お姉さんとショタ君の会話記録
寒い風が吹くある日、ランドセルを背負った少年は小学校に残していた教科書を入れた手提げかばんを片手に歩いていた。友人と別れひとりの帰り道、よく遊ぶ公園を見るとベンチに座る女性がすすり泣いていた。少年の足が止まる。ジッと見つめたあと、唾をのんで公園の中に入った。
「お姉さん、泣いてますけど大丈夫ですか?」
女性は突然話しかけられたせいでびくりと身体を震わせ、声をかけてきたのが幼い男の子だということに顔を赤くさせる。男の子が心配そうに見つめてくる状況に、女性は慌てて返事をする。
「だいじょーぶだよー?ごめんね?ここ使うよね。お姉さんもう帰るから…」
女性はベンチの背もたれに立てかけていた学生カバンを持とうと男の子から視線をはずす。男の子が「あの…」と話しかける。
「ハンカチ、よかったら使ってください」
「ええっ⁉だ、だいじょうぶだよ。ハンカチはいらないよ」
「でもお姉さん、なみだを拭かないと前が見えなくて危ないですよ」
男の子はゆらゆらと泳いでいる女性の手にハンカチを持たせる。そして、ベンチに座り女性を見上げてほほえむ。女性は男の子の幼い見た目によらない振る舞いに不覚にもかわいいと思ってしまった。
「お姉さんが泣いている理由を教えてくれませんか?」
―――――
女性は白いシャツと黄土色のスカートという落ち着いた感じの服を着ている。ハンカチで涙を拭き気持ちを整えた女性はシオリと名乗った。
「ハンカチありがとう。小学生に心配されるなんて初めてだよ。でも、お姉さんが泣いていた理由を知りたいなんて大人ぶっちゃって…かわいいね。んーいいよ教えてあげる。友人と会えなくなっちゃったんだ…」
シオリにはものごころ着く前から一緒の友人がいる。どこに行くにしても一緒な友人は大好きだけでは言い表せないほど大切な存在だった。
「最近ね、お互い忙しいからって遊べていなかったの。でもね、急にいなくなるなんて思ってなかった。来週になった会えると思ってた」
シオリは再び涙を流し男の子のハンカチを使う。男の子はシオリを見つめながらうんうんと相槌を打っている。自分より倍ほど年の離れた男の子に話を聞いてもらっているからか、それとも友人の話で感情が高ぶっているからかシオリの耳が赤くなる。
「大切な人をなくしてしまったのですね。ボクはまだそういう経験はないけど、少しだけでも前に進める方法はお母さんから教えてもらっています」
男の子は立ち上がり、シオリの目の前で両手を広げる。
「お母さんが言ってました。ボクを抱きしめると落ち着くって。だから、お姉さんもボクを抱きしめてください」
「ええっ?それはちょっと危ないと言いますか…、周り誰もいないよね、うん、これは君から提案したことだからね!」
シオリはおずおずと両手を男の子の後ろに伸ばし抱きしめた。ベンチから少しだけ腰を浮かせている今、二人の頭は同じ高さにあった。男の子もシオリの背中に手をまわす。寒い風が吹く今日、男の子の身体は湯たんぽくらい温かかった。
「前に進めそうですか?」
「もうちょっとだけ、もうちょっとだけこのままでいさせて」
シオリの耳元で男の子のすすり泣く音が聞こえる。一人で泣いていた自分を気遣う優しさ、子供特有の豊かな感受性、普通の小学生にしては少し不自然だけれど、余計な妄想をしたシオリは男の子を抱きしめなおした。
帰宅した小学生が公園に遊びに来るころ、シオリと男の子は抱擁をほどいた。男の子はランドセルを背負いなおすと右手を差し出す。
「よかったらボクと友だちになってください。ボクはお姉さんより先にこの町からいなくなることは絶対にありません。お姉さんの心の拠り所になりたいです」
シオリは「うん。友だちになろっか」と言った。
―――――
シオリと男の子は冬休みの間、毎日遊んだ。最初は決めた時間に公園で会い、自分自身のことを話しあったりスマホゲームで遊んだりしたが、日が経つにつれて寒くなる中、さすがに我慢できないねとシオリの家で遊ぶようになった。そんな毎日を過ごし男の子の冬休みが終わったある日、いつものように公園で待ち合わせをしていたときのことである。
「お待たせしました。お姉さんも今日から学校ですか?お姉さんの制服姿初めて見ました」
「待ってないよー、そうなの今日から学校………―――がいないのを久しぶりに突きつけられて、仮病使って学校抜けちゃった!あっそうだ、平日は遅くなるから、えーと…、はい、うちの鍵。これからは―――お母さんが仕事で遅くなる日はうちに来ていいからね」
シオリが男の子のキーチェーンに鍵をつける。そして流れるように手をつなぎ、シオリの家へと歩き始めた。周りから見たら仲の良い姉と弟の風景である。しかし、シオリがひとり娘だとしっている人が二人の関係を知らないで見たとき、この状況は非常に危ないと感じるのだろう。金色に染めた勝気な女性が電柱の裏から飛び出した。
「シオリっ!あ…あんた、それはダメだろう。い、い、い、いったい何してんだ?」
「レンちゃん⁉どーしてここにいるのっ⁉もう会えないって、話すこともできないって思ってたのに………どうしてっ⁉」
「何言ってるかわかんねーけど、とにかく繋いでる手を離してそのガキンチョを解放してやれよ」
「なによぅ!―――くんはわ、た、し、の大事な友だちだよーっ!ほらっ!ぎゅーってする仲なんだかね!レンちゃんこそ何なのよ、親の事情で海外に旅立ったんじゃなかったのっ?ここにいるってことは………うそーぅつきー!」
「うそーぅつきー!ってなんだよ。別に海外行ってただけじゃん。なんで涙目でにらみつけてくるんだよ」
シオリとレンちゃんと呼ばれた女性が言い合いを続ける。お互い、自分が聞きたいことを先に聞くのだと強情になって譲らない。人通りが多くはないが、それでもご婦人方や子供たちの視線は男の子の申し訳ない気持ちを煽る。ついにしびれを切らした。
「とりあえずお姉さんの家に行きませんか」
―――――
シオリの部屋にて、ベッドに友人、ふかふかの椅子に男の子、床にお姉さんが座り話を再開する。
「いや、なんで私が床なのっ⁉」
レンちゃんはシオリを無視して、自分のことを話し始めた。
「ここに来るまでに冷静になったから最初に言いたいことを思い出したけど、あのさ………ただいま」
「………おかえり」
ふたりの女性の顔がりんごになった。うれしいのか悔しいのか売れないりんごの形をしている。しばらくの沈黙のあとレンちゃんが話を続ける。
「急に海外へ行ったのは、その…ごめんなさい。別れの挨拶をメールで済ませたのも悪かった。この町にいないことだけ伝わればよかったからさ、あんまり深く考えてなかった」
「メールで『海外行く』。これだけ。どういうこと?って送信しても返事が来ない。既読もつかない。レンちゃんの家には誰もいない。軽く絶望したよ?」
「ごめんって。あっちの家族から突然伝えられてとんとん拍子に物事が進んでさ…スケジュール組んでいたらあんたに連絡するの忘れてた。出発当日に気づいたんだけど後で詳しく話そうと思って、それでこうなった」
「それで、こうなったぁ?結局一度も連絡してないじゃん」
レンちゃんがカバンからスマホを取り出す。ピンク色のカバーにかわいいキャラクターがデコレーションされたスマホはシオリにとって確かにレンちゃんのものであるとわかる。そのスマホの画面から極彩色の光が飛び出していた。
「あっちに着いてすぐに壊れちゃった。電源ボタンを押しても反応無くて、昨日帰ってきたから次の休日にお店に修理してもらいに行く」
「わかった…連絡できなかったことは仕方ないから許す。それで?問題はこっちよ、なんで帰ってきたの?」
「なんでって、海外旅行なんだから当たり前じゃん」
シオリは返事できなかった。『海外行く』の言葉だけで、親の事情で転出したのだとばかり考えてしまい、遊びに行くという考えを止めていたことに今さら気づいたのだと知られたくなかった。
「叔父さんが海外で結婚式を挙げたから、それに参加してついでに冬休み中海外で遊んでいた。…あれシオリ?どうした?顔が真っ赤じゃん。もしかして………あたしが海外に移住すると思ってた?」
図星だった。限界に達したシオリは男の子のお腹に顔を隠す。そして男の子がシオリの頭を撫でる。シオリとレンちゃんとの会話に一切口を挟まず空気と化していた彼は次の話題のコマである。レンちゃんがジト目でにらみながら口を開いた。
「で、あたしの謝罪と弁解は終わったけど?次はあんたの番だよシオリ、その子はダレ?」
「もごもご、もごもご!もご?んーもご」
「いい加減小学生のハラで顔を隠すのはやめて。…もう直接聞くから。ねえ、君はどこの子?シオリのいとこって感じじゃないよね。弟でもない。正直に答えなね?」
男の子はシオリの拘束を解いて椅子から立つ。顔は自然体で身体も震えていない。何度も会っている人に話しかける雰囲気であいさつをした。
「はじめまして、ボクはお姉さんの友だちで、近くに住んでいる―――と言います。気軽に―――くんと呼んでください。金髪のお姉さんはシオリお姉さんの友だちでいいですか?」
「初めてシオリお姉さんって言ってくれた!」
「シオリうるさい。―――くん、あたしのことはレンお姉さんでいい。それで、親御さんはこのことを知っているの?」
「このこと?…ああ、ボクがシオリお姉さんと友だちで部屋にまで上がり込んでいることですね。知っていますよ。ボクの母親とシオリお姉さんの母親との間にもちゃんとつながりがあるので安心してください」
「そう、それならいいけど…じゃあ接点は?シオリから話しかけられてなし崩し的に仲良くなったとかっ⁉」
男の子はレンちゃんを安心させるためにほほえむ。
「ボクから声をかけました。公園のベンチで泣いている女性がいたら見過ごせません。シオリお姉さんとお話して仲良くなったんです。でも安心しました。シオリお姉さんの思い人が帰ってきて」
「おおっ思い人っ⁉」
どちらが返事したのかわからないが、女性二人は驚きで固まっている。
「ボクはてっきり、シオリお姉さんの好きな男性が亡くなってしまったのだと思っていましたから、生きているだけ儲けものですよ!」
「―――くん、もしかして怒ってる?」
「怒ってないですよ」
「怒ってないならこっち向いてよぉー」
しかし男の子は振り向かない。レンちゃんがあきれ顔でシオリを見ながら男の子に質問する。
「気になることがふたつあるけど、どうしてあたしが男で死んでるってことになってんの?」
「一言一句覚えてはいないのですが、大切な人がいなくなるとか言ってました。ボクはてっきり恋人との一生の別れかと思っていたのですが………でも、これでお姉さんはひとりじゃないですね」
「―――くん…お姉さんの胸のつかえは大丈夫になったけど、この一か月の間お姉さんの支えになってくれたのは本当だし、これからも友だちでいてほしいな?」
シオリは男の子に後ろから抱きつく。シオリから男の子の顔は見えないが、抱きついた手を小さな手がふれていることは分かった。
「なーんか、あたしのこと忘れてなーい?」
「もう知らないっ!私の友だちはショタ君だけだもん!」
男の子を持ち上げレンちゃんから離れる。男の子はまんざらでもなさそうにレンちゃんをニヤリと見た。
「わ、悪かったってー!」
レンちゃんがシオリに抱きつく。シオリの顔はまだ怒っているのか、それともレンちゃんが帰ってきてうれしいのか、男の子にはわからない。
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後処理
まだ寒い風が吹くある日、ランドセルを背負った少年は重いランドセルを背負い公園に向かう。公園にはまだ誰もいない。ポケットのカイロはもう使えない。自動販売機の温かいココアを買うお金はない。少年の道しるべとなるはずだった父親もいない。ただ、公園の入り口にみえる二人の女性は少年のこころを支えてくれるだろう。
お時間がありましたら他の短編ノベルを読んであげてください。