別離(わかれ)
「2人が何をしたと言うんですか!」
震える身体に鞭を打ち、加良は声を上げた。
ここは職員棟の一室だ。引きずられるようにして連れてこられ、加良は閉じ込められている。駆けつけた教師と加良の2人きりで、祀の姿も京の姿も見えなかった。
「桜小路、少し落ち着け。時間がくれば学園長に呼ばれる」
苦虫を噛み潰したように顔を顰めながら言うと、そのあとはダンマリだった。
加良は悔しさのあまり、鼻の奥が痛くなる。
しかし、涙等見せるかと思い、唇を噛みしめた。
どの位の時をそうしていたのか、加良には見当もつかない。
イライラが絶頂に達した時だった。教室の扉が開かれる。そこに立っていたのは学年主任だった。何時になく厳しい表情で教師に耳打ちすると、今度は加良を見据える。
加良は負けないように、その視線を受け止めた。
「…桜小路、来なさい」
厳しい声に、けれど加良は前を向き無言で歩き出す。その姿に両教師は小さく溜息を吐いた。
教室を出ると、可笑しな位辺りが静かで笑ってしまう。
廊下の突き当たりにある学園長室の前に着くと、加良は深呼吸をし扉を開いた。
ぴしっとしたスーツに身を包んだ学園長が、他の教師同様厳しい顔で座っている。加良は一礼をし歩みを進め、重厚なデスクの前まで行き学園長の顔を凝視した。
「…なぜ呼ばれたのか分かりますか?」
静かな声だったが、何処か困惑が含まれている気がする。呼ばれた理由はなんとなく分かっていたが、敢えて分からないふりをした。
「いいえ、分かりかねますが」
学園長の目を見ながら、はっきりと答えてやる。挑発的な言葉に聞こえたかもしれない。斜め後に立っていた学年主任の焦った声がした。
「おい!桜小路!」
しかし、そんな声に答えてやるつもりは毛頭ない。加良はじっと学園長を見つめた。
「桜小路さん。君があの場所であのように暴れたという事は、あの2人の事を知っていた、と受け取って良いのかな?」
含みのある言い方にカチンと来た加良は、ぎゅっと拳を握る。自分の爪が食い込み、鈍い痛みが広がった。
「知っているから、だから何なんです」
許されない恋だからといって、応援してはいけないのか。
2人は加良の親友なのだ。親友を助け、親友を想ってはいけないのか。
同姓同士の恋は、そんなにいけないことなのか。
「彼らは、退学になります」
学園長はさらりとそんな事を告げた。一瞬何を言っているのか解らなかった加良は眉間に皺を寄せ聞き返した。
「え?」
「ですから、退学になります」
“退学”の所を強調し、学園長は加良を見る。学園長の言葉が耳に届き、その言葉の意味を理解すると、身体が勝手に動き出した。
「彼らが何をしたって言うんですか!!」
殴りかからんとする加良を、学年主任が背後から抱えるようにし引き留める。学園長はゆっくりとした動作で、デスクの上で両手を組んだ。
「学園の調和を乱した為です。…彼らは自主退学という形を選びました」
学園の調和。
そんな事の為に彼らは居場所を追われなければならないのか。
悔しさと憤りを感じ、加良は唇を噛み締める。口腔内に鉄の味が広がった。
「桜小路さんはどうしますか?」
こんな学校辞めてやる。
そんな言葉を吐き捨てようとすると、学園長は更に言葉を綴った。
「彼らは、桜小路さんは関係ない、と言っています。…教師に暴言を吐いた、と言う事で1週間の謹慎処分とします。1週間しっかりと考え、進退を決めなさい」
“関係ない”…?
どうして、そんな事をあの2人が言ったのか分からない。
関係ない筈は無い。
だって、2人をくっつけたのは…。
そこで思考が止められる。自分を抑えていた学年主任がそっと加良を促したのだ。
その手を振り払い、学園長を1度きつく睨むとそのままの勢いで部屋を出た。
拳を握り締めると、思った以上の痛みが走る。
見ると手の平に血が滲んでいた。
家に着くと母に携帯を奪われる。その眼がとんでもない物を見るかのように揺らめいていた。
血の滲んだ手をもう一度強く握り、部屋に駆け込む。
その後加良は両親から軟禁を言い渡され、外部とは一切連絡する事が出来ずに2週間という長い時間を泣きながら過ごした。
窓から差し込まれる日差しが、以前であればとても気持ち良く見える空の青もどこか曇って見える。
あんな学園には2度と行きたくはなかったけれど、今の加良には2人の事が気になりそうして“その後”を知る術は学園しかなかったのも事実で…。
加良は2週間ぶりに袖を通した制服を睨みつけ、相変わらず壊れ物でも見るかのような両親からの視線を払い除け、外に足を踏み出した。
加良が学園の敷地に入ると、あちらこちらから好奇な視線を浴びせられる。以前は友好的だった同級生も遠巻きに加良を見るだけだった。
居た堪れない物を感じながらも負ける訳にはいかない加良は、キッと視線を前だけに向け歩みを進める。その視線の先に、長身の女生徒の姿を捉えた。
他の生徒に囲まれるようにして歩いている。それは雛奈だった。
加良はゆっくりと歩みを進め、すれ違いざまに声を掛ける。
「ごきげんよう」
まるで感情の籠っていない声に、掛けられた方は一瞬戸惑うような表情をし、その言葉が加良からの物だと解ると複雑な表情を浮かべた。それを一瞥しながら加良は歩みを止める事はなく、そのまま進む。
そんな加良の腕を突然掴む者がいた。加良は仕方なく足を止める。
「加良!」
雛奈の声に、腕を掴んでいるのが彼女だとしれて、面倒臭かったけれど振り返る。
「…」
無言で相手を見ると、その知的な瞳には涙が浮かんでいた。
しかし、心を閉ざしてしまった加良にはその涙が解らない。少しの間、雛奈の言葉を待ってみたけれど何も言わない為、手を振り解こうとした。その瞬間、加良の手に何かが当たる。雛奈は何も言わずにその物を加良の手の中に握らせると、手を放し加良の身体を抱きしめた。
「…私は、あんたの味方だから」
そっと伝えられた言葉に、少し、ほんの少しだったけれど、凍りついた心が解れたように感じた。
抱擁が解かれ、呆然とする加良をそのままに雛奈は歩き出す。
その背中を一旦見、ゆっくりと視線を動かすと手の中に、小さな紙が有った。その紙を開くと見覚えのある字が迎える。文面を見、加良はその紙を握り締めると駈けだしていた。
周りの視線が加良に絡み付く。
煩わしい、と少し思うけれど今はそんな事どうでも良い位急いでいた。
高等部の図書室に駆け込んだ加良は、記憶にある分厚い本を探す。一番奥の棚に、他の本よりほんの少し手前にずれているやつが見えた。背表紙には“フリーペーパー”と書かれている。
加良は逸る胸を押さえながら、ゆっくりとその本を手にした。
雛奈から渡された紙には几帳面な祀の文字が綴られている。短い文には『あの本を見て』と書かれていた。
あの本とは、多分この本のはず。加良は震える手を何とか抑え、本の表紙を開いた。
そこには、綺麗な色の便箋が丁寧に折り畳まれ挟まれている。本を元に戻し、図書室に設けられている椅子に腰を掛けるとその紙を慎重に開いた。
『加良ちゃんへ』とやっぱり几帳面な祀の文字が目に入る。
ゆっくりと文字を目で追い、何時の間にか加良の瞳には涙が浮かんでいた。
便箋には、加良への謝罪とお礼、そうして祀と京の“お願い”が記されていたのだ。
流石は祀、といったところか。
幼馴染で、誰よりも一番近くに居た祀は、加良の性格を熟知していたようだ。
しっかりと強い思いが記されている。
加良の瞳から耐えきれずに落ちて来た雫で、少しばかり滲んでしまった文字が訴えていた。
「…わかったわ、祀くん…」
便箋を抱き締めながら、加良は小さく呟いたのだった。
あれから、2年と少しの時間が流れた。
加良は今大勢の生徒の前に立ち、卒業生代表として答辞を述べている。
あの事件を詳しく知らない下級生からは、その容姿もあって随分と人気物だった。
けれど加良は一線を引き、けして仲良くはなろうとしなかった。
ある意味針のムシロだった加良は、それでも学年1の成績を収め、今こうして壇上に立っている。
予め用意されていた原稿を途中まで読み上げた加良は、一つ息を吐きその原稿を破り捨てた。一気にその場が騒然となる。教師たちも驚きを隠せず、俄かに騒ぎ出した。
そんな中、加良の凛とした声が響き渡る。騒然としていた場が、一気に静寂に包まれた。
「…私には幼い頃よりずっと一緒にいた人物と、高等部へ上がった時に出会った人物と2人の親友がおりました。彼らは私にとって誰よりも、何よりも大切な存在でした。しかし、そんな2人を1年の3学期に失ったのです」
一旦言葉を止め、教師達を見る。学年主任が顔色を無くし、何かを周囲の教師達に耳打ちしていた。壇上から降ろされると思った加良は、再度視線を上げ、マイクに向かう。
「“学園の調和”…そんな物の為に、彼らは居場所を奪われ私から笑顔を奪いました。こんな学園、直ぐにでも辞めたかった。だけれど…」
俄かに壇上へ上がる階段前が騒がしくなる。教師達が加良を降ろす為に駆けつけたのだ。覚悟を決めた加良の瞳に驚く光景が見えた。卒業生の列から数名の生徒が駆け出し、壇上へ上がろうとしている教師を止めていたのだ。その中に雛奈の姿が見える。
雛奈は学年主任の腕を掴みながら加良を振り返ると
「加良!続けて!!」
声の限りに叫んだ。
あの出来事があった後、加良は回りの人間と距離をとってきた。それは雛奈にも同様で、まさかこんな風に助けてくれるなんて思わなかった。
あの時“あんたの味方だから”と言ってくれたのは本心からだったのだと知れる。
加良は力強く頷き、マイクを掴んだ。
「彼らは私にメッセージをくれました。“どんな事があっても卒業してくれ”と…。その言葉を胸に頑張ってきました。…これで漸く自由になれる。皆さんも今一度考えて下さい。こんな学園で良いの?!」
加良は大きく息を吐き、深々と礼をすると騒ぎの中に飲み込まれていった。
階段を降りると、学年主任の怖い顔が出向かえる。加良は小さく鼻で笑い、そのまま講堂を後にしたのだった。