事件
2人の姿を見ていると加良は幸せな気分になる。
お互いを思いやり、初々しいまでに“お付き合い”を始めた2人は、しかし加良を1人にはしなかった。
学園に居る間は勿論、休みの日に何処かに行くにも加良を誘う。初めのうちはそれ程気にならなかった加良だけれど、一月、二月と時間が過ぎて行くうちに、やっぱり可笑しいと感じ始めていた。
今日もやっぱり3人で昼食を摂っている。目の前で楽しげに語らっている祀と京を眺めながら加良は溜息を吐いた。
「加良ちゃん?どうしたの?」
加良の溜息にいち早く気が付いたのは祀だった。ふっと再び溜息を吐き、祀と京の顔を交互に見る。
「加良ちゃん?」
今度は京の心配そうな声がした。
「お2人とも、楽しい?」
ちょっとあきれがちに尋ねてみると、京の表情が曇る。どうやら加良の言いたい事が解ったようだった。しかし、祀は小首を傾げるのみだ。加良は三度溜息を吐き、解っていない祀に視線を向けた。
「あのね、私も馬には蹴られたくないのよ」
曖昧な表現をしてみる。京はその鋭いまでの一重の瞳を苦笑に揺らした。
それでも祀は解らないらしい。白い、綺麗な顔を困惑に歪め加良を見詰めた。
まったくもって鈍い祀。それも彼の魅力ではあるけれど、流石に京が可哀そうだ。
「ですから、なんで私も一緒なの?祀くんも本当は京くんと2人で居たいはずだわ。私に構わずに2人で居て良いのよ?」
はっきりと口にすると、祀の白い頬が赤に染まった。それでも加良は止めない。
「いい?やっとお2人は恋人同士になれたのよ?恋人なら、それなりにやりたい事だってあるはずだわ。それなのに、私なんかと一緒にいたら、出来る事も出来なくなるわ」
不躾な言葉に祀の表情は更に赤に染まり、口を鯉のようにぱくぱくとさせている。慌てたように京が口を挟んだ。
「俺はこのままでも充分だよ、加良ちゃん」
いつもはきりりとしている眉を垂らした京に、加良は眉間に皺を寄せる。
「そんなはずないでしょう?京くんは本当にこのままでも良いの?!」
ちょっときつめに言うと、京はそれ以上何も言わず祀に視線を向けた。祀は小さな唇を噛むと、視線を上げ加良を睨むように見る。そうして苦しそうに口を開いた。
「…僕は加良ちゃんの親友だ。加良ちゃんとも一緒に居たい。それに…」
そこで言葉を止めた祀に加良は先を促す。
「それに、何?」
祀は視線を下げ、小さな声で言った。
「加良ちゃんには僕しか居ないだろ…?」
祀しか居ない。
とは案に加良には友人が居ない、と言っているのと同じだった。
やっぱりそれか。と思う。確かに加良には祀以上の友人は居ない。それはずっと2人で居たからだ。
自分もいけないのは解っているけれど、でもそれでも良いと思っていた。…最近までは。
しかし、それではもういけない。
祀には、加良よりも大切にしなければいけない存在が出来たのだ。なのに、今までと同じなのはやっぱり可笑しい。加良にも決断せねばならない時期が来たのだ。
祀離れをしなければいけない時期が…。
加良は下唇を噛みしめると深呼吸をし、きっと視線を上げた。
「そんな事、ないわ。私にも友人は居ます。勿論、祀くん以上の友人ではないけれど、だから寂しくはないわ?」
本当は凄く寂しい。
幼い頃から横に居るのが当たり前で、まるで双子のように過ごしてきたのだ。
それでも、祀の横は京に譲らなければならない。
「加良ちゃん…」
悲しそうな祀の声が聞こえる。
祀離れをしなければならない。
加良はとびっきりの笑顔を浮かべ、悲しい顔をしている祀を抱き締めた。
「大丈夫。祀くんにとって私は2番になってしまったけれど、私にとっては祀くんが1番よ?…京くんは2番」
祀の横で苦しそうな表情をした京が見えて、加良はまた笑顔で告げる。
「ごめん、加良ちゃん…」
京と祀の謝罪の声が重なった。
永遠の別れではないのだ。だから謝ってほしくはない。だけれども、片割れを無くしてしまった寂しさに浮かんだ涙は隠せそうにもない。
加良はうっすらと浮かんだ涙をそのままに、輝くような笑顔を浮かべたのだった。
「…でも、たまには一緒に居てね?」
2人と少し距離を取るようになった加良にも、友人、と呼べる位の人が出来た。
「加良!」
昼休みになると、必ず迎えに来る。祀が苦笑を浮かべながら、その姿を見ているのは知っていた。
川崎 雛奈。
本学園の生徒会に所属しており、スポーツ万能、成績優秀、そうしてモデルの様な容姿の持ち主であった。しかし、その性格は男勝りのそれで女生徒のファンも多くいる。
そんな雛奈が、突然1人で居る事が多くなった加良に声を掛けてきたのだ。
「桜小路さん。最近1人だけど彼と喧嘩でもしたの?」
教室にぽつんと居た加良の横に腰を掛け、日向の様な笑顔を浮かべたのだった。
「雛奈さん!お待たせいたしました」
お弁当を下げ、ちょっと小走りに近づくと苦笑を浮かべられる。
「別に待ってないよ。それから、雛奈、で良いのに」
そんな事を話しながら教室を後にした。
足の長い彼女に付いて歩くのは結構大変である。加良は足を速く動かし、雛奈に付いて行く。そんな加良に雛奈は視線を送った。
「絢世、大丈夫だったの?」
それが先程の事だと解っている加良だったが、知らぬふりをする。
「祀くん?何かあったかしら?」
そんな加良に、雛奈は肩を竦めるだけで何も言わなかった。
噂好きな奴は居るものだ。
なるべく祀達と一緒に居る時間を減らしていた加良の耳に、恐れていた噂が飛び込んで来たのはもう直ぐ12月になろうとしていた時だった。
「加良、私変な噂を耳にしたんだけど…」
それをもたらしたのは雛奈だった。何時もは何でも任せなさい、と言ったふうに堂々としている雛奈が、眉間に皺を寄せながら加良を誰も居ない踊り場まで引っ張って行く。
既に1日の授業は終わっていて、帰ろうとしている生徒や部活動へ行こうとしている生徒が慌ただしくしているのを横目に、加良は口を開いた。
「変な噂…?」
恐る恐る、といったふうに聞き返すと、雛奈は一旦口を閉ざす。その意思の強そうな瞳が加良を捉えていた。そんな雛奈の態度が、加良の胸に寒い物を運んで来る。
得体の知れない不安を抱えながら、加良は続きを促した。
「絢世と石和が…、その…怪しいってやつ…」
言い淀みながらも伝えられた言葉に困惑する。
怪しい、とはどういう意味なのか。加良は困惑気に首を傾げた。
「だから、あの2人が…“できてる”って噂…」
加良の耳に血の気が引く音が響く。
いくら自分が理解していても、周りがそうとは限らない。それは嫌という程加良達は解っていたから、それはもう気を使って生活してきた。
学園ではお互いをできるだけ友人、と言う様に扱って来たはずだし、加良も居たのだ。
なのに、噂…?
そんなはずは無い、と思い加良は雛奈の顔を見た。
「どうしてそんな噂が…?あの2人に限ってそんなはずは無いと思いますけど」
出来るだけ顔が引き攣らないように笑顔を作り、柔和な言葉に拒絶を含む。
「うん…私もそう思うんだけど、どうも実しやかに噂が流れてるんだよね。加良は何か聞いてないの?」
唯一全てを知っている加良は、しかしここで話す訳にも行かない。表情を引き締め、小さく首を横に振り、否定の意を告げた。
「そう…。なら良いんだけど。加良から石和と絢世にそれとなく言っておいてくれない?」
何を言えと言うのか。
世間には認められない恋を、ひっそりとしている2人に何を…。
守らなければいけない。
2人をくっつけたのは自分なのだ。
何があっても守らなければいけないのだ。
何時に無く厳しい顔をし、加良は頷いたのだった。
あんなに決心したのに…
急がなければならなかったのに…
必死に探したのに…
それは起こってしまった…
雛奈と別れた加良は急ぎ足で2人の姿を探していた。
下駄箱に靴を見に行くと祀の外履きがあり、まだ2人は校舎の中に居ると思われる。
広い校舎を隅々まで探していた加良に、雛奈の呼ぶ声が聞こえた。
「加良!!」
さっきとは違う怖い表情でこちらに走って来る。
言い知れない不安が加良を襲った。
雛奈の手が加良の腕を掴み、そのまま来た方向に加良を引きずるようにし走り出す。
「ど、どうしたの?!」
驚きながらも足を動かした加良に雛奈の苦しそうな声が聞こえた。
「あの2人、大変なんだよ!!」
まさか…
そんな…
目の前が暗くなるのが解る。そのまま加良は雛奈に引っ張られながら足を進めた。
階段を駆け上がり角を曲がると、加良の目に人垣が見える。上がる息を整えながら人垣に突っ込もうとした加良をぎりぎりで雛奈が引きとめた。
『本当に?』
『嘘だろ?』
『だって、男同士…』
人垣から聞こえる声に身体が震えた。
縋るように雛奈を見ると、その顔が厳しい物になる。そうして1点を見つめているのが解り、加良も視線を向けた。
人垣の丁度中心に見慣れた顔が見える。白い顔が、今は青に見えた。
「祀くん…」
震える声で呼び掛けてみるけれど、人垣に掻き消されてしまい、祀には届かない。
どこか虚ろな表情の祀は、学年主任の教師に腕を掴まれていた。そうして、祀の背後にある空き教室の中から大きな音が響く。更に怒鳴り声が聞こえた。
「うるせー!放せよ!!」
京の声だった。
「祀を何処に連れてくんだ!!おい、祀!!…まつりー!!!!」
悲痛なまでの声に、加良は飛び出し雛奈の止める声も無視して人垣をかき分ける。
「祀くん!」
無表情の祀に縋り付くようにして声をかけるも、反応が無い。
その時、加良の耳に何かがぶつかる大きな音が聞こえた。
空き教室の中からだ。そうして京の叫び声が聞こえる。
「祀!!!!」
ぱっと、祀の顔を見ると悲痛な表情がそこにあった。そうして震える小さな声が木霊する。
「…加良ちゃん…助けて…」
刹那、加良は動いていた。祀を掴んでいる学年主任の身体に小さな身体をぶつける。
不意打ちだった為よろけた教師を尻目に祀の腕を掴むと、そのまま空き教室の中に飛び込んだ。
「祀!…加良ちゃん?!」
京は別の教師2名に身体を押さえつけられていた。加良は勢いそのままに祀と共にその教師めがけて動き出す。
しかし、そこまでだった。
祀は再び学年主任に、加良は駆けつけた別の教師に羽交い締めにされ身動きが取れなくなる。
力の限り暴れてみるも、びくともしなかった。
そのまま引きずられるように加良と祀は教室の外に連れ出される。
2人の耳には京の切ない呼び声が木霊したのだった。