天使の矢
季節は過ぎ、文化祭の時期になっていた。
クラスが俄かにざわついている中、加良は溜息を吐いていた。
2人の気持ちを知っているのは加良1人。誰かに相談したくてもできなくて、それでいて何の進展もない2人を見ていると、何故だかイライラしてしまう。
あの後も2人は微妙な空気を作りながら、それでも友達として付き合っている。
両想いなのに、何時までも気持ちを伝えない2人にイラつきを覚えていた。
けれど、2人は男同士。大きな壁がある事も承知している加良は、どうしたものかと考えていた。
「…加良ちゃん?何かあった?」
物思いにふけっていた加良の耳に京の心配そうな声がする。
はっと頭を上げると、祀も心配そうな顔をしていた。
「いいえ、何でもありませんわ。ところで京くんのクラスでは、どんな催しをされるの?」
さりげなく話題を変える。祀もそれは気になっていたらしく、頬を綻ばせながら京の顔を見ていた。
祀に注目されている事が嬉しいのか、京ははにかみながら祀を気にしつつ質問に答える。
「うちはお化け屋敷だとさ」
興味なさそうに言いながら、それでも視線は祀へと向けられており反応を待っている。
そんな京を見ていると、なんだか阿呆らしくも思えてくるけれど、祀の熱の籠った視線を見るとそうも言っていられないと思った。
「そっちは?」
京の言葉で祀が答える。
「こっちは喫茶店だって、ね?加良ちゃん」
話を振られて、慌てて加良は頷いた。
頷きながら加良の頭はフル回転する。何か良い案は無いかと思案していると、ふと頭の中にある噂が思い浮んだ。
それは中等部の頃、ある女子生徒から聞いた話だ。
高等部の図書室にあるという“フリーペーパー”と言う分厚い本に、想い人の名前を書きその想いを綴った紙を入れ、1週間誰にも見つからずにそのままにし、1週間後その紙を燃やすと想いが通じる、という物。
占いのような物だとその子は言っていた。
これだ!!
と加良は思った。
ちらりと、隣を歩く京を見る。その視線に気付いた京は小首を傾げた。
逆隣を歩く祀に聞こえないように京を手招く。
近づいて来た京に耳打ちした。
「京くん、知っていて?」
小悪魔のような笑みを浮かべながら言う加良に京は少し困惑しているように見受けられる。
加良は構うものか、と思い言葉を続けた。
「良く効く占いの話ですの。それはね…」
先に聞いた話を少し変えて話す。聞き終えた京はその切れ長の瞳を大きく開いた。
「ただの噂でしょ…?」
困ったような、馬鹿にしたような表情。加良はそんな京を睨み付けた。
「噂かも知れないけれど、何もしないよりマシだわ。今の京くんには神だのみでも必要じゃなくて?」
少し突き放すように、挑発するように言うと京は口ごもる。
加良はにこりと笑い、
「明日試してみて」
と伝えると今度は祀に目を向けた。祀も加良の視線に気付いたようで、笑顔を浮かべる。
加良は先ほどと同じように祀を手招きし、その耳にこっそりと先の噂をまた少し変えて耳打ちした。
「祀くん、知っていて?ある噂なのだけれど…」
最後まで聞き終えた祀は、その白い顔をほんのりと赤に染めたのだった。
「私が一緒に付いて行くわ。今日の自由時間なんてどうかしら?」
何かを含んだような加良の笑顔に、しかし祀は小さく頷いた。
午前中一杯自らのクラスの催し物である喫茶店を手伝った加良と祀は、午後一で自由時間となり、加良は祀の手を引くと噂の本を探しに図書室に向った。
流石に文化祭という事もあり、図書室は誰も居ない。
加良と祀は本棚を食い入るように見ながら、先の本を探した。しかし、なかなか見つからない。
もしかして、そんな本は存在しないのではないか?と不安になってきた加良の目に、それは映った。そっと手に取ってみると、今にも崩れてしまうのではないかと思うほどぼろぼろな本。その表紙を開き中を確認した後、祀を呼び寄せる。
「見つけたわ」
慎重に祀に本を渡すと、祀の頬が再び赤に染まった。
ちらりと加良を見ると、加良は大きく頷く。祀は小さく畳んだ紙をブレザーの胸ポケットから取り出し、そっと表紙を開けたところに挟んだ。
翌日、文化祭2日目。再び加良は図書室に居た。
その隣にはやっぱり神妙な顔をした京が立っている。そうして再度あの本を探した。
と言っても加良には其れが何処にあるのか解っている。
探すふりをし、京からは死角となって見えないところにその本を持ち向う。そうして表紙をそっと開いた。そこには昨日祀が想いを綴った紙が挟まられている。加良は其れを大事そうに抜き、その中身を読んだ。
『石和 京 とても大切な人。この想いはきっと伝えられないけれど、多分ずっと想い続けるのかもしれない。まさか自分が男の人を好きになるなんて思いもよらなかったけれど、この気持ちは大切にしていこうと思う 絢世 祀』
祀の几帳面な文字が並んでいて、その内容に加良の目頭が熱くなる。
ゆっくりと息を吐き、その紙を再び丁寧に畳むと直ぐに落ちるように表紙を開けたところに挟んだ。そうして京を探す。加良は想いを込め、本を1度抱き締めると視界に入った京を呼び寄せた。
「京くん、きっとこの本だわ」
慎重に本を手渡す。
「…ぼろぼろだな」
そんな感想を述べながら困惑気に本を受け取った京を確認すると、加良は踵を返した。
「え?加良ちゃん?!」
急いでそんな加良を呼び止めようとする京を振り返りながら、加良は想いを込めて言葉を投げかけた。
「いい?しっかりとやるのよ!」
風のように去っていった加良の背中を仰ぎながら、手の中にある本をジッと見詰める。
占い、なんて信じた訳じゃない。だけれど、この報われない想いは余りにも重過ぎて、何かに託したいと思うのもまた事実だった。
京は深呼吸をし、そっと本の表紙を開く。
と、ぱらりと何かが落ちた。
急いで其れを探すと、自分の足元に落ちていて何かに吸い寄せられるかのように手に取る。開きかけた小さな紙の端に“石和”と書いてあるのが見えて、一端止まる。
加良からの励ましの手紙だと思った京は其れをゆっくりと開いて中身を読んだ。
途端に顔が熱くなるのが解る。そうして、赤くなった顔を隠すように手を顔の前に翳した。
脳裏に昨日の祀の姿が想い浮ぶ。
何時ものように一緒に行動しようと午前を終わらせた京は2人の姿を探していた。
廊下の向こうに2人の姿を確認した京は、手を振りながら近づいたのだ。
その時の祀は、加良に顔を向けその白い顔を赤に染めている。そうしてなかなか京の事を見ようとしなかったのだ。
自分は又何かしてしまったのだろうか、と想い悩んでいた京は、しかしそうでは無いと今知ったのだった。
そうして加良のあの去り際の言葉を思い出す。
『しっかりとやるのよ!』
加良は京の想いも、祀の想いも知っていたのだ。知っていて今回の占いの事を自分に伝えたのだ。これはつまりそういう事なのだ。想いを伝えろ、それも京から…。
其れに思い至った京は、大きく息を吐きそうして前を向いたのだった。
手の中にはあの紙が握られている。
普段誰も来ない屋上に京は立っていた。
下では文化祭が盛大に行われており、その喧騒が微かにだが京の耳にも届いている。
けれどこれから自分が行う、一世一代の事を思うと全てが聞こえなくなった。
「京?どうしたの改まって…」
目の前には愛おしい人が、吹きつける風に舞う髪を手で押さえながら小首を傾げている。
「ごめん、急に呼び出して…」
京の喉は緊張のあまりからからに渇いていた。
「別に良いけど、…下に加良ちゃん待たせてるんだ」
少し困った風に笑いながら祀は後方を見る。そうして再び京を見た。
その綺麗な顔を見ると、言葉が上手く出て来ない。いやがおうにも緊張が高まり、手に汗が滲んだ。訝しげな祀の視線に、やっぱり良い、と口から出てしまいそうになる。
しかし、加良の声が蘇った。
『しっかりとやるのよ!』
京は大きく深呼吸をし、1歩祀に近寄る。京の緊張が伝わったのか、祀の喉が息を飲み込むのが見えた。
「俺、王子と加良ちゃんに嘘を吐いた。まず、それから謝らせてくれ。ごめん」
京の言葉に、祀はぽかんとする。
「…嘘って?」
やっぱり訝しげな顔をし、祀は聞き返した。
「俺、加良ちゃんの事好きだって、言ったよな?」
祀は少し考えた後、ちょっと表情を曇らせながらもこくん、と頷く。
「あれ、嘘なんだ」
一瞬の間、祀の眉間に皺が寄った。
「…それ、どういう意味?…返答次第では、僕、京を殴ってしまうかもしれない」
声のトーンを少し下げた祀からは怒りが滲み出ている。友達思いの男なのだ。
この嘘がどういう物なのかわかっているから、親友の加良の事を思い怒っているのだ。
そんな熱い所も堪らなく大好きで、怒りが自分に向いていると解っているけれど自然と頬が緩んだ。
「京?」
「好きだ」
呼びかける声に被せるように言う。
「…え?」
聞こえなかったのか、聞き返してくる祀に今度はゆっくりと告げた。
「ずっと好きだった、王子の事が…祀の事が」
初めて名前を呼ぶ。怒りに満ちていた祀が、ゆっくりと言われた事を消化し意味に思い当たると、今度はその綺麗な顔を赤に染めた。
「男を好きになるなんて思わなくて、でも気持ちを止める事ができなくて祀に近づきたい一心で嘘を吐いた」
じっと祀の目を見詰めながら伝える。祀の瞳には大粒の涙が浮かんだ。
ぽろぽろと零れ出した涙が陽に当たり、その頬をきらきらと輝かせる。京は更に祀に近づき、そうっとその頬に触れた。
「っく、加良ちゃんは…」
涙で震える声が何を言いたいのか解っていた京は急いで答える。
「俺の嘘も、気持ちも知ってる」
京の告白に、もう堪えられなくなっていた祀は、両手で顔を覆いその場にしゃがみ込んでしまう。
「…そんな…だって…」
涙の合間に苦しそうな言葉が紡がれ、京は切ない気持ちを隠せずに小さくなった祀の身体を抱きしめた。
ぽんぽん、と薄い背中をあやす様に叩くと、祀の嗚咽は更に大きくなる。
「…大丈夫、加良ちゃんは全部知ってて俺の背中を押したんだ。笑いながら、しっかりとやるのよって…」
笑いを含ませながら伝えると、漸く涙を拭い始めた祀も小さく笑う。
「加良ちゃんらしいや…」
そう言った祀が、より一層愛おしくて抱きしめていた腕に更に力を込めたのだった。