落ちた姉弟(前編)
「ウコンさん。事件です」
神奈川県警刑事部捜査一課の刑事、石川肇は相棒の森倫太郎のことを「ウコンさん」と呼んでいる。ドラマに登場する名刑事、杉山右近に似ているからだ。「何故、ウコンなのか?」と聞かれた時、「ドラマに出て来る名刑事に似ているからですよ」と答えると、「私は名刑事などではありませんよ」と口では言っていたが、あだ名を気に入った様子だった。
以来、ウコンさんだ。
「分かっていますよ。緊急招集がかけられたということは、事件だということです」と森は当たり前のことを言うなという口調で言った。
「そうですが・・・」
言葉の綾だ。
「それで、どんな事件なのです? 事件の概要を説明してください」
「はい」と石川が事件の概要を説明する。
亡くなったのは新浪朱里、新浪伸次郎の姉弟。死因は転落死だ。自宅のベランダから転落したものと見られている。
「二人共、転落死ですか⁉」
森が驚く。確かに不自然だ。
「そうなのです。転落場所が近くでしたので、二人、もみ合いになって転落した可能性があったのですが、家人によると、デサッっという音がしてから、暫くしてからもう一度、デサッという音がしたということです」
「デサッですか?」
擬音はどうでも良いだろう。
「最初の音が聞こえてから、次の音が聞こえるまで、一分程度、時間があったということで、二人は同時に転落した訳ではなさそうです」
「そうなると、一体、何故、二人は同じ場所に転落したのでしょうね」
「そこが気になります。先ずは現場を見に行きましょうか」
「そうしましょう」
二人は新浪邸に向かった。新浪邸は横浜市の中区にある。高い塀に囲まれた一軒家、四階建ての洋館だ。立派な門があり、館の前には車寄せまである。
新浪家は不動産会社を経営する新浪輝明の邸宅であり、要は大金持ちの家だ。新浪輝明は先月、病死している。
被害者たちは三人兄弟で、もう一人長男の新浪諒太郎がいる。諒太郎~朱里~伸次郎の順だ。
「先ずは現場を見てみましょう」
一階部分には居間、客間、キッチン、ダイニング、風呂、トイレ等の共用スペースとなっている。二階以上が住人たちの部屋だ。
被害者たちは一階の裏庭に面したテラスで死んでいた。手入れの行き届いた庭で、パラソル付きのテーブルがあり、ここで庭を眺めながら、お茶を楽しむことができる。
テラスの上には被害者たちの部屋がある。二階が伸次郎、三階が朱里、四階が諒太郎の部屋と上の階から兄弟の順番で並んでいた。
二階の伸次郎の部屋、若しくは三階の朱里の部屋のベランダから転落したものと見られている。古い洋館とあって天井が高い。テラスの床はコンクリート製になっており、二階からでも落ちるとただでは済まないだろう。
遺体の損傷具体から見て、三階の朱里の部屋から転落した可能性が高いと思われた。検死の結果、二人共、死因は転落のショックによる全身打撲だった。
「先ずは遺体の第一発見者から話を聞いてみましょう」
遺体の第一発見者は住み込みの家政婦、清水愛という中年の小太りの女性だった。応接間に来てもらい、清水から話を聞いた。
「新浪様は二年前に奥様を亡くされ、家に女手が必要でしたようですので、私が住み込みでお屋敷に上がり、ご家族のお世話をさせていただいております」と丁寧に説明された。
少々、話がくどかったが、要約すると、夜九時過ぎ、裏庭から物音がした。清水の部屋は三階にある。裏庭には面していないので、物音は大きくなかったが、それでもはっきりと聞こえたと言う。
何だろう?と思っている内に、再び、どさりとものが落ちる音がした。流石に、気になり、一階に降りて、裏庭を見に行った。
昼間は通いの家政婦や執事、庭師などがいるが、夜は三兄弟と清水だけだ。
そして、テラスに倒れている二人を発見して、慌てて救急車を呼んだ。
「直ぐに、朱里さん、伸次郎さんだと分かりましたか?」
「当たり前です。二年もお仕えしているのですから」
「それで――」
「救急車を呼んで、諒太郎様に知らせに行きました」
「彼は部屋にいましたか?」
「いらっしゃいました」
「朱里さん、伸次郎さんの部屋を見ましたか?」
「入院ということになれば、お着換えなど、必要になりますから、部屋にお伺いしました」
「それで?」
「伸次郎様の部屋のドアには鍵が掛かっておりませんでしたが、朱里様の部屋のドアには鍵がかかっていて入ることができませんでした」
「鍵がかかっていた⁉」
何故か森が驚いた。何か考えがあるのだ。
「ええ。そうです。幸い、合鍵がございますので、それで鍵を開けました」
「なるほど。最近、三人の様子はどうでしたか?」
「ご主人が亡くなったばかりで、ご兄弟はぎすぎすしておりました。何かあるのではないかと、ひやひやしておりました」と清水は言う。
「どういう意味でしょう?」
「言葉通りの意味でございます」
「このような豪邸にお住まいの方々ですから、遺産相続で争いが起きても不思議ではありませんね~」と森が世間話のように言う。
「お金が無いのというのも不自由なものでございますけど、あればあったでトラブルの種となってしまうものです」と清水がしたり顔で答えた。
「その通りですね~」
どうやら残された三人の子供たちの間で、遺産相続を巡り争いがあったようだ。となると、生き残った長男の諒太郎に疑いの目が向く。
「長男の諒太郎氏から話を聞いてみましょう」と石川が言うと、「そうしましょう。きっと何か知っているでしょう」と森が頷いた。
清水に諒太郎を呼びに行ってもらった。
諒太郎は応接間にやって来ると、「あれは伸次郎の仕業です」と開口一番、言った。
「伸次郎さんの仕業? どういうことでしょう」
森は不意討ちを嫌う。
「親父の遺産に目がくらんだ伸次郎が分け前を増やしたくて、朱里を殺しに行った。ベランダから説き落そうとして、誤って一緒に落ちてしまった。それが今回の事件の真相です」
「ほう~面白い。何か証拠でもあるのですか?」
「証拠なんてありませんが、少し考えれば分かります」
「そうですか。伸次郎さんは、遺産分与を増やしたくて、朱里さんを殺害した。何故、あなたではなく、朱里さんを狙ったのでしょう」
「それは・・・」と諒太郎は一瞬、考えてから、「ひとつは女性で与しやすいからでしょう。それに、もうひとつは朱里が死ねば、僕を殺すより分け前が増えるからです」と答えた。
「あなたを殺すより分け前が増える?」
遺産分与は公平ではなかったようだ。
「あいつ、親父のお気に入りでね。親父は、俺たちにはした金しか残さなかったのに、朱里には会社の全てを残しやがった」と諒太郎が憎々し気に言った。
新浪輝明は後継者として朱里を選び、株式や不動産始め、会社の全てを残した。諒太郎と伸次郎の二人の息子には主に現預金を遺産として残したようだ。二人の息子は後継者としては失格で、長女の朱里だけが経営の才を受け継いだということだろう。
それでも二人の息子が手にする現金は億単位のはずだ。
「昨夜のことをお聞かせください」
「昨夜? ああ、俺、テレビ見ていたんで、何があったのか、全然、気がつかなかった。清水さんが、大変ですと呼びに来て、初めて気がついた」
「この部屋は朱里さんの部屋の真上ですよね。二人がもめていたなら、人の争う声が聞こえたのではありませんか? 下が騒がしいとは思わなかったのですか?」
「思いませんでした。うちはつくりの良い屋敷で、防音がしっかりしていますからね。ここも親父、いや、会社名義になっていて、朱里が継ぐことになっていました。あいつ、遺産相続の手続きが終われば、僕たちには屋敷を出て行ってもらいたい――なんて言っていました」
諒太郎にも朱里を殺害するに足る動機があったようだ。