疑惑
「お断りします!!」
加良の大きな声がする。ここ数日間、このやり取りが学園内に響いていた。
勿論噂にもなっていて、あちこちのクラスから中等部までその騒ぎを嗅ぎつけ見に来る始末。
「なんで?王子とは付き合ってないんでしょ?」
“王子”とは祀の事らしい。加良はうんざりしながら京の事を仰いだ。
「あなたには関係ないでしょう?!」
あの昼食時の事件から毎日、京は加良と祀の前に姿を現し加良に交際を申し込んで来る。
見物人が増え、静かに学園生活を送りたい加良は、イライラを募らせていた。
そんな加良を心配する祀は、なんとか京を遠ざけようと躍起になるけれど、京は引いてくれる様子はまるで無い。祀は途方に暮れるしかなかった。
「加良ちゃん、今なら大丈夫だよ」
自分たちの教室から廊下を確認し、祀が言う。加良は急いでお弁当を持ち、祀の腕を掴むと駆けだした。
なんとか京に見つからずに屋上へ辿り着く。
上がる息を整えながら、屋上に腰を下ろすと、盛大に溜息を吐いた。
「大丈夫?」
心配そうな祀の声。加良は苦笑を浮かべながら頷いた。
「ええ、大丈夫」
なんとか整った息で伝えると、お弁当を開いた。母が作ってくれた美味しそうなお弁当に箸を付けると、ふと思う。
(どうしてかしら…。何故か、本気には思えないのよね)
そうして祀を見た。祀も思う所があるらしく、加良を見ている。一瞬間を置き、祀は口を開いた。
「加良ちゃんはなんであの人申し出を断るの?」
不思議な質問だった。ジッと祀の事を見詰める。瞬間、祀の白い頬が赤に染まった。
「いや、別にいいんだけど彼がどういう人か解らないじゃないか…お付き合いしてみないと」
何故だか歯切れの悪い言葉に、やっぱり不思議に思う。
「そうかもしれないけれど、私言ったわよね?“好い男”かもしれないけれど“良い男”ではないって…。それに、なんだか本気とは思えないのよ」
“好い”と“良い”を空に書き祀に説明した。
更に祀が何かを言おうとした時だった。
「あぁ~!!やっと見つけた加良ちゃんと王子!!」
屋上に響き渡る大きな声。加良は溜息を吐いて、声の主を見た。
「どうして私たちの邪魔をするの?!」
苛立ちを込め言い放つと、京は悲しそうな顔をする。鋭い眼光から、今にも涙を零すのではないか、と思わせる程の顔に、加良は負けた、と思った。
ちらりと祀を見ると、やっぱり困惑気に顔を曇らせ加良に対し苦笑を見せる。
加良はもう1度盛大に溜息を吐き、京を見た。
「わかったわ、石和くん」
「“みやこ”で良いよ」
被せるように言われ、やっぱりイラっとしたけれど何故だか笑えてしまう。
「わかったわ、“京”くん。お付き合い、はできないけれどお友達、というのはどうかしら?」
充分に譲歩したつもりだ。ちらりと伺う様に京を見ると、恐ろしい程に艶やかな笑顔を湛え次の瞬間にはその大きな身体に抱き締められていた。
「ちょ、離して!」
突然の事にパニックになってしまった加良は、じたばたとあがいてみる。くすくすと祀の笑い声が聞こえて、加良は更に大きな声を出した。
「祀くん、笑ってないで助けて!!」
加良の叫び声に京が開放するのと、祀が割って入ろうとするのは同時だった。
真っ赤になった加良は更に文句を言ってやろうと京を見て、絶句する。くすくすと笑う祀に視線を向け、京は先程とは違う、とても優しい笑顔を湛えていた。
加良の中で何かが引っ掛かる。
京の優しい笑みを見ながら小首を傾げていた。
「加良ちゃ~ん、王子!」
休み時間になると必ず現れる京。その懐き様に笑えてしまう。
「また、いらしたの?」
ちょっと冷たく言うと、京は直ぐに悲しそうな顔をした。
「王子、加良ちゃんが俺を苛めるよ~」
泣き真似をし、祀の腕に絡みつく京に、祀は微妙な顔を見せる。加良は祀を助けようと間に入ると京の妙な表情を見た。
「私の親友を困らせないで」
笑顔で京の腕を掴むと、まるで加良の事が見えていなかったようなそんな表情をし、そうして瞬間的に表情を変える。
妙な感覚に包まれた加良は、視点を変え京を観察する事にした。
他愛もない休み時間。周りの好奇心丸出しの視線を感じながら、加良は視線を動かした。
京を見ると、またしても祀の事を見ている。もの静かな祀がひょんな事から小さく笑うと京の表情がとても優しい物に変わる。
確かこの人は自分の事が好きだと言っていたのではなかったか。
自分に向けられる視線と、祀へ向けられる視線の違いにやっぱり違和感を感じていた。
その時だった。クラスメートが加良を呼ぶ声が聞こえたのは。
「え?あ、はい、なんでしょう」
声の主を探し視線を上げると、教室の入り口に見覚えの無い女子が数名見えた。
明らかに自分の事を呼んでいるその集団に、加良は嫌悪感を覚える。しかし、どうやら用があるらしいので加良は席を立った。
「私に何かご用ですの?」
ぴりぴりとした空気が一気に加良を包む。嫌悪感を隠しながら笑顔を湛えた加良に、1人が歪んだ笑顔を見せた。
「ごめんなさい。桜小路さんにお願いがありますの。放課後少しお時間よろしいかしら?」
丁寧な言葉に、自分の嫌悪感は勘違いだったかと思いながら応じる。
「私で宜しければ…。何処に行けば宜しいのかしら」
「迎えに来ますわ。それでは又後ほど」
数名の女子はそう言い置いてその場を後にした。
席に戻ると祀が声を掛けてくる。
「どうしたの加良ちゃん、不思議な顔をしているよ?」
どうした、と言う訳ではない。ただなんとなく違和感と嫌悪感が残っていた。
「いえ、たいした事ではなくてよ?心配なさらないで」
ふわりと笑い、そうして京を見た。
「京くん、そろそろ休み時間は終わりですわ。御自分のクラスに御戻りになって」
やっぱり冷たく言うと、京は下唇をつき出し加良を恨めしそうに見る。
「え~…」
その瞬間、チャイムが鳴った。加良は艶やかな笑顔を湛え京を再度見る。京は1度溜息を吐き、仕方ないと言う様に腰を上げ自クラスへ戻って行ったのだった。
「加良ちゃん帰らないの?」
放課後、席を立たない加良に祀が不思議そうに聞いてくる。2人を迎えに来ていた京も加良を見た。
「少し用事がありますの、お2人は先にお帰りになって」
笑顔で答える加良に祀は困惑しながらも了承した。
「じゃあ先に帰るね」
祀と京の背中を見送り、加良は再度自分の席に座った。
あの女子達は迎えに来る、と言っていた。いつの間にか誰も居なくなった教室は随分と寂しく思えて、加良は溜息を吐く。窓の外を見ると、祀と京が歩いて行く姿が見えた。
何時の間にかうす暗くなって来た教室に、休み時間に姿を見せた数名の女子が現れた。
「桜小路さん、お待たせいたしましたわ」
1人の女生徒が、明らかに作っていると分かる笑顔を湛え加良の腕を掴む。
別の生徒が嫌な笑顔を浮かべながら加良に一歩近づいた。
その妙な感覚に怯えを感じた加良は一歩後に下がろうとして、何時の間にか後ろに回り込んでいた別の生徒に逆の腕を掴まれた。
「綾瀬さんは御一緒ではないの?」
嫌な笑顔の生徒にそう言われ、もう何が何だか分からなかった。
「え、ええ、先に帰っていただきました」
その瞬間衝撃が加良を襲い、小さな身体が教壇に強かぶつかる。今までに無い痛みに声も出せずに蹲るしかなかった。自分に襲いかかった痛みが、突き飛ばされた物だと分かるのに時間が掛った。
痛みと恐ろしさに涙が浮かび、それでも顔を上げる。きゅっと口を引き結び、彼女たちを見た。
「あんた、何様だと思ってんのよ!」
徐に浴びせられる罵倒に困惑する。震える唇をなんとか動かし、声を発した。
「い、意味が解りませんわ」
もう、彼女たちの顔には笑顔は無い。
「解らない?ふざけんじゃないわよ!」
そう言われても加良にはさっぱり解らなかった。
「綾瀬さんを1人占めするだけじゃ物足りなくて、石和さんまで誘惑しないでよ!!」
強い口調でそう言われ、加良は絶句する。
「石和さんは私と寝たにの、あなたの所に行ったとたん相手にしてくれないのよ、冗談じゃないわ!!」
はたと、あのキスマークを思い出す。どうやらあれは彼女が付けた物らしい。どうやら、彼女たちは京の御友人らしく、加良は誤解されているのだと解った。
「ちょ、ちょっと待って!私は京くんとは」
「名前で呼ばないでよ!!」
京の名前を口にした途端に1人の女生徒が涙を浮かべながらヒステリックに叫び、加良の長い黒髪を掴んだ。そのまま引き上げられて加良の顔が痛みに歪む。
髪を掴んだ女生徒が腕を振り上げるのを目の端で捉え、加良は次に来る衝撃を覚悟して目をきつく閉じた。しかし、直ぐに掴まれていた髪が開放される。そうして彼女の小さな悲鳴がその耳に入った。
何が起きたのか解らずに、目を開けようとした加良の耳に、聞き慣れた声が聞こえる。
「加良ちゃん、大丈夫?!」
祀だった。その瞬間、加良の瞳から涙が零れる。
「ま、つりくん…」
先に帰ったはずの祀の声に安堵し、目を開けると祀の姿越しに京の姿もあり、彼が彼女の腕を掴み上げているのが認識できた。続いて低い声が地を這った。
「何やってんの?里香ちゃん、乱暴は駄目だよ~」
何時ものおちゃらけた言葉なはずなのに、あまりにも怖い。腕を掴まれている彼女は今にも失神してしまいそうな程青い顔をしていた。
「わ、私は…」
「石和くん、そんなにこの女が大事なの?!」
別の女生徒が悲鳴のような声を発する。振り向いた京の顔は、表現できないような物だった。
「俺の親友に手を出すな。…消えろ!!」
地を這う様な恐ろしい言葉に、女生徒は泣きながら駆け出す。加良はあっけにとられ、涙はもう止まっていた。
彼女達の姿が見えなくなると、京も直ぐに加良の元に駆けつける。
「加良ちゃん、大丈夫?…ごめん、俺のせいで…」
とても辛そうな顔に、凄く腹が立ったけれど怒る気にはなれない。しかし、祀は違った。物凄い勢いで京の胸倉を掴む。
「京の行いのせいで加良ちゃんが何故痛い思いをしないといけない。これ以上害が及ぶのであれば、君との友情はなかった事にして頂こう」
丁寧な言葉だけれど、怒りがふつふつと伝わって来て加良は困惑した。そうして京の顔を確認する。
「…本当にごめん、殴って良いから、だから…」
打ちひしがれた顔の京が其処にいた。祀に嫌われてしまうのが心底悲しい、とその顔には書いてあって、『だから』の後に続く言葉がなんなのか解った。加良の中で燻っていた何かが形を成して弾ける。まるで、目から鱗のように。
成る程…、と冷静に物が見えて来て、加良は小さく笑った。
その笑い声に鋭く反応したのは祀で、小さくくすくすと笑う加良に困惑で一杯の視線を送ってくる。加良は笑いを堪え、にっこりと笑顔を作った。
「祀くん、離してあげて?」
加良の言葉に、今度は京が困惑気な顔をする。
「大した事はないわ。それに彼のせいでもない。これは私が気を緩めたのがいけないのよ。だから、京くんを許してあげて?…ね?」
まだ、京の胸倉を掴んでいる祀の腕にそっと触れながら伝えると、渋々ではあるけれどその手を離した。
加良は少し汚れてしまった制服のスカートを手で払いながら、2人を見る。
「加良ちゃん…、本当にごめん。もう2度とこんな事がないように注意する。許してくれてありがとう…」
弱弱しい京の言葉に加良は優雅に笑う。
「そうして頂けると助かるわ。…そうだ、京くん、後で少しお時間頂けるかしら?少しお話したい事がありますの」
加良の言葉に、京は首を傾げながらも了承したのだった。