生涯の伴侶ではない(前編)
最初は銀行強盗を想定してプロットを練っていた話。
「相手は刃物を持っていました。僕、正当防衛ですよね?」
塩田元春がすがりつくような眼で訴えた。塩田は大学生、アルバイトに励む、平凡な若者だ。痩身、長髪で前髪が顔の半分を覆っていて、人相がはっきりと分からない。スタイルは良いので、顔にコンプレックスを持っているのだろう。
「はい。あなたは人質となっていたのですから、当然、正当防衛が成立するでしょう」と森が答えた。
神奈川県警刑事部捜査一課の刑事、森倫太郎は五十過ぎ、広い額と虫のように跳ね上がった細い眉、薄い唇、そして抜群の頭脳を持っている。
「良かった・・・」
「但し、あの強盗事件が本当にあったのならです」と森が言い添えた。
「な、何を言うんです! 強盗事件が本当にあったのなら――だなんて。本当にあったに決まっているでしょう。それに、警察官が目撃だ!」と塩田は血相を変えて言った。
「事件について、おさらいしておきましょう」石川が口を挟んだ。
石川肇は森の相棒だ。小柄な森と違って、石川は背が高い。二人が並ぶと親子に見える。分厚い胸板に、えらの張った顔、肉体派の刑事だ。
二人は文豪コンビを呼ばれている。森鴎外の本名が森林太郎で、石川啄木の本名が石川一だからだ。
「あの夜、深夜二時過ぎ、あなたがアルバイトをしているコンビニに強盗が入った――」
菊池将仁、当時二十五歳が、塩田がアルバイトをするコンビニに強盗に入った。刃物をつきつけ、金を出せと迫った。塩田は警察に通報、押し問答をしている内に警察官が駆け付け、菊池は塩田を人質にしてコンビニに立て籠った。籠城してから二時間後、隙を見て逃げ出そうとした塩田と菊池がもみ合いとなり、刃物を奪った塩田が菊池を刺殺した。
血まみれでコンビニから出来た塩田はコンビニを取り囲んでいた警官隊に保護された。
「以上が事件の概要ですが、間違いありませんか?」
「はい。間違いありません」
「変ですね~強盗から刃物を突き付けられて、金を出せと言われたのでしょう。普通、さっさと金を渡してしまうのではありませんか? それなのに、警察官がかけつけまで、あなたは押し問答をしている。それに、一体、何時、警察に通報したのですか?」
始まった。森はじわじわとだが、確実に獲物を追い詰めて行く。
「そ、それは・・・」と塩田は口籠った後で、「店に入って来た時から、あいつ、怪しかったのです。手に刃物を持っていたので、警察に通報しました。店に入ってから店内をうろうろして、レジに来たのはそれからです」
「なるほど。刃物を手に店に入って来た訳ですね。それは怖かったことでしょう」
「はい。正直、ビビりました」
「コンビニに防犯カメラ、あるのご存じですよね?」
「知っています」
「防犯カメラの映像、確認させてもらいました。店に菊池が入って来た時点で、あなた、何処かに電話をかけています。警察に通報したのですね?」
「だから、そうだと言っているでしょう」と塩田が眉をひそめる。
「手に刃物を持っているようにみえませんでしたけど」
「僕には、はっきり見えました」
人相を誤魔化す為だろう。菊池は帽子を被り、サングラスをかけ、マスクをしていた。夜中にサングラスをかけていると、返って目立つ。
「それから菊池は店内をぶらぶらしてからレジに向かっている。一言、二言、あなたと会話をしてから、あなたかカウンターを出て、店の入り口をロックしている」
「はい。あいつに誰も入って来ることができないように店の扉を閉めておけと言われました」
「変ですね~それだと、金を奪って逃げだすことが出来ないじゃありませんか」
「知りませんよ。そんなこと。僕、あいつに言われたことをやっただけです」
「そこから、カウンターに戻って、あなたはレジのお金を菊池に渡している」
「だって、あいつ、強盗だったのですから」
「その時、警察官がかけつけ、あなた方二人は事務室に移動した」
「事務室には防犯カメラがありませんからね」
「あなたが引っ張って行ったように見えましたよ」
「そう見えただけです。あいつに、何処か隠れる場所に連れて行けと言われて、事務所に連れて行っただけです」