落ちた姉弟(後編)
「人の欲には限りがありませんね~」
諒太郎からの事情聴取を終えた森が言った。
「おっしゃる通りです。億単位の遺産を相続できるのに。私なら、それで十分、満足できます。でも、彼の言うことにも一理ありますね」
「伸次郎氏が朱里さんを殺害し、誤って一緒に落ちたという、あれですか?」
「いえ。遺産がらみの犯行だと言うことです」
「ああ。私も同感です。朱里さんと伸次郎氏が亡くなった今、その恩恵を被るのは諒太郎氏、一人ということになりますね」
「最大の受益者が怪しいと思います」
「そうなります。折角、伸次郎氏が怪しいと諒太郎氏が言ってくれたのです。事件性有りと報告をして、鑑識に徹底的に調べてもらいましょう」
諒太郎は墓穴を掘ったのかもしれない。二人の転落死に事件性が認められたことで、新浪邸に鑑識が入った。
「諒太郎氏が、遺産相続目的で二人を殺害したとすると、一体、どうやって二人を転落死に見せかけて殺したのでしょうね」と森が石川に尋ねる。
「伸次郎氏の部屋には鍵が掛かっていませんでしたから、部屋に行き、言葉巧みに伸次郎氏をベランダに誘い出し、突き落としたのでしょうね」
「伸次郎氏の部屋は二階ですよ。天井の高い洋館でしたから、打ちどころが悪ければ、死亡することがあるでしょうが、高さが足りないのではないでしょうか」
「まあ、そうですね」
「朱里さんの殺害は? 部屋のドアには鍵が掛かっていましたよ」
「難しいですね。諒太郎氏の部屋は朱里さんの部屋の真上にあります。三階のベランダから二階のベランダに降りることが出来るのではないでしょうか?」
「確かめてみる必要がありますね」
「新浪邸に行ってみましょう」
「その前に――」と言って森が歩き始めた。
石川は黙ってついて行く。行き先は鑑識に決まっている。
鑑識で分析結果を手に入れた後、二人は新浪邸へ足を運んだ。
三階の朱里の部屋に行く。
ベランダに行き、四階と行き来できそうか確かめてみた。
広々としたベランダだ。一メートル程度の高さのフェンスで囲まれており、ここから誤って落下する可能性は高くない。落ちたとすれば、自分の意志か、他人に突き落とされたのだ。
三階のベランダから四階のベランダに上がるには、フェンスの上に立って、四階のベランダに手を伸ばさなければならない。そもそもフェンスの幅は十センチ程度しかなく、ここに立つことは難しい。うっかりここから転落すると助からないだろう。
それに、四階にも当然、フェンスがある。上手くフェンスに立って手を伸ばしても、天井の高い洋館なので、とても四階のフェンスに手を掛けることなどできなかった。フェンスの上に立って、ジャンプしても届かないだろう。
壁沿いの部分など、何処か足掛かり、手掛かりを探したが、使えそうなものは何も無かった。
「上からロープを垂らして降りて来たのではないでしょうか?」と石川が言う。
「諒太郎氏の部屋から、ロープは見つかっていませんよ」
「処分してしまったのかもしれません。或いは――」と石川が考えを言うと、「恐らくそうでしょう」と森が同意した。
「さて、上の階にいる諒太郎氏を訪ねましょう」
諒太郎の部屋を訪ねた。
もうじき昼なのに、「ああ、刑事さん。まだ何か?」と諒太郎は寝ぼけ眼で二人を出迎えた。
「すみません。少々、お話を伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「じゃあ、応接間で待っていてください」
「ああ、ここで結構ですよ」
「そうですか。散らかっていますが、どうぞ」
森と石川は諒太郎の部屋に入った。
広い部屋だ。「うちのリビングより広いな」と石川が呟いた。一人には広すぎるベッドに大画面テレビ、それにゲーム機が繋がっている。立派な机に、机に不似合いのゲームチェアがあった。
「ベランデでお話ししましょう」と森が諒太郎をベランダに連れ出した。
「あれは伸次郎がやったことです。そう言いましたよね」
相変わらず諒太郎は伸次郎犯人説を主張する。
「伸次郎氏が朱里さんを殺害し、その後、誤って転落したとすると、清水さんが聞いた物音の説明がつかないのです。最初の物音がして一分くらいして、また物音がしたそうです。三階のベランダから朱里さんを突き落とし、その後、同じように転落したことになります」
始まった。森が獲物を追い詰めて行く。
「朱里を殺してしまったことを知り、後悔の念から飛び降りたのでしょう」
「自殺ですか?」
「その可能性は高いと思います」
「なるほど。筋は通りますが、それだと何の為に朱里さんを殺したのか分からなくなってしまいます。朱里さんを殺して遺産の分け前を増やしたかったのでしょう? 何故、自殺する必要があるのです?」
「それは・・・うん・・・そうだ。遺産目的でなかったのさ。朱里に恨みがあった」
「一体、どんな?」
「さあね。伸次郎が死んじまった以上、もう誰も分からない。ああ、そうだ。朱里を殺して、自分の部屋に戻ろうとしてベランダから落ちたんじゃないかな」
「確かめました。ベランダにはフェンスがあって、お屋敷は天井が高くて、ベランダからベランダに降りるにはロープが必要です」
「じゃあ、ロープを使って降りようとして落ちたのさ」
「いえ。それだと三階のベランダにロープが残っていたはすです。残念ながらロープはありませんでした」
「・・・」
「あなたの部屋にロープがあると思ったのですけどねえ~」と森がいやらしく語尾を伸ばしながら言った。
「僕の部屋に? ある訳ないじゃないですか⁉」
「伸次郎さんの部屋でロープが見つかりました」
「やっぱり伸次郎だ! あいつが朱里を殺したのだ」
「先ほども言いましたが、伸次郎さんの部屋にロープがあったとしても、使い道が分かりません。あれは、あなたが事件の後、どさくさに紛れて伸次郎さんの部屋に隠したものです」
「な、何故、僕がそんなことをしなければならないのですか⁉」
「あなたが伸次郎さんを殺害したからです」
「馬鹿馬鹿しい!」
「あなたは伸次郎さんに朱里さんを殺害して遺産を増やそうと持ち掛けました。そして、殺害計画を練った。伸次郎さんが朱里さんの部屋を訪れ、ベランダに誘い出し、朱里さんを突き落とします。部屋のドアに鍵をかけ、四階のあなたにベランダからロープを垂らしてもらい、それを使って、伸次郎さんは四階に上がります。朱里さんの部屋は密室となり、朱里さんの転落死は事故、或いは自殺と考えられるに違いない。それが最初の計画だった」
「・・・」
「ところが、あなたは気がついてしまった。三階から四階に登って来る伸次郎さんを突き落としてしまえば、邪魔な二人を一気に始末することができることに」
「うむむ・・・」と諒太郎が呻く。
「だから、僅かな時差で二人の人間が転落死したのです」
「ま、待て。証拠は、証拠はあるのか⁉ 僕が伸次郎を突き落としたという証拠があるのか!」
「う~ん」と森が困った顔をする。
この辺、妙に芸達者だ。本当、嫌らしい性格をしている。森の顔を見て、一瞬、諒太郎が勝ち誇った表情になった。それを、森が打ち砕く。
「伸次郎さんも馬鹿じゃない。彼は朱里さん殺害の実行犯だ。あれは伸次郎さんがやったことだ。僕は知らないと、あなたに梯子を外されてしまうと、どうしようもなくなる。そのことを恐れていたようです」
「えっ・・・」諒太郎が絶句する。
「彼の部屋から押収した携帯電話を調べてみたのです。すると、ありました。あなたとの会話を記録したものが。しかも動画で。伸次郎氏は部屋に隠しカメラを仕込んで、あなたとの会話を録画したようです。余程、あなたの裏切りを警戒していたのですね。それも無駄でしたけど」
鑑識が押収した証拠品の中に伸次郎の携帯電話があった。その解析を進めたところ、犯行の打ち合わせをする二人の動画が見つかったのだ。
「ぐぬ・・・」と諒太郎が悲鳴を上げた。
そして、諒太郎は、「朱里を殺そうと言い出したのは伸次郎だ。僕は、その計画を利用しただけだ~!」と喚きながら、警察に連行された。