第10話 私は初物トウモロコシが食べたい(1)
美味しく調理された季節の野菜が食卓に並ぶ。
幸せな夢から覚め、現実に戻った私はむくっと起き上がる。
携帯画面から放射される光に目を細ませ、今が三時五十五分で目覚ましが鳴る五分前だと確認する。
早朝、日が昇るよりも早い時間のせいか、叔母の栃尾采萌さんに貸し与えられた洋室六帖の部屋の中はまだうす暗い。
「ふわっ……ん――」
人前では見せられない大きな欠伸をし体をグッと上へ伸ばす。
明かりを点けようと照明からぶら下がる紐へ手を伸ばすが空振ってしまう。
寝ぼけているせいか、実家で沁みついた癖が出てしまった。
気を取り直して枕台にあるリモコンへ手を伸ばすが、視界が暗闇に順応してきたからそのままベッドから下り、学校制服へ着替えてしまう。
「うう、寒い……」
温かくなってきたとはいえ、この時間はまだ肌寒く感じる。
エアコンをつける程でもないが、体調には気を付けたほうがいいかもしれない。
空気も澄んでいるのか、カーテンを開けた窓からは星も輝いて見えた。
着替えた後は脱衣所で歯を磨き、顔を洗う。
化粧水や乳液をさっと付け、髪を梳かし、身嗜みを整えてからリビングへ。
「采萌さん、おはよう」
「んー、苺おはー」
采萌さんは一瞬だけ私と目を合わせ、すぐにタブレット画面へ視線を戻す。
「白湯飲むけど、采萌さんはコーヒーのお代わり?」
「んー」
新聞か何かを読んでいる采萌さんの邪魔にならないよう、空になったマグカップを静かに回収。
それからウォーターサーバーのお湯を利用して、それぞれ準備する。
白湯を飲み終えた後、朝食にさっと準備したトーストと采萌さん好みに両面をこんがり焼いた目玉焼き、ソーセージ、お代わりに淹れたドリップ式のインスタントコーヒーまで済ませたところで、
「おーし。いくかー、苺」
「いきましょー!」
車で約四十分の場所にある青果市場へ向けて出発だ。
「眠かったら寝てていいからなー」
「ありがと。でも、大丈夫」
睡魔は興奮で吹き飛んでいる。
食品スーパーなどの小売店でも購入できる一般的な野菜。
見慣れない珍しい野菜。
今日はどんな野菜と出会えるかな、考えるだけでワクワクしてくる。
野菜は天候によって大きな影響を受ける。
現在出回っている季節野菜が終わる時期、これから流通される野菜の発育状況や出回り時期、値段など、一週間、二週間はたまた一カ月先の特売を決めるための情報交換、そして交渉や相談は大切だ。
神奈川に越してからは二度目となる青果市場。
朝はみんな多忙だから長居はできないけど、青果市場で勤める職員や卸売業者の人から聞ける話はちょっとした楽しみの一つでもある。
今日はどんな話が聞けるかな……そうだ、
(トウモロコシ!)
九州の長崎では出荷が始まっていてもおかしくない時期だ。
もしかしたら市場に届いているかもしれない。
「ふふ、ふ、ふふふ……」
「なんだー、また発作かー?」
「ちょっと興奮しただけだよ?」
「? 発作だな、それは――」
煙草、ではなく棒付き飴を咥えた采萌さんに、何度か揶揄わる内に目的地到着。
体格の良いお兄さんや溌剌声を轟かせるお姉さん、たくさんの卸売業者が農家さんから預かった野菜を並べ、それを地元の青果店の人やスーパー小売業の仕入担当達が野菜を見ながら世間話ついで情報交換おいては値段交渉をする。
そんな逞しいやり取りを眺めながら、私は采萌さんが仕入れを進める中で親鳥の後ろを歩く雛鳥のようにただ後を追い、目的のトウモロコシを見掛けないまま三十分が過ぎた。
「采萌さん、今日は終わりですか?」
楽しい時間はあっという間だな、そう思いながら駐車場の方へ歩く采萌さんへ質問した。
「んー? あと一カ所……と、向こうからやって来たな――」
片手を上げた采萌さんが、正面から歩いてくる見覚えのある女性へ近付く。
「おーい、戸田。苺、連れてきてやったぞー」
「やー! 栃先輩、それに……苺ちゃん!!」
「美木さん!?」
「そう、苺ちゃんの戸田美木だよ!!!!」
「どうしてここに!?」
嬉しそうにぱぁっと目を輝かせ両腕を広げ早足に近付いてくる人は、お母さんや采萌さんの学生の頃の後輩で、会津にある青果市場で私によくしてくれた職員さんでもある。
「ああ……もう、会いたくて会いたくて、もう会えないんじゃないかって、毎晩震えて過ごしていたんだよぉぉっっ!!」
相変わらず西野カナが好きなんだなぁ。
悪い気はしないけど何もそこまで大袈裟に言わなくても……って!?
私を抱き締める美木さんからガクガクブルブル震動が伝わってきた。
美木さん、また大量の在庫でも抱えているのかな?
「はーい。戸田、ストーップ」
「明日出張だから、もうちょっとだけ苺ニウムを補充させてぇぇっっ!!」
「駄目だ。戸田を苺に触れさるなって笑住から頼まれている。苺ニウムは危険だからってな。が、戸田の気持ちも理解できる。でだ、今後も良好な関係を続けていけたらと考え苦渋の決断ではあったが、笑住からの頼みに目を瞑り、僅かばかりの逢瀬を見逃してやっているんだ。だから欲張りはいけない、この辺で我慢しておけ。なー?」
笑住が可愛いのは正しい。采萌さんが溺愛することも仕方ない現象だ。
でもね、笑住が私を危険人物扱いしていることは納得がいかないし、当然のように会話で使われている苺ニウムってなに? どんな元素?
「で、でも久しぶりなんだよぉぉっ!??」
「ふーん。あ、そ。――帰るぞ、苺」
冷淡な声に肩をビクッと上げた美木さんは私からそっと離れた。
「理解ってくれて嬉しいよー」
采萌さんは、あっけらかんと言った。
「ふん――。改めて。苺ちゃん、会えて嬉しいよ」
隠す気のない恨み節を籠めた目を采萌さんへ向けた美木さんは、次には自然な笑顔を浮かべて一枚の名刺を手渡してくれる。
「私もです、美木さん」答えつつ名刺へ視線を落とす。
青果部第四営業課主任 戸田美木
担当 根菜類・豆類
名刺には、そう記されていた。
「家大好きな私もとうとう一人暮らしを始めてね……転職して四月からここで働いているんだ」
「そうなの!? 凄い、偶然ですね! お母さんや采萌さんから聞いていると思うけど、私もちょっと前から鎌倉? 横浜? 大船駅というか采萌さんの家に住まわせてもらってて……最後にご挨拶したかったなぁって思ってたんです!」
「あ……ああ、そうそう、ぐうぜんぐうぜん。笑住や栃先輩から聞いた時は、それはもう、おどろいたおどろいた」
「く、くくっ――」
「? どうしたの采萌さん?」
「気にしなくていいぞー?」
「いや、気になるでしょ……あ、そっか。美木さんが采萌さん伝いに私を呼んだってことだから、そんなに偶然ってわけでもないのか」
「そうだぞー、苺に会いたいって頼みを聞いてやったんだ。何か安く買わせろよなー?」
美木さんの肩に腕を回した采萌さんは悪い顔を浮かべている。
「感謝してますけど手加減して下さいね? ここでの実績もないのに、いきなり大赤字なんて出したら……うちの課長、栃さん並みにおっかないんですから」
「もちろん、長い付き合いになるからなー。任せておけ。――新たまねぎ、よこせ」
「もおぉぉぉぉ、言うと思ったあぁぁ~~!!」
「なら大丈夫だなー?」
「いやむりムリ無理! ずっと高かったのがやっと平年並みに落ち着いたばかりですって」
「だから売るんだろうー?」
キャベツやレタス、白菜に人参、たまねぎ。
四月前半まで平年を上回る価格だったが、後半には平年並みに落ち着くといった情報を采萌さんは早速活用している。
売る、売らない。降格やクビ。
不穏な応酬や交渉の結果は、平年より価格が安いじゃがいもで決まった。
でも、よく見る一般的なじゃがいもじゃない。
ミネラル豊富な赤土で育った鹿児島県産の春ならでは新物の馬鈴薯だ。
間違いなく売れる。断言できる。売れるに決まっている。
むしろ私が店頭に立って売りたいくらいだ。
「はぁぁ……」
「不服かー? 戸田の売上にもなるだろー?」
「ええ、赤字にもならないし微益とはいえ売上にもなるから嬉しいですけど……発注量が量ですからね。来週までに死ぬ気で物をかき集めるのが億劫だなぁって」
采萌さんは来週の特売で売り込むらしい。
そうすると、美木さんはこれから取引のある農家さんへ連絡して、それまでに手配する必要がある。タイトな日程だ。
「まあ、なんだー? 在庫持ちすぎて困った時は買ってやるから言えよなー」
「会津では苺ちゃんに甘えてばかりだったし、ないようにはするつもりだけど……こればっかりは産地との付き合いや天候も関係しますからね。その時はお願いします」
困った時は助け合う。
持ちつ持たれつな関係が商売のコツ、お父さんもよく言っていたな。
それで、人の好い美木さんが在庫に困った農家さんから野菜を引き取り、それをお父さんが大量に仕入れて私が必死で売る。
だから美木さんは私によくしてくれている。
「美木さん、もしもの時は私も頑張って売り込みますね!」
「ああん、もう、苺ちゃん……ほんっとにいい子! 苺ちゃんのためなら何でもするよ? 苺ちゃんはいつも断るけど私は本当は貢ぎたいんだよ? もしも栃先輩に愛想尽かしたら、いつでも私の家に来ていいからねぇっ!!?」
「ふふ、私が采萌さんに愛想尽かされた時はお願いしますね。えっと、甘えさせてもらえるなら、また人形作りを教わりたいのでその内にでも美木さんの家に遊びに行ってもいいですか?」
休日はインドア気味な美木さんの趣味の一つに裁縫がある。
私は、手先の器用な美木さんから時たま人形の作り方とかを教わっていた。
市販品や手作り品、私にこだわりはないけど悲しいことに野菜を可愛くさせたキャラクターって中々いないんだよね。
「栃先輩は苺ちゃんの謙虚さを見習うべきで、す……あ、痛い。ごめんなさい、栃先輩!」
采萌さんに叩かれたお尻を擦りながら美木さんはさらに続ける。
「苺ちゃんならいつでも大歓迎だよ! それに手人形作り、まだ途中だったもんね! 人形で思い出したけど苺ちゃんが誕生日に編んでくれた『里いも王子くん』の祭壇がね、この間完成したんだよ!! ほら、待ち受けにだってしてる!!」
本当だ。処女作となった不格好な王子様が、その不格好さを打ち消す程に煌びやかに飾られている。大切に扱い、待ち受けにまでしてくれるのは嬉しこそばゆいけど……
「……なんだかちょっと恥ずかしいですね」
「安心しろー? 恥ずかしいのは戸田の残念な頭の方だからー」
「栃先輩は黙ってて下さい! で、苺ちゃん他には? 何か困った事とかない? 何でも言って!! むしろ言って!!!!」
私に迫る美木さんの顔面を采萌さんが「生意気」と言って鷲掴みする。
「ええっと……美木さんは根菜類の他に豆類も担当なんですよね?」
「分かった、すぐに取り寄せる!! そら豆? グリンピース? 苺ちゃんの欲しい野菜を教えて!!」
トウモロコシは、正確には穀物類に該当するけど、青果店やスーパー、市場では豆類に分類されていることが多い。
そう予想したから美木さんに訊いたわけなのだけど、担当が異なる可能性もあるのに美木さんの手にはすでに携帯が持たれている。
私は何だかちょっと申訳ないと思いつつも恋しい相手について質問する。
「――私、トウモロコシが食べたいなぁって。いつ頃入荷しますか?」
美木さんは携帯をポケットへ入れた。
「入荷はゴールデンウィーク直前くらいの予定かな」
「そっか。それじゃあ、まだしばらくは我慢しないとですね」
「そうだね……明後日の日曜までは我慢しないとだね」
ん? そう首を傾げる私に美木さんはとてもいい笑顔で頷いた。
「明日、産地訪問で長崎に飛ぶからそうしたら『1ケース13本入り』の初物トウモロコシ、苺ちゃん宛てに送るね!!」
「っ!?」
「さぁ、苺ちゃん……きてっ!!」
「美木さんありがとうっ!!!!」
一度落とされて上げられた私は嬉しさを倍増させ、両腕を広げ待ち構える美木さんの胸へ飛び込んだ。




