小さな光を大切に
夜の部屋の明かりは、まるで世界の端でひとりぼっちになったみたいに小さい。
机の上に置いたマグカップの底には、冷めた紅茶が少しだけ残っている。
スマホを眺めても、特に誰からの通知もない。
ふと、思う。
もっと、いろんな人とちゃんと関われていたら、今は少し違ったのかなって。
高校の頃、誰とでも話せるやつがいた。
いつの間にか輪の中心にいて、誰からも好かれてた。
それを見て羨ましいと思ったこともあったけど、同時にああはなれないとも思った。
自分は気の合う少数とだけ静かに付き合うほうが性に合ってる。
そう信じてきた。
でも、あの頃の「少数」はいつの間にか「ほとんどいない」に変わってた。
それに気づいたのは、ひとりで過ごす夜が増えた頃だった。
誰かの誕生日を覚えていたのに、気づけばその日を祝う相手がいない。
グループLINEはしばらく前から止まったまま。
「久しぶりに飲もう」って送るのも勇気がいる。
なぜだろう。
仲良くなれるはずだった人たちが、
いつの間にか自分の世界の外に置き去りになっていった。
思い出すと胸が痛くなる。
あのとき、もう少し話を聞けばよかった。
あのとき、ちゃんと謝っていれば。
そんな「もしも」ばかりが頭の中に積もっていく。
関わってきた人たち全員を大切にできてたら、
後悔もなかったのかもしれない。
でも、実際はそうじゃない。
目の前の誰かを大事にすれば、
別の誰かに目を向ける余裕がなくなる。
気づいたら誰かを疎かにして、
そしてその「誰か」は二度と戻ってこない。
関係って、壊れるときは音もなく崩れていく。
喧嘩なんてなくても、
会話が減って、返信が遅くなって、
気づけばただの「知ってた人」になっている。
たまにSNSで懐かしい名前を見かける。
写真の中の笑顔は、もう自分の知らない生活の中にある。
いいねを押す指が止まる。
押しても押さなくても、
あの頃の距離には戻れないと分かっているから。
それでも、彼らが笑っているのを見ると、
なんとなく安心する。
もう自分とは無関係でも、
その幸福がちゃんと続いているなら、それでいいと思う。
とはいえ、今から新しい友達を作るのは難しい。
そう思ってしまう。
表面だけの会話や、
どうでもいい連絡のやり取りに心を使う余裕がない。
それに、一度関係ができると、
また壊れるときの痛みを想像してしまう。
「どうせまた誰かと離れるくらいなら、最初から一人でいいや」
そうやって守りに入るたびに、
世界は静かになっていく。
でも、本当は知ってる。
このままでは、
誰かと笑い合う時間さえも思い出せなくなるってことを。
夜が長いのは、孤独のせいじゃなくて、
誰かの声を思い出せないからだ。
心が静かになりすぎると、
自分の中の後悔の声ばかりが響くようになる。
もう一度、誰かとちゃんと話せるようになれたら。
そう思うことがある。
けど、それは勇気がいることだ。
過去の痛みをもう一度味わう覚悟が必要になる。
だから多くの人は踏み出さない。
自分もその一人だ。
ただ、それでも思う。
もし誰かが、ほんの少し手を差し伸べてくれたら、
俺はたぶん、またちゃんと笑える気がする。
関係が壊れることを恐れて生きるより、
それでも誰かを大切にできたほうが、
きっと少しだけ、人間らしい。
紅茶を飲み干す。
カップの底に残った影が揺れている。
もう夜も遅い。
スマホの画面には、誰からの通知もない。
それでも、
明日こそは誰かに「元気?」って送ってみようか。
そんなことを思いながら、
小さく笑って明かりを消す。




