90.穴を掘ったら憂鬱だった
嶺南、大穴の奥。
アリシアが指を差す。
「大蛇?」
森の中に入った途端、水場らしき場所に蟠踞している巨大な何かに出くわす。
「何かが食われてやがんな」
首の辺りが大樽のように太くなっている。
「人じゃ無いことを祈ろう」
一同、足音を忍ばせて通り過ぎる。
皆、その首の樽の下にあった到底も余計なものを見ないようにした。如何くらい余計かというと、誰もが躊躇なく蛇足と断ずるくらいである。
「ちぃ!」
ギルベール師の剣がまた一閃。枝蔭で窺っていた猛禽の首を斬り落とす。
「随分と羽根の矮小い鳥でござるまするな」ヴィレルミ師、関心を示す。
「やっぱりアンヌマリーのお肉が一番美味しそうですのね」
「こいつらの歯なら、歯応えのあるラリサの筋肉の方を好むと思ったのにね」
「ん? また樹皮を削った跡があるにゃん」
レッド、読む。
「どれどれ・・矢印と『戻る近道コチラ』だってさ」
「先遣隊ルテナンのアルノー殿って、結構まめな奴にゃん」
◇ ◇
アグリッパ、川端地区にある『川端』亭でない飲み屋。昼飲みの客で混多返している。
「しっかし・・出来た料理をナイフで切って、指で摘んで舐った瞬間に首が胴体と離れたら、たっぷり思い残すだろうねぇ」
「いや、あいつら縛り首だって」
態々見に行った変わり者はほとんど無いようだった。
「なぁ、ヨセフ。変だと思わないか?」
市民ペーター眉根に皺を寄せる。
彼は割に考えが表情に出る。演技なことも多いが。
「ああ、変だね。人攫いは夜中だったはずだ。料理が出来るのが遅すぎる」
「じっくり煮込む料理だったのかな? あるいは一晩寝かすと美味くなるとか」
ペーター笑う。
つまり二人とも、もう答えは出していた。
「ぶら下がった那の七人、仕出し料理をご注文だったって事だよな」
「お届け料理の蓋を開けた途端に食材の生きが良すぎて跳ね回られたって、ほんと笑い話だ」
解けてきた気がして嬉しさ満面のペーター。
「母親が駆け込んだギルドの奪回屋がもう放蕩息子達の溜り場に目星つけてたんで速攻で踏み込んだとして、ガキ共は打ん殴られて正体無くしてる訳だから真っ先に馬鹿親にご注進したのはお届け仕出し屋かも知れん。そのまま格安で営業した・・と」
「出るとこ出られる前に原告を片付けちまえ〜なんて乱暴な発想するのは、相当に治安の悪い町で育ったお上りさんだと思ったよ」
原告が居なければ裁判が始まらないのは全国共通である。
しかし事件の発生が公知の事実なとき、開廷前に原告となる予定者が行方不明に為ったら、疑われるのは被告の予定者である。疑われるだけなのか、被疑者として捜査を受けるのか。
それは裁判管区の治安の良し悪しで天と地ほども変わって来るのだ。
◇ ◇
アグリッパ、探索者ギルド。
「ブルーノ君、ヨハンネス・ドーは奈何してる。
「ドーしてます。あいや、彼らしくしてます。黙々とあの母子の警護」
「あの母子と仲良くなって、この町に永住したりせんかなぁ・・いや無理か」
「何か指示します?」
「いや、今のままでいい。お礼参りとか有れば、また役に立つ」
「ありますかね?」
「さぁな」
金庫長、少し考えてから徐ろに語る。
「市当局としちゃ、乞食ギルド共みたいに非公認のまま居座られるのは嫌だろう。多分、多少強行手段を採ってでも潰しに行くと思うね」
「お礼参り大歓迎ですか」
「でも露骨に見てたら出るものも出ないしな・・」
「便所みたいですね」
「そういう連中だ」
金庫長、割と好き嫌い歴然した人のようだ。
「市当局はお得意様、傭兵団は提携先だ。両方から嫌われてる連中に掛ける情けは有りゃしないが、好んで敵を作るのも利口のする事じゃない。矢面に立たされない程度に動こう」
◇ ◇
嶺南、大穴 断崖下。
なんだか上からロープで結ばれたバスケットが降りて来ている。
「あら夫人、何か入ってますわ」
「本当ですわ。『午後のお茶でも如何ですか』って、ジァナったら気が利くわ」
「ロンバルディ夫人から差し入れ? なんか冒険ってよりピクニックだね」
お気楽なアリシア。
「否、先刻の極小禽竜といい妙に獰猛な鳥といい、十分に危険な生き物で御座る。ゆめゆめご油断なさるな」
ギルベール師が侍言葉になっていて、緊張度が窺われる。
「そういえば、歯が有ったわ。変な鳥ね」
「変じゃない鳥、獲って来たにゃん」
黒猫氏とカーニス組、いつの間にか即席の弓で雉鳩を狩って来ている。
「ロンバルディの皆さんが一人乗りの鞦韆を降ろして引き揚げて下さいますって。一旦館に戻って行動計画を練りませんこと?」
副伯夫人の提案で、雉鳩はお土産という事になる
遅めな午後のお茶をして帰路。
◇ ◇
アグリッパの下町、夕焼け空。
河川交通の船着場付近が大手商会の倉庫で占拠されているので、宿泊施設はやや市街地寄り。飲み屋は艀の通る運河沿いに集まっている。
市民ペーター、だいぶ出来上がっている。
まぁ陽が落ちたなら、灯火代が飲み代に上乗せられる前に大抵の客たちは帰って寝るか、雑魚寝部屋で潰れるか、だが。
「俺ゃ以前は金持ち商人の家で執事をしててな、金銀刺繍の礼服ぅ着て言葉遣いも恭々しく『左様でございます旦那様』とか申し上げてたのよ」
「ふぅん」
ヨセフ・エンテラ、だいぶ眠くなって来ているが、自由市民と酌み交わす機会が珍しくて我慢している。
「今だってプロの代言人で良い稼ぎしてんだろ。身綺麗にしたら良いじゃねぇか」
「下町おやぢの格好して町人言葉の方が、陪審ウケがいいんだよ」
農村部で参審人と言えば治安判事を仰せ付かる名士中の名士だが、都市参審人は庶民ぶる。市政参事選挙に出馬する日の為の布石だ。
「格好は下町おやぢでも、いい稼ぎの自由人さまだ。羨ましいぜ」
「本人訴訟じゃ、法廷でひとことでも余計なこと口走れば一発で証拠に採択されて致命傷だ。けど代言人が不利な発言をしても本人が法廷で直ぐ『それ、違う』って言えば取り消せる。だから誰もが大枚謝金を積んで代言人を使うのさ」
「いい御身分だ。決闘人に『今の一打はナシ』って言っても勝負は着いちゃうもんなあ」
「だから、あの小僧・・なんたっけ? セティモだっけ『おとうさーん、助けて』って叫んじゃった奴・・」
「あれも一っ発アウトだったな。裁判官も知ってて準備してやがったが」
「お偉いさんの尻尾切りが早いこと早いこと」
「前の晩のうちにクビになってたんだっけな、ナントカ司祭さん」
「手を焼いてたんだろうな」
ペーター、ふと気付く。
「例の仕出し弁当屋、その辺も承知で営業してたのかな・・」
「・・世は天下泰平になって、傭兵団がガッポガッポ儲かってた時代は昔のこと。そんなオワコン業界に今頃参入してるのって、ナニモノだ?」
「軍隊組織を真似した編成してるけど警邏隊に負ける戦闘力。都会の常識知らないお上りさん。汚れ仕事も厭わないハングリーな連中・・って感じ、な」
「イマイチだな」
◇ ◇
市内、探索者ギルド。
「只今帰りやした。相棒は役に立ってやんすか?」
「ああ、重宝させて貰ってる。あんたら、この町に居着かないか?」
「すんません。私らお嬢の手駒なもんで」
「クラリスちゃんも帰って来ない?」
「生憎と仕官なさっちやいしねぇ」
「まあったく・・今度はディード・クレア組も持ってかれちゃったし・・あんたら同等の即戦力とまで言わないから、誰か紹介してくれよ」
「お嬢に言っときゃす」
「で、まだ当協会で動いてくれる?」
「もうひと働きくらいで宜御座んしたら」
◇ ◇
嶺南、穴の前。
ロンバルディ家の衆、掛け声と共に綱を引く。
掛け声の律動に合わせて下から口三味線付きの歌声がする。
"しゃんしゃん ♪ しゃしゃしゃん ♪ "
"ン扨ても伊蘇志き皆の衆 ♪ "
"天晴れ 天晴れ 甘茶で天晴れ コレハノサ ♪ "
"天晴れ 天晴れ 塩茶で天晴れ ♪ "
手繰り上げた鞦韆に乗り、両手に木の子を沢山持って貴婦人が姿を現す。
「受領様っ! 受領様だっ!」
土をお掴みだった。
「倒れてませんわっ」
続きは明晩UPします。




