あの時、あなた(後編)
「以上が事件の概要です」と石川が説明を終えると、待ってましたとばかりに森が会話を奪って行った。「あなたが秋山さんを殺した犯人であるはずがない。我々はずっとそう思い込んでいました。息子さんを命がけで助けようとした彼を、あなたが殺害するはずない。はなからそう決め付けていたのです。テレビ・カメラの前で、秋山さんへの感謝の言葉を語っていたあなたが、秋山さんご夫婦を殺害した犯人であるはずがない。そんな先入観にとらわれていたのです。ですが、河井さん。あなたは息子さんの恩人であるはずの秋山さんを逆恨みしたのですね」
「ば、馬鹿なことを言わないで下さい」
森はまるでその言葉が聞えなかったかのように、「福田八重さん。ご存知ですよね?」と河井に顔を寄せて尋ねた。
「福田さん? さあ、存じ上げないと思います」河井の表情はどこか空ろだ。
「おやおや、変ですね~あなたのご子息、虎男君が亡くなられた河川敷の近くに住む主婦の方です。福田さんはあなたのこと、よくご存知だとおっしゃっていましたよ」
「あ、ああ~河川敷でよくお会いするご夫人のことでしょうか? すいません、名前までは存知挙げなかったものですから――」
「まあ、そういうことにしておきましょう。福田さん、毎日、朝晩二回、河川敷を散歩するのを日課としているそうです。年々、足腰が衰える一方なので、娘さんから近くの河川敷でも散歩しなさいと、家から追い出されてしまうとおっしゃっていました」と言って、森は「うふふ」と笑った。少々、気持ち悪い。「あの日も福田さん、散歩をしていらっしゃいました。ご老人です。朝晩と言っても午後の散歩は結構、時間が早い。そこで福田さん、目撃してしまったのです」
「な、何を・・・」
「ご存じのはずですよ。あなた、福田さんから直接、聞いていたはずですから。虎男君が溺れている時、秋山さん、直ぐに飛び込んで助けに行った訳ではないのです。それはそうでしょう。子供を助けようとして、返って溺れて亡くなる方が、毎年、後を絶たない。子供であっても、溺れた人を助けるのは危険を伴うのです。秋山さんは躊躇した」
「うぐぐ・・・」と河井は顔を歪めた。
「結局、虎男君が動けなくなり、水面に浮かんでしまってから、秋山さんは川に飛び込んで引き上げた。福田さんは、その一部始終を見ていた。もう少し、早く、飛び込んで助けてあげればと思ったようですが、まあ、それだけなら、仕方ない面もあります。ですが、事件の後、秋山さんがヒーローとしてもてはやされるのを見聞きしている内に、それは少し違うんじゃないかと思ったようです。だから、河川敷にやって来た、あなたを見つけた福田さんは、つい、そのことを話してしまった」
河井は顔を真っ赤にして、拳を握り締め、「あいつ・・・あいつ・・・」と呻いた後、「虎男を見捨てておいて、地元の英雄気取りで、市長選に打って出るなんて、言い出したのを見て、こんなやつ、生かしておいから、世の為、人の為にならないと思ったんだ!」と吐き捨てるように言った。
「世の為、人の為? おや、あなたも英雄気取りですか。先ほども言いましたが、子供であっても、溺れた人を助けるのは危険を伴います。秋山さんの行動は、褒められたものではないかもしれませんが、責められるべきものではありませんよ‼ しかも、何の罪もない奥さんまで巻き添えにしている。あなたのやったことは、卑劣な犯罪に過ぎません!」森の怒りが爆発する。
「くっ!」河井ががくんと肩を落とした。
これで、秋山夫婦殺人事件は解決だ。
文豪コンビにまたひとつ、新たな勲章が加わった。
犯人の同期が分からない。そんなトリックを考えていて思いついた作品。何処かで使おうと思っていたのだが、使う機会も無かったので、ここで試してみた。