89.変なのが出て憂鬱だった
嶺南西部、大穴に下る断崖。
「体重の軽い俺が安全確認しながら進むにゃん」
斥候の直立黒猫氏、慎重にザイルを伝い、足場を確かめながら進む。
「おっぱいぷるるんな姉ちゃん、スカート捲れても大丈夫にゃん。猫はニンゲンの股間に反応しないにゃん」
「犬はしますよ。俺の親父は犬だから」
大丈夫。カーニスはアンヌマリーより上にいる。
「エステル様、爪先丈のカートルなのに器用で御在ますわね」
「うふふ。わたくし下町育ちですから」
・・そういうもんでもないと思います副伯夫人。
「ザイルは朽ちてなくて大丈夫だけど岩に打ち込んだペグがブロンズだから折れる危険は有るのにゃ。みんな! 体重はなるべく足場に置いてザイルは体のバランス取るために使うにゃん」
「・・(この猫さん、マジで使える斥候だな。皆の緊張ほぐしに適宜えろ話とかを交える呼吸なんかも絶妙だし)」
漸く勾配が緩くなって来る。
「このザイルを張った人々・・何者なのでしょうね」
「わかんにゃいけどお嬢、あの樹を見るにゃん」
「樹?」
◇ ◇
アグリッパの町。ペーター・ライアー未だ刑場に居た。婆さんも未だ座り込んで泣いている。
「こういう薄気味の悪い場所、意外と落ち着くんだよ」
「あんたも結構な変態だな」
「殺す側の人間は、殺される人間の送られる所が嫌いだろうけど」
「好きな変態も居るぞ。殺す本人の中に、だが」
「自慢じゃないが、俺は殺すどころか他人に怪我させた事も無い」
「殺してんだろ舌先三寸で」
「ああ、そりゃ確かに殺ってんな。今回だって彼方の代闘者が那んなので無けりゃ彼処に爺さんが一人ぶら下がってた」
「こっちが勝訴た方が人としちゃ被害が少なかったわけか」
「女の被害は多いけどな、将来的に」
「違ぇ無ぇ」
「彼方が勝って放蕩息子が七人と馬鹿親七家族が此の世から消えるが、町としちゃ被害は多いのかね? 少ないのかね?」
肩を竦める決闘人ヨセフ・エンテラ。
「馬鹿親ども、変な団体様を雇わなきゃ自滅はしなかっただろう? なぜ俺一人に任せなかった? 正と着手金を払ってれば、俺も降りられなかった」
「傭兵団雇ってて金が無かったから払えなかった・・。それならば、あんたを雇う意味ないな」
「で、雇ったのが、雁首揃えて御用になっちまうカス団って、辻褄合わない」
「親が裏工作始める前に札付きの放蕩息子連中を処分しちまいたい治安当局が事を急くのは理解る。事件当夜に代言人と決闘人へ依頼に走るとき手付けを用意出来て無いのも、よくある話だ。俺らは割増料金で受けるだけだ。ただよく理解らんのは正体不明の傭兵団に頼んだことだ」
「そりゃ二十四人も前金なしで雇える道理無いもんな」
「新興の団が格安で営業かけた・・かな」
溜め息つくペーター。
「法廷でも言ったが・・人はときに馬鹿げた事をしでかす。野郎どもが裸で剣舞を踊り狂ったって可訝しくないさ」
「あ、考えるの止めやがったな」
◇ ◇
嶺南、大穴の底。
「あの樹・・」
樹皮を剥がして何か彫り付けてある。
レッド、読む。
「最後の鳩を放って三日、連絡の手段が絶えたので此処に書き残す。森の中は危険なので毎夜この場所に戻って野営している。後続部隊は狼のような蜥蜴に最も注意せよ。奴らは統制された群れで襲って来る・・」
・・なんだよ『狼のような蜥蜴』って。
「我が部隊は進む。 ルテナン アルノー・サグヌススヌ」
「珍しいな。生粋の北海系の名前ですね・・これは?」
「赤土かなんかで捺した手形だな。薬指の先が欠けてるぞ・・彼を知ってる人間が本人だと分かるように残したんだろう」
「むっ」
修道士服なのに帯剣を隠さなくなったギルベール師、飛来した烏のようなものを素早い抜き打ちで叩き落とす。
「異様に大きな蝙蝠かと思うたが、極小の禽竜の如きで御座りまする」
「ふぅむ」
摘み上げるヴィレルミ師。
「『狼のような蜥蜴』の話といい、小さな『禽竜』といい・・此の大穴、生態系が異様に思えて仕方なうござりまする」
◇ ◇
アグリッパ北郊、廃教会跡地。南部辺防連隊別働隊が駐屯中。
伍長が報告中。
「偶然にも我々が訪れようとしたのが当該襲撃事件の現場となった店であったのであります」
「つまり我々への要請は、その非合法ギルド組織の戦力が予想を超えていた場合の『万一の備え』である可能性あり、という趣旨であるか」
「肯定的!」
「具体的な出動要請には至らない、という見解であるか」
「本官の見解でなく、巡邏隊員の認識を一例確認した報告であります」
「その認識の根拠は、既に無力化して確保済みな二個分隊の戦力評価結果という事であるか」
「肯定的!」
「それでは第二分隊は既定方針どおり『休暇類似行動』を実行せよ。但し、過度の飲酒は控えよ」
「つまり我ら第一分隊は飲み損ねでありますか」
「次回の本格的休暇実施時期で斟酌する」
「極めて肯定的!」
◇ ◇
市庁舎別館、地下牢。
「さて、にいさん達、俺が市の典獄でないのは見て解るな?」
囚人達、沈黙。
「にいさん達、『命の危機で脅かされてした自白は裁判じゃ証拠にならない』って法律は知ってるかな?
皆、黙っている。
「知らないか・・。にいさん達にとって有り難い法律なんだけどな」
皆、黙っている。
「つまり、これから俺がにいさん達にすることで、にいさん達はもう裁判にかけて貰えないって分かるのさ」
男、後ろを向いて何かじゃらじゃら道具を取り出し始める。
◇ ◇
隣室。
「いいんですか、捜査官殿」
「ああ。今は連中の組織を解明するのが優先だと上で決まった。時間切れだ。もう兵隊さんに任せよう」
アグリッパは、宗教団体が運営する小さな町ーーエルテスのようなーーではなく大司教座の庇護下にある自治共同体であり、国内有数の大都市である。警官も都市自由人の自治組織の一部であるから王国の法に準拠した市民法に従う。
市長はある意味、大司教座に封建された領主であるヘスラー伯爵と同格である。市職員である警官もまた伯爵の廷臣と同じポジションであるから、他所の共同体の自由人には気を遣う。
法の保護下にない浮浪者など斧鉾でひと突きにして刑場に打ち捨てても構わないのだが、実際はやらない。乞食に身を窶した自由人とか居ると面倒だし、だいいち乞食のギルドが結構厄介だ。非公認ギルドの癖に結構騒ぐ。まぁ情報提供者として便利に使う警官も悪いのだが。
これと似た状況が、今回の『黙秘した連中』である。
で、上層部がひと晩考えた結論が是れである。探索者ギルドの元傭兵に丸投げ。
彼らは誓約団体である公認ギルドが保証人となって受け入れた自由市民である。捜査官が『兵隊さん』と呼んだのは彼らの事だ。
古風な宣誓の儀式で擬似血族となった彼らの結束は固い。早い話が、口が固い。
むろん大司教座の偉い人が暗躍したことは市の上層部の更に一部しか知らない。
◇ ◇
同市内。
「墓場から(・・じゃないが)帰って来たら、酒だよな。・・って此処はいづこぞ『川端』亭か。当然まだ休みだよな」
市民ペーター、近くに昼下がりから開いている飲み屋を探す。
「ってぇ! 混んでやがるな」
人気店が臨時休業なので、ひとしおだ。
「ったく最近の若いもんは平気で昼酒飲みやがって。南部人かっての!」
自分らも飲みに来てる身だが。
ヨセフ・エンテラは決闘人と分からぬ頭巾姿、ペーターの隣りに詰めて座る。
聞き耳を立てるまでもなく。近所の話題が飛び込んで来る。
「結局リュクリーちゃん、やられちまったのか?」
「悲鳴が聞こえて直ぐ踏み込んだらしいから、精々先っちょくらいだな」
下世話な話だった。
◇ ◇
嶺南、大穴の奥。
「わっ・・でかい!」
続きは明晩UPします。




