る気持ちが丸出しの男らしい文面で『逢いたい』と記されている。
祀は勿論逢おうと伝えた。
2学期が始まり旅行の日程が徐々に決められていく。
緩い校風なこの学校は、旅行に関しても自由行動が多く祀には好都合だ。
決められた時間にホテルに戻ってくれば、1人で出かけても良いと言う。前の学園では考えられない事に、思わず苦笑を零した程だ。
宿泊するホテルは那覇市内になると言う。
全てが決まった時、祀は嬉しさの余り叫びたい思いだった。
そうして迎えた修学旅行。
沖縄の地の足を踏み入れると、10月だというのに温かい気候に頬が緩む。おまけに京に逢えるのだ。期待に膨らんだ胸を押さえて、団体行動に向った。
初日は大型バスで姫ゆりの塔や満座毛などの地を回る。クラスメートと記念撮影などを行い夕食を頂くと、やっと1人の時間が持てた。
あの事件以来携帯電話を持たせてもらえなかった祀は、テレフォンカードと紙切れを手にホテルの公衆電話に向う。ゆっくりと紙を見ながらボタンを押し、恐る恐る受話器を握った。
数回のコールで通話が繋がる。受話器の向こうから、凛とした女性の声が聞こえた。
『はい』
雛奈の声だ。
「もしもし、絢世です」
一呼吸置き伝えると、雛奈は緊張を解いたように声を和らげる。
一通り挨拶やら近況等を伝えると、雛奈は改まった声を出した。
『いい?良く聞いてね』
前置きに少なからず緊張を強める。
『時間は11時で大丈夫なのよね?』
確認の言葉に返事をすると、京との待ち合わせであるビーチの名前が告げられた。
『大丈夫だと思うけれど…2人とも慎重に、気付かれないようにね』
雛奈の忠告に素直に頷き電話を切った。
明日の午後には京に逢える。その事を思うと自然と頬が緩んだ。
「では、今日は自由行動です。皆さん地元の方とトラブルにならないよう注意して行動すて下さい。夕食は午後6時30分からです。それまでにはホテルに戻るように!では解散!!」
担任の声に、俄かに周りが騒がしくなる。そうして“解散”の言葉に騒がしさは喧騒に代わった。クラスメートは仲の良い者同士が話し合いを始める。祀はその喧騒を利用し、そっとその場を後にした。
腕時計を見時間を確認する。時計は10時を指していた。
京との待ち合わせであるビーチの場所を地図で確認し、タクシーを捕まえようとした時びくりと身体が硬直する。
「おい!絢世!!」
突然声が掛かったのだ。冷や汗が背中を伝い、鳥肌が浮ぶ。
「絢世?」
もう1度呼びかけられ、祀は仕方なく振り返った。
其処にはクラスメートであり、学級委員長である 葉山 操が立っていた。こちらの反応を訝しげに見ながら近づいて来る。ここでばれたら拙いのに、逃げなければいけないのに1歩が踏み出せない。震える手をギュッと握り祀は彼の顔を見た。
「…大丈夫か?今にも死んでしまいそうな顔してるけど」
目の前に立った長身の操に絶望を覚えた祀は、持っていた地図を落としてしまいそうして泣き崩れる。操の顔が驚きに変わったのを目の端で捕らえたけれど、これでもう京に逢えないと思った祀は、そのまま顔を手で覆った。
どの位の時間が経ったのか。頭上から操の声が降ってくる。
「…ここに行こうと思ったのか?」
その言葉に顔を上げると、落としてしまった地図を操が見ている所だった。その視線が地図から離れ祀に向けられる。応える事が出来なかった祀は、涙をそのままに操の顔を眺めた。操の男らしい顔が何かを思案した後、再度祀を見る。そうしてその男らしい顔を笑顔に変えたのだった。
一歩踏み出し道路の端に立つと、手を上げる。通行量の多い国道では容易にタクシーは捕まり、黄色い車体が金属音を響かせながら祀と操の前で止まった。
操は、ぽかん、としている祀の腕を掴むと強引に立たせる。そうしてタクシーの中に押し込んだ。そのまま自分もタクシーに乗り込むと、運転手にビーチの名前を告げた。
タクシーはゆっくりと発車する。祀は恐る恐る操に声を掛けた。
「…葉山くん…?」
困惑気な祀の声に、葉山は笑顔を向ける。
「泣き止んだか?」
言われて気まずい物を感じた祀は視線を自分の膝に落とした。そんな祀の頭に大きな手が乗せられる。
「基本単独行動は拙い。ばれたら何言われるかわからないしな。だけど、俺も行きたい場所があるんだ。俺と絢世2人だったら問題は無い。だから一緒に行動していた事にしよう。な?」
そんな言葉に祀は驚いた。急いで顔を上げると操の真剣な眼差しが出迎える。
「ただし、ちゃんと説明しろ。それが条件だ。…大丈夫、俺も説明するから」
本当にこの人を信用して良いのか解らない。解らないけれど、今の祀には信用するしかなかった。緊張でからからに乾いた喉を持っていた飲み物で潤し、そうして祀は以前の学園で起きた事を操に説明したのだった。
「あぁ、絢世!これ」
無事にビーチの入り口に着くと降りるように言われた祀は、足を踏み出す。そうしてお金を渡そうと財布を出していると操の男らしい声が聞こえた。急いで顔を上げると何やらカードらしき物を渡される。
「俺の携帯番号。用事が終わったら連絡くれ。帰る時も一緒じゃないと拙いからな。それじゃ…上手くやれよ?」
にやりと笑った操に気圧され、お金を渡す前に扉が閉じられてしまった。そのままタクシーは発進してしまう。
颯爽と去った操の姿にお礼を込めて一礼した祀の耳に、懐かしい声が聞こえた。
「…祀…」
夢にまで見た愛おしい声。
夢ではない、と思うけれど振り返ったら消えてしまいそうで怖い。
あの日を最後に逢う事も許されなかった2人が、今、再会を果たそうとしていた。
波の音が、2人を包んだ静寂を震わせる。
「…祀?」
何時までも振り返らない祀に業を煮やしたのか、少し強い力で細い肩に触れた京を衝撃が襲った。
浮かんだ涙を隠すように京の胸に顔を埋める。震える身体を京の大きな腕が優しく包んだ。
「祀…逢いたかった…」
包んだ腕に力を込め、そっと囁く京の声も涙に濡れていて、どれ程お互いを恋焦がれていたのかを物語っている。
祀は震える腕を動かし、幻ではない京の背に腕を回しその体温を堪能する。顔を上げると日本人離れした端正な顔にある一重の瞳が、祀に向けて優しい眼差しを落としていた。
どちらからともなく顔を近づける。そうして、久方ぶりの口付けを交わした。
ゆっくりと陽が傾いて行く。
波の音を聞きながら、京の体温を感じるとそれだけでうっとりとする。
お互いに、逢えなかった分色々と語った。
勿論加良の事も…。
「加良ちゃん…やっぱりまだ駄目みたい。僕達の想い、逆に彼女を苦しめてるのかな?」
ずっと心苦しかった事をぽつりと呟いてみる。京の顔は一瞬苦渋に満ちたけれど、直ぐに笑顔に変わった。
「…彼女は強い。あの状況でも俺達を守ろうとしてくれただろ?あのまま彼女が退学していたら、彼女まで悪者になってたと思う。それは違うよ。…今は、加良ちゃんの強さを信じるしかない」
それでも曇る祀の表情に、京は力強い笑顔を向ける。
「大丈夫!加良ちゃんは1人じゃない。影からでも支えてくれる川崎さんがいるんだから。だから俺達がそんな顔してたら失礼だよ。今は信じて前を向いて行こう…」
そうなのだ。
今は信じるしかない。
川崎の力を信じて、前を向いて行く。
祀は1つ息を吐き、1人の時間考えていた“今後”の事について口を開いた。
「僕、大学に行くよ。そうして、誰にも文句を言わせない程になる。だから、大学を卒業したら…“此処”に来ても良い…?」
決意とは裏腹に、最後は小さい声になってしまう。この決意は、つまりそれまで京には逢わない、という事も含まれているから…。
ぎゅっと瞑った瞳から熱い物が溢れそうになる。それを京に悟られたくなくて下を向いた。
はぁ~、と横で溜息がする。
京に捨てられるかもしれない。でも、決心をかえるつもりはなかった。
「まったく…」
呆れた様な、そんな苦笑が交じった声がした。
「ご」
「先に言うなよ~」
ごめん、と続く筈だった言葉は、京のおちゃらけた声に掻き消される。
え?っと思い顔を上げた祀の瞳には優しい京の笑顔が映った。
「5年かぁ~…。きっと直ぐだよな?」
海を見詰めていた京の視線が祀に注がれる。
5年。
きっと直ぐではないけれど、でもこの気持ちはなくならない筈だ。其れは祀だけではなくて、京も同じ筈。
きっと待てる。
絶対に待てる。
だって、親友が、加良が懸命になって守ろうとした想いだから。
涙に滲む海を眺めながら、祀は小さく頷いたのだった。