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百合短編まとめ  作者: 朔良 海雪


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1/1

傷心中

 花村イチカは絶賛傷心中である。


 付き合っていた彼氏に振られた、などであれば、まだ慰めようもあった。だが彼女の心を傷つけたのは、思いを寄せる男子への恋心を打ち明け、それを受け入れてもらえなかったという出来事だった。


 今日は目を腫らす親友の心を癒すべく、私、美住アイの提案で、彼女を連れてカラオケボックスにやってきたところだ。


「いやあ、また振られてしもうた。私って恋愛向いてないのかなぁ……」


 照れたような仕草をしながら、イチカは無理に笑顔を作る。


「イチカみたいにかわいくて優しい優良物件がどうして売れ残ってしまうんだか。男って分からないもんだよねえ。わたしが男だったら、イチカが寄ってくる前にこっちから狙いをつけちゃうと思うけど」


「今回もアイのアドバイス通り、相手の男の子の相談事をじっくり聞いて、距離感が縮まったと思ったんだけどなあ……なんかさ、同じクラスの子で仲良くできない子と和解する方法について話してたはずなのに、気が付いたらその子と付き合うにはどうしたらいいか、なんて話に発展しやがったんだよ。慌てて告白したけど時すでに遅し……ほんとついてないなあ」


「相談相手に他の人との恋愛相談されるって、控えめに言って地獄だよねえ」


 イチカのボヤキに対し、アイは苦笑いで対応しながら、メロンソーダに刺さったストローに口をつけた。


「まあ、今日はそのやりきれない気持ちを発散するために歌いに来たわけで。ささ、タブレットをどうぞお嬢さま。定番の失恋ソングからにする?」


「失恋した時に失恋ソングって、実はキツくない? 聴く分にはいいけど……だからさ、失恋系はアイが歌ってよ。私はやっぱり、十八番の曲から行かせていただきまーす」


 イチカがぽちぽちとタブレットを操作すると、画面には一昔前の恋愛ソングのタイトルが表示される。アイはオリジナルを聴いたことはないが、何度もイチカが歌っているのを聴いているうち、口ずさめるくらいには覚えてしまった。


「そういえば、アイは好きな人とかいないの? 最近いろいろ頑張ってるじゃん。派手なネイルやめたりとか、ダイエットしたりとか……確か香水も変えてたよね?」


 長めの前奏を聴いている間に、イチカがマイクを通した声で尋ねてくる。アイは両手をひらひらと振ってみせた。


「それが全然。気になってる人はいるけど、まだ距離があるかなあって感じ」


「お互い良縁に恵まれませんなあ……」


 悲しげな呟きと同時、歌詞が表示され始める。会話を中断し、イチカはそっと瞳を閉じた。


「♪~♪~」


 喉声ながらも慣れた様子でメロディーを奏でていくイチカ。彼女の癖で、歌う時はいつも目を閉じて歌だけに集中する。つまり今だけは、彼女のマイクを握った姿をどれだけ眺めていても気付かれないのだ。


 リズムに合わせて揺れる細身に、遅れてついてくる長い触角の髪束。


 雪原を思わせるのになぜか血色のいい肌。長いまつ毛は涙に濡れている。歌声を奏でる様子は妙に絵になっており、あまり歌が得意ではないアイが、イチカの失恋カウンセリングにいつもカラオケを選ぶ最大の理由がそれだった。


 いじらしくも可愛らしい、魅力に溢れるイチカを見ている数分間は一瞬で過ぎ去っていった。


「はい、次はアイの番。もう曲入れた?」


「せっかくだから、最近覚えた曲にしようかな。もちろんイチカのリクエスト通り、失恋ソングで」


「いいねえ。あ、泣く準備しておかなきゃだ」


 小さな鞄を漁り、ハンカチとティッシュを引っ張りだすイチカ。


 流れ出すイントロは、少し前に公開された恋愛映画の主題歌。アイはサブスク待ちで映画館には足を運ばなかったのだが、イチカは告白前のデートで男と一緒に鑑賞してきたらしい。アイにとっては悪い方に思い入れのある曲だった。かなり妬ける。


 とはいえアイにとって、この場においてイチカを最大限楽しませることが、何よりも優先される重要な事項なのだ。イチカが「これ歌って」と言い出しそうな曲は常に網羅している。そんなわけで、特段歌が好きなわけでもないのに、トレンドの女性曲を追いかけるのが日課になっていた。


 聞き慣れた前奏に爪先でノりつつ、イチカにはバレないほどの小さなため息をつく。


 彼女が歌うのを見ているのがカラオケで一番好きな時間なのとは対照的に、最も苦痛に感じるのが自分が歌っている時間だ。お世辞にも上手いとは言えないのはアイ自身分かっている。実のところこの曲の最高音にアイの喉は耐えられないし、早口ばかりで息が続かなくなってしまうのだ。


 イチカはそれを知ってか、アイと二人きりの時だけは採点機能をつけない。アイが悲惨な点数を叩き出すことを分かっているからだ。声がどれだけ裏返ろうと、歌詞を噛もうと、イチカは変わらぬ笑顔で手拍子を続けてくれる。


(ああ……好きだなあ……)


 大体、歌に集中できないのはイチカのせいだ。想い人に真正面から見つめられていて平静でいられるわけがない。モニターに表示される歌詞は完璧に頭に入っているが、視線を留める場所が他に見つからず、アイはひたすらに文字を追いかけた。


 息が続かない理由だって、バクバクと脈打つこの心臓が原因だ。


 歌詞が叶わなかった恋への悲しみと願いを綴っている。まるでアイが秘めた気持ちをまるごと表現したかのようだ。静かに一筋の涙を流すイチカだが、きっとアイがこの曲に込めた気持ちを汲み取ってくれているわけではない。


 歌い終えると、イチカの手拍子が拍手に変わる。拍手をもらえるような出来でないのはアイ自身分かっていた。それでもイチカは「アイちゃんの歌声カワイイー!」という賞賛を送ってくれる。


「私も同じアーティストの曲にしようかなあ」


 再びイチカの番だ。この時間がなければカラオケに来る理由など一つもない。


 とはいえ、彼女に対して不満がないわけでもない。


(想い人に他の人との恋愛相談される、ってやつ……わたしもやられてるんだよなあ)


 ノーマルに男性が好きなイチカにとっては、自分が恋愛対象の選択肢に入っていないことは明白だった。少しでもアイが向ける恋心に気付いていたのだとしたら、自分がやられて辛かったのと同じことを、親友に対してしようとは思わないだろう。


 チャンスがあるのなら、歌に合わせてやわらかく形を変えるあの唇を奪ってしまいたい。折れそうな腰を強く抱きしめてしまいたい。あの雪の肌がどこまで続いているのか、制服の裾から手を差し込んで探索してみたい。


 そのような欲望が自分の中に芽生えたのは、もうずいぶん前のことだ。そして今に至るまで、溢れ出しそうな感情を胸の内に秘めてきたのだ。


 自分の気持ちが一般的な恋愛から外れていることも、きっとイチカがそれを受け入れてはくれないであろうことも分かっている。


 他の友人にも、家族にも言えるわけがなかった。この気持ちをどう処理すべきか。アイの頭の中はいつも、その答えを探すための思考で埋め尽くされている。


「アイ? どうしたの、次はアイの番だよ?」


「──え? あ、ごめん」


 催促を受け、アイはタブレット端末に視線を落とす。考え事をしているうちに至福の時が過ぎ去ってしまったらしい。実に勿体ないことをしてしまった。


 アイの喜ぶ曲はどれか、と邦楽ランキング上位を漁っていると、


「でもさ、やっぱり私に恋愛なんてできないんじゃないかって思っちゃうよ。これで何連敗だっけ? 私って誰にも愛されてないのかなあ」


「そんなことないよ」


「え?」


 しまった、とアイは口を押さえた。曲選びに集中しているうち、半ば無意識に返事をしてしまったのだ。


「もしかしてアイ、私のこと好きな人に心当たりがあったり!?」


 テーブルを挟んで対面にいるイチカが身を乗り出してくる。セーラー服の胸元が際どいところまで露わになるのを、アイは思わず凝視した。


「な……ないと言えば嘘になるけど……」


「ほんとっ!? だれだれ、私のこと好きな人なんて勝ち確じゃん! ぜひ会ってみたいし、仲良くできそうなら付き合うのもやぶさかではない!」


「え……付き合ってくれる、の?」


「そりゃ付き合いたいよー、私のこと好きになってくれる人なんて今までいなかったんだもん。それで、相手はどんな人なの?」


「えと、それは……だから……」


 言葉に詰まる。会話の内容以上に、喋るたびに前のめりになるイチカの胸元が肌面積を増す。そちらへ意識が向いてしまったせいて、イチカが何をしゃべったのか聞きそびれた。


「うんうん?」


「だ、だから……わ」


「わ?」


「わたし……なんだけど」


 際どい体勢のイチカに迫られ、思わずアイの口から禁断の言葉が飛び出す。ぞくり、と背骨から脳までを寒気が駆け抜けた時には遅かった。


 告げてしまったからには押し切るしかない。テーブルがふたりを隔てていることなどお構いなしに、アイは逆にイチカの身体を押し返し、気づけば彼女が腰かけていたソファに押さえつけてしまっていた。


 一瞬前から完全に逆転してしまった二人の位置関係に、イチカは困惑の声を漏らす。


「ちょ……アイ?」


 顔どうしの距離が限りなく近い。まつ毛に未だ残る涙の粒までもがはっきりと見え、それは触れ合ったアイのまつ毛へと移っていった。アイの左手と右ひざで動きを封じられたイチカはただただ呆然として、豹変した親友の顔をぱちくりと見つめ返していた。


「ア──」


「わたしの気持ちが分かった?」


 堰を切ってしまった気持ちの急流はもう止められない。今まで封じてきた言葉の数々が、アイの口から矢継ぎ早に溢れ出す。


「好きな人からの恋愛相談を受け続ける胸の痛み。恋心を隠して笑顔を見せる辛さ。相手の想いが成就しないでほしいと思いつつ、変なことを言うと相談相手に選んでもらえなくなるかもしれないって葛藤。何より、自分以外に向けられた恋愛感情にずっと嫉妬してた。わたしはイチカが好き。歌ってる姿も、笑顔も、泣き顔も、諦めの悪いところも、ポジティブなところも全部! ──ねえ、イチカはどう? わたしのこと、好き?」


「そ、そりゃあ嫌いなわけないけど……」


 煮え切らないイチカ。目線をそっぽに向ける彼女の顔を向き直らせ、アイはなおも続けた。


「わたし、イチカに好きな人ができるたびに苦しかったよ。それでも、イチカにとってはわたしは一番の友達で相談相手じゃん。わたしがアドバイスしてあげなくて誰がしてあげるの、って思った。──ちょっといじわるはしちゃったけど」


「いじわる……?」


「イチカが好きだった男ね、最初から好きな子がいたのは知ってたの。だから少しわたしの気持ちも知ってほしいと思って、『最近困ってるみたいだから助けになってあげたら?』ってアドバイスしたの。だからこの結果はある意味わたしの予想通り。──どう、痛かった? イチカ」


 アイが耳元に囁きかけると、イチカの双眸からぶわっと涙が溢れ出した。


「ひ……ひどいよアイ。知ってたなら教えてくれたらよかったのに……」


「だから、わたしの気持ちも知ってほしかったの。傷つけるつもりは……あったけど。でもさ、わたしの心はそれ以上に傷ついてきたんだよ? 友達でしょ? ちょっとくらい、わたしと一緒に傷ついてよ」


「あ、アイ……なんか、怖……」


「わたしだって怖いよ! もう……訳が分からなくなってる。だってずっと隠してきたんだもん。女の子同士が普通じゃないなんて自分でも分かってる。でも理性と心が必ずしも同じとは限らないじゃん。──イチカと一緒にいてわたし、おかしくなっちゃったの。お願いだから助けてよ」


 言葉の端々から滲みだす本心。刺々しい気持ちを正面からぶつけられ、イチカの顔が痛みに歪む。


 詭弁だというのは明らかだった。イチカは既に告白を受けてもらえずに傷ついている。その痛みを和らげるための時間だったはずが、アイは傷口の上から塩を塗り込んでいるのだから。


 少しの沈黙。カラオケボックスなだけあって、防音はしっかりきいている。他の部屋の歌声すらも、二人の耳には届かなかった。


 自分の言った言葉で、最愛の人、同時に友人を失った。アイはそう覚悟してぎゅっと目を瞑った。


 次に口を開いたのは、イチカだった。


「──い、いいよ。私、アイと付き合う」


「……イチカ」


 違う。アイが口にしたのは告白などという代物ではない。脅迫か、憐憫か、彼女の温情への甘えだ。


 その返事がアイの望んでいたものであったとして、それは文面上をなぞった上辺だけの言葉にしか思えなかった。


 助けてほしい。それがアイの本心であったことは間違いないが、イチカの気持ちを捻じ曲げてまで付き合ってもらうことに意味など感じられなかった。


(でも、じゃあ──わたしは初めから、イチカに振られたかったんだろうか)


 自身よりも華奢なイチカの身体に覆いかぶさってまで引き出した言葉。アイが心の底から望んでいたはずの言葉。求めていたままの言葉にすらあれこれと文句をつけてしまうのなら、この気持ちは一体何だったのだろう。


「冗談だと思ってる?」


 アイの目に浮かんだ困惑を汲み取ったのか、イチカの両腕がアイの背に回る。返事をする間もない。抱き寄せられた、と気が付いた時には、互いの唇が合わさっていた。


 驚きで固まっている間にも唇は触れ合っている。びくりと跳ねた手足がコップを倒し、中のメロンソーダとコーラが床に零れて混ざり合った。


 どちらともなく離した唇の間に唾液の橋が架かる。時間にしてたった数秒だったキスは、アイにとっては永遠のように感じられた。


「──ど、どうし、て……」


「どうして、って、アイは私と、ずっとこうしたかったんじゃないの?」


「そりゃあ、そう、だけど……でもこんなのは!」


「違わないよ。私だってアイのことは好きだし。女の子どうしっていうのはまだよくわからないけど、アイが教えてくれるんでしょ?」


 覚悟と期待の眼差しが痛い。アイがイチカの傷口に塗り込んだのが塩なら、イチカがアイのずたずたになった恋心に振りかけたのは消毒液だった。正しい処置だったとして、それが痛みを伴わないとは限らない。それを体現したかのように心臓の鼓動が痛い。


「考えてみたら、私のことを一番好きな人、なんてアイしかいなかったね。どうして気付かなかったんだろ」


「隠してた……から。イチカはノーマルだと思ってた」


「そりゃ、今の今まで考えもしなかったけどさ。大事な親友が想ってくれてたんなら、話は別でしょ」


 再び接触する唇。赤面した顔がみるみる熱くなっていく。思考がオーバーヒートしそうになる。


 ──これは心中だ。


 イチカを傷つけたアイ。アイを傷つけたイチカ。互いが互いの心に痛みを残した。


 血は流れない。交わした言葉と気持ちのナイフが、互いの胸を抉り、深い傷跡となった。


(わたしはきっと、これから先ずっと、イチカのことを信じられなくなった)


 思考を止めることができたのなら、どれだけよかっただろう。


 彼女の言葉をまっすぐに受け止められたなら、どれだけよかっただろう。


 イチカの気持ちが本当なのか、それともアイがつけた傷を癒すために利用されているのか、あるいは自棄になったイチカが出した、全てを諦めた結論なのか。アイにそれを判別する術はない。


 その事実がまた、アイの心を斬りつける。その痛みを癒すことができるのもまた、イチカ以外にいない。


 今度はアイの方から、指を絡ませ、唇を合わせる。


 イチカからの愛を手放さないために、アイにできることはただ一つ。


(イチカの傷が癒える前に──新しい傷をつけなくちゃ)


 イチカの心が正常に戻ったら、彼女はきっとアイの手を離れてしまうから。


 イチカを繋ぎとめるために、アイは彼女を壊し続けなければ。


 こんな歪な形の関係を求めていたはずがない。僅かに残った理性がそう言う。


 それでも、イチカとの恋人関係が続くのなら。


 たとえ、共に相手の心に向けて刃を突きつけているのだとしても。


 甘美な言葉の響きに騙されていられるうちは──


 ──まやかしかもしれない愛と、幻の傷を抱えながら、心中しよう。

『傷心中』という文字を『傷∔心中』と読み違えたことから生まれた一発ネタです。

もっと造詣の深い人に扱ってほしい。

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