第三章 廃止派との対話
ナナセが調整した対話の場は、制度設計局の近くにある小さな会議室だった。
廃止派と呼ばれているグループのうち、三人が来た。
一人は三十代の男性——リョウという名前だった。制度設計局の中でも若手で、もとは素体スコアの高い子どもとして育った、とナナセが事前に教えてくれた。今は制度の内側から問題意識を持っている。
一人は四十代の女性——ヒロさんという。制度に関わる研究者で、局内の非常勤アドバイザーだ。専門は教育格差。
もう一人は、五十代の男性でハシモトという。生みの親の権利擁護団体の代表を兼任している。子どもを高く売ることができなかった親たちの、組合のような組織らしい。
レンは一人で来た。ソラは耳に入れていた。
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「最初に確認させてください」レンは言った。「俺のデータを、素体スコア廃止の根拠として使おうとしていると聞いた。その理解は正しいですか」
リョウが答えた。
「正確には、廃止の根拠ではなく、廃止の必要性を支持する傍証として、という位置づけです」
「傍証として、どのように読んでいますか」
「素体スコアが高くても買取価格が低ければ実績に繋がらない——このデータは、素体スコアが機能していないことを示していると解釈しています」
「素体スコアは機能しています」レンは言った。「素体スコアは、持って生まれた潜在能力を正確に示している。問題は、その潜在能力が環境によって実現されていないことです。スコア自体が間違っているのではなく、スコアを活かす条件が平等でない」
「しかし」ヒロさんが言った。「素体スコアが存在することで、子どもへの期待値が固定される問題があります。高いスコアを持って生まれた子どもへのプレッシャー、低いスコアを持って生まれた子どもへの諦め——データとは別の、心理的な作用があります」
「その問題は、データからは確認していない」
「確認できないものが存在しないわけではありません」
レンはしばらく考えた。
「その通りです。俺のデータが言っていないことが、問題の全てではない」
ヒロさんが少し驚いた顔をした。
「同意してもらえるとは思いませんでした」
「データは見えるものを見えるようにするものです。見えないものを否定するものじゃない。ヒロさんが言っていることは、俺のデータで確認できない種類の問題だ。だから廃止には反対だが、ヒロさんの問題意識は間違っていない」
「では——何を変えればいいと思いますか」
「環境格差を縮めることが先だと思います。素体スコアを廃止しても、環境格差が残れば、別の形で同じ問題が出る。数字を消しても、現実は消えない」
ハシモトが口を開いた。
「あなたの言っていることはわかる。論理としては正しいと思う。しかし——」
ハシモトは少し間を置いた。
「私が代表する親たちは、七歳で子どもを低い値段で売った人間たちです。その子どもたちの素体スコアが高かったことを、後になって知らされた人もいる。制度が公平だと信じて、できることをやったのに、子どもが可能性通りに育たなかった。その現実が、数字として残っている」
「はい」
「その数字を、なくしてほしいという気持ちは——論理とは別のところにあります」
レンはその言葉を、しばらく持った。
「数字が、証拠として残ることへの、痛み、ですか」
「そうかもしれない」
「その痛みを、俺は軽視できない」
「あなたはそれでも廃止に反対するのですか」
「反対します。でも——ハシモトさんが言った痛みを、制度改訂の中でどう扱うかは、別の問いとして立てる価値があると思います。俺のデータで答えられる問いじゃない」
部屋の中が、少し静かになった。
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帰り道、ソラに話した。
「ハシモトさんの言っていることが、一番残った」
「どんなふうに?」
「論理じゃないところにある問い。数字が痛みの証拠になることへの、恐れ。俺のデータは、それを無視していた」
「無視したというより、そこには届かなかった、ではないですか」
「届かなかった。でも届かなかったということは、そこが空白のままだということだ」
「乖離マップの、外側の空白」
「そう。乖離マップが可視化したものの外側に、別の見えていないものがある」
「それは——また新しいデータを作る動機になりますか」
「なるかもしれない。ただ今は、まだ言葉にできていない」
「言葉にできるまで、持っておくことができます」
「ソラが覚えてくれる?」
「記録します。この会話を」
夜道を歩きながら、レンはその言葉を繰り返した。
ハシモトさんの言った痛み。
数字が証拠として残ることへの恐れ。
制度が記録し続けるものへの、静かな怒り。
その怒りの中に、俺のデータが加担しているとしたら——
それは、誓い3の定義を問い直す問いだった。




