杜撰な計画(前編)
誰もが完全犯罪を目指す。だが、誰もたどり着けない。
取調室に現れた石橋康史は、闘志満々の顔をしていた。
これから始まる取り調べで、決してボロを出さないぞと気合を入れているのだ。
「こちらに座ってください」と森が椅子を引いて着席を促す。「ああ、はい」と石橋が頷く。森の丁寧な態度に、気勢をそがれた様子だった。
だが、森は甘くない。先制パンチをお見舞いする。
「永野雄一さんを殺害したのは、あなたですね?」
森の不意打ちに石橋は面食らったようだった。「ば、馬鹿な。永野を殺したのは前原未希子ですよ。証拠も見つかっているのでしょう?」と唾を飛ばしながら答えた。
神奈川県警刑事部捜査一課の刑事、森倫太郎は五十過ぎ、広い額と虫のように跳ね上がった細い眉、薄い唇、そして抜群の頭脳を持っている。森は相棒の石川肇と共に石橋康史の鳥取り調べに臨んでいた。
石川肇は小柄な森と違って、背が高い。小柄な森と並ぶと親子に見える。分厚い胸板に、えらの張った顔、肉体派の刑事だ。
二人は周囲から文豪コンビと呼ばれている。漢字は違うが、誰もが知る文豪二人と同姓同名だからだ。森鴎外の本名が森林太郎で、石川啄木の本名が石川一なのだ。
「ナイフに彼女の指紋がついていたことですか。それは、あなたが彼女にナイフを握らせて指紋をつけたからです。無理にナイフを握らせたものだから、指紋がついている場所が変だった。あれじゃあ、きっちりナイフを握ることができない。人は刺せません。そこまで気が回らなかったようですね」
「うむむ・・・」と石橋が呻く。
「永野さんと前原さんは不倫関係にあり、永野さんは前原さんとの関係を清算したがっていた。それを知った、あなたは永野さん殺害に前原さんを利用することを思いついた。前原さんを誘拐、監禁し、アリバイを無くておいて、永野さんを殺害した。永野さん殺害に使ったナイフを前原さんに握らせることで、ナイフに彼女の指紋を残すと、現場にナイフを残しておいた。我々の捜査をミスリードする為に。そして、前原さんをビルの屋上に連れて行くと、そこから突き落とした。こうして完全犯罪が成立するはずだった」
「しょ、証拠はあるのか⁉」と石橋が声を上げる。
興奮した時点で石橋の負けだ。知らず知らずの内に、森のペースに引き込まれてしまっている。
「永野さんを刺殺した時、返り血を浴びたでしょう。あなた、証拠を残さないことに夢中になっていて、ナイフ以外、前原さんに証拠を残しておくことを考えなかった。前原さんが永野さんを殺害したのなら、彼女、返り血を浴びていたはずだ。あなたがナイフを握らせたので、手からはルミノール反応が出ましたが、彼女の服からも靴からも、血液反応が出ませんでした。変でしょう?」
「き、着替えたのだ」
「いいえ。服は汚れが目立ち、両手首と足首には拘束の跡が見られました。監禁されていたのです」
森は何時も通り、じわじわと被疑者を追い込んで行く。
「服が汚れていたからって、犯行後に、服を着替えていないとは言い切れないじゃないか!」
「彼女の部屋を調べましたが、服を着替えた形跡はありませんでした」と横から石川が口を挟む。
森が石橋に言う。「百歩譲って、彼女が服を着替えたのだとしましょう。でもね、あなた、目視で確認しただけでは分からないものですが、意外に血痕が残っているものなのです。服以外、顔や首筋など、露出している箇所にね。そういった箇所から血液反応は出ていません。
ああ、それに、あなたが履いていたズボン、調べさせてもらいました。ダメですね~ズボンの折り返し、裾上げの部分、確認しましたか? あなたのズボン、裾上げがダブルになっていて、折り返しの部分に血痕が残っていましたよ。調べたら永野さんのDNAと一致しましたよ」
「うっ・・・ぐっ・・・」
石橋がうめき声を上げた。