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十時を回るころ、オレはぼんやりと目を開ける。遅刻はいつものことだ。授業なんてつまんねぇし、大した意味もない。三時間目のあとが昼休みだから、それまでに間に合えばいい。二時間目が終わったくらいに学校に着くのがベストだ。こんなオレを、はじめのうちこそ、両親は注意したが、最近では諦めている。
穿きなれた靴を突っかけて、家をでる。
途中、コンビニに寄り、朝昼食のパンを買う。それがオレの日常だ。
しかし、教室に入ったとき、再び、オレの日常は崩れ去った。
休み時間のはずなのに、アキが独り、自分の椅子に座っている。
アキの周囲には誰もいない。
ひそひそと陰口が聞こえる。
「アイツ、エイズになったらしいよ」
「逆タマねらってうつされたんだって」
「馬鹿みたい」
そんな声が聞こえる。
アキは、そんな中、黙って俯いているだけだ。
「アキっ!」
「シュンっ!」
オレに気付き、アキの表情が晴れる。
オレは、アキのそばに駆け寄った。
近付くにつれ、机書いてある酷い落書きが見える。白い修正液で書かれた見るに耐えない落書き。
『ビッチ』
『淫売』
『アタシ、売春してるの~。今夜安いよー~』
オレは、もう、何も考えられなかった。
「っざけんなよ、テメェら!!」
男だろうが、女だろうが関係ない。目に付くヤツを片っ端からぶん殴った。
机を蹴飛ばし、放り投げ、暴れた。
後のことなんてどうでもよかった。
自分のこともどうでもよかった。
ただ、許せなかった。それだけだ。
20人ほど、殴り飛ばしたところで、体格のいい体育教師達が、走ってくるのが見えた。
かまわず暴れるが、数人がかりで押さえ込まれる。
「離せよ! テメェら! 離せっつってんだろうが! クソッ!」
オレはまるで、警官隊に包囲された強盗犯のように、無様に押さえ込まれ、そのままオレは生徒指導室へ連行された。
後に残ったのは、痛みにうめく生徒達と、怯えた兎のような目で立ちすくむアキだった。
学校にいるアキのことを考えると、いてもたってもいられない。
だが、今のオレに出来ることは無い。
『処分が決定するまで無期限の自宅謹慎』
それが、オレに科せられたとりあえずの罰則だった。
傷害罪×20人だ。警察沙汰になるかも知れないし、退学もある。
でも、オレは後悔していない。学校なんて下らない。授業なんてつまらないし、意味もない。高校くらい卒業しても中退しても、アルバイトで食っていけばいい。うるさい親から逃げ出して、フリーターしながら気ままな独り暮らしをはじめるだけだ。
ただ、アキのことが気がかりだった。
今、アキは何をしているんだろう? 誰があんな酷いことを始めたんだろう?
「あー、クッソっ!」
オレは寝起きのままの髪をかきむしった。
今すぐ学校に行って、アキの様子を確かめたい。
だが、行っても、また体育教師連中に取り押さえられるだけだ。
手は空いているだが、何も出来ない。もどかしい。
――ピンポーン――
そんな時、ドアチャイムがなった。
こんなに昼間に来るのは、何かの宗教か新聞の勧誘ぐらいだ。居留守を決め込む。
――ピンポーン――
もう一度、チャイムが鳴る。しつこいヤツだ。
――ピンポーン――
――ピンポーン――
――ピンポーン……
くそ、やかましい。しつこいにも程がある。
オレは、身体を起こし、玄関へと向かった。気が立ってるときに、神経かき乱すようなマネしやがって、一発、カマしてやる。
玄関のドアに手をかけ、その向こうにいるヤツに当てるつもりで思い切り開け放った。
ガツンと、硬いものに当たる。
「痛っ」
その声は、オレが良く知っている相手だった。
オレの目の前に額を押さえ、へたり込んでいるのはアキだった。
「わ、悪い、どうして、お前ここに? 学校はどうしたんだよ」
「あはは、それは、あれだよ。うん、早退した」
「まぁ、誰もいねぇから。とりあえず、あがれよ」
「うん、おじゃましまーす」
元気そうで安心した。散らかっているが仕方ない。オレの部屋へと通す。
「昨日のアタシの部屋ほどじゃないけど、掃除しなよー」
「んなことはいい、あの後、何にもなかったか? 変なことされなかったか?」
「うん、あの後、急に気持ち悪くなってね」
「そうか……」
「それでね、聞いて、シュン。昨日、あのまま、ゴムなしでしちゃったよね……」
「おい、まさか……」
色々起こりすぎて、頭のなかがパンパンだ。いや、落ち着け、オレ。アキは取り乱している様子も無い。情けねぇぞ、オレ。
「うん、妊娠してた」
「……そっか」
信じられなかった。か細いアキの身体にオレの遺伝子が入ってる。オレの分身が育っている。子供、子供か……。
「アタシ、生むよ。シュンの子供だもん。親とか関係ない。なんとかして育てるよ。学校もいじめられるし、嫌になったからもうやめる。それで、育てるよ。親が反対したら家出してもいい」
「アキ……」
そこまで、オレのことを……決めた。オレは、もう決めた。
「オレも学校辞めるよ」
「シュン!?」
「辞めて働く、仕事する。正社員にはなれないかも知れないけど、アルバイトでもなんでもする。そうしたら、なんとかなる。あんな学校なんて行かなくて良い。こんな家もさっさと出て行く。親だまして、実印借りて、引っ越せばいい。もう、吹っ切れた」
「シュン……ありがとう」
アキが、肩を震わせている、その瞳は潤んでいた。
オレは、ゆっくりと両肩に手をやり、アキをそっと抱き寄せた。
「さて、そうと決まれば、アパートでも見に行こうぜ」
「うんっ♪」
アキと二人で不動産屋をまわる。グレードに希望は無いが、なかなか見つからない。
高校生に部屋を貸してくれるような、話のわかる大家がいないのだ。
親同伴で、直筆のサインが無ければ、部屋を貸せないという大家ばかりだ。
脚を棒にして歩き回る。オレにとってそれは苦痛ではなかった。学校を辞めて、アキと子供のために金を稼ぐ。そんな目標がオレにある。そのためにはこれくらいのこと、なんてことはない。
次の不動産屋へ向かいながら、俺の隣を歩くアキを見る。アキもオレを見て笑っている。
「なかなか見つからないね」
「ああ、しょうがないさ。もっと頑張って探そう」
「うんっ」
アパートを探し始めてからほぼ半日が過ぎていた。茜色の夕焼けが見える。綺麗な夕焼けだった。
ふと夕焼けに影が差す。逆光になって顔がよくわからない。目をこらす。オレの知っている顔、その主はシナミだった。そういえば、あの教室にシナミは居なかった気がする。
「二人して、なにやってんの!? 学校サボって昼から行ったら、アキは早退、シュンは自宅謹慎だって言うし、心配したんだから」
「まぁ、色々あったんだ。なぁ、アキ」
「うん」
「それじゃわかんない。説明してよ、私だけ置いてかないで」
シナミが声を荒くする。オレがアキの所に行くために早退した日も、シナミはアキのことを心配していないようで、人一倍心配していたのかもしれない。やっぱり、シナミは良いヤツだ。
「わかった、わかった。説明してやるよ。近所の公園でも行こうぜ」