87.穴があったら憂鬱だった
嶺南西部、ロンバルディ館。
館主の岳父殿旧蔵、幻のアイテム『鉛の本』は逃げ水の如くに去っていた。
三人の修道僧、意気消沈。
「御主君とは、ファルコーネの殿様のことでござりまするな?」
「もちろん左様ですが?」
「いやははは・・昨夜ご厄介になりまして・・」
「目的地を通り過ぎて居り申した」
「また参上すれば良いじゃないですか」
「レッド殿、お忘れですか? 城主さまは暫くお留守中ですぞ」
「そんなに急かねぇでも良くないかい? 本に脚が生ぇて逃げ出す訳でもねぇさ。エステル様に甘えさして頂いて悠長にお待ちになっちゃ如何?」
「否、生えてひょこひょこ走って逃げないと如何して言い切れましょうぞや。世は不可思議に満ちて居るのでござりまする」
「ねぇだろ、そりゃ」
謎のアイテムX。
「ねぇレッド、留守中に押しかけて来て、訳け分からん話してちゃ失礼だよ」
アリシアに囁かれて我に返るレッド。
「館主殿は山中で財宝を発見なされたのでしたね」
「ええ、南の国境も近い坊主山なる所にこれなる友人のレイド・クルティスが営む開拓農園がありまして、正体不明の隣国人が再三目撃されていました。何か探しに密入国している様子で、最初は不審者を取締まる積もりだったのです」
「にゃっ。実はおれたち、その近くのアルタヴィラ男爵家を内偵してたのにゃん。その潜入の口実に『宝探しに来たのにゃー』って言ってたのが大当たり」
「あっ! あなたはもしや、あの時の黒猫殿っ!」
「にゃ、あんときの兵隊さんが噂のラッキーマンとは今日の今日まで知らなかったにゃー」
「こっちも失礼。猫さんたち毛並みじゃ見分けが付かなくて」
なんだか此処にも知り合いが居たようだ。
「アルタヴィラ男爵家を内偵とは・・もしや・・」
「男爵家三男さんの奥さんとはマブダチにゃん。ひと肌脱いで働いてたのにゃー」
「その三男さんが我が友にして恩人の'ジーグフリート'・レオン殿です」
「世間狭いにゃー」
「彼の遺児が立派な後見人さまを得て男爵の位を継ぐ日が、もうすぐ来るんです。草葉の陰で喜んでるでしょう」
「レオン生きてるにゃ」
「え!」
「しまった、これ内緒にゃ」
「レオンさんが生きてるって?」
「頼むから、まだ内緒なのにゃ。奥さんにどう伝えるかお母様と相談中なのにゃ」
「えええええ! レオノーラ様もご健在なのですか!」
「まだ極秘なのにゃにゃにゃ。男爵の本葬儀で復帰なさって喪主を務められる計画まだ水面下なのにゃ、秘密秘密なのにゃ」
「大丈夫、おれ口固いですから。それでレオンさんは?」
「戻れないのにゃん。異世界へ転移して永遠に旅立っちゃったにゃ。でも健やかに生きてるからお互い幸福を祈り合うのにゃ」
「いせ・・てん・・?」
「おれは奥さんのダチだからソッチ優先になるけど、わかってほしいにゃん」
直立黒猫氏、なんか分からない話題で盛り上がっている。
「あらジャン! お帰りなさいませ」
エステル夫人、奥から戻って来る。
「奥方の奥の方を触診してたの。具合がいいですわ」
「え?」
「いえ、奥の方で奥方を触診してたの。今夜あたり具合が良いですわ」
「お姉さん。何が良いの?」
「もちろん定着が」
◇ ◇
アグリッパの町、石畳。
ペーター・ライアーと決闘人ヨセフ・エンテラが歩いている。
「あそこの商会も終わったな」
市当局の公印で封蝋を施された大きな包みが次々と運び出されている。
「平和破壊罪に叛乱予備罪も付いて告発されそうな勢いだぞ」
過剰反応な気がしているペーター。
「前いた町はお上の苛政が酷い土地でなぁ・・ここは穏やかで良い町だと思ってた
・・んだが」
「あの七人、もう吊るされちまった頃だな」
「気に病む必要は無いさ。手付を払って貰って無いんだ。契約金支払いが怪しいと思ったら何時キャンセルしても構わないのが世間一般の商慣行だ。瀬戸際まで踏み留まってたお前さんこそ、義理堅すぎる程だぞ」
「俺が自由市民じゃないからかも知れんが、この町の金持ち連中みな準貴族にでも成った気になってて、普通の市民とじゃ身分が違うとか妄想してるのが見える気がするよ」
・・身分の垣根が低い大都市じゃ、金持ちの坊ちが貴族子弟にでも陞った様に錯覚して、働いてる商家の娘を酌婦扱いしたりする。同じ自由市民なのに。そんな大都市病が出た事件だったよな。そんな息子を甘やかしてた親も大都市病だったんだろうな。
なんだか市当局の考えている事が透けて見えて来た気がしているペーターの昔の名前はヨアヒム。
◇ ◇
嶺南西部。
お暇してロンバルディ館を後にしたレッド一行。
「レオンってひと、女が出来たのでしょ。でなきゃ奥さんに隠す必要ないもの」
「アンヌマリーったら鋭いわ。レオノーラ様って、ご苦労なさってたのね。だから不浄な俗世をお捨てになって今はお倖せなんですわ」
「ニンゲンの女って怖いのにゃ。ちょっと口滑らしただけで・・」
「やっぱり女か」
「そ・それには深ぁい事情が有るにゃん。異世界で深傷を負って、たった一人とり残されて、そんな彼が記憶も曖昧な時期に身を粉にして看病してくれた女が・・」
「子供産んじゃった・・と」
「あたりにゃ」
「異世界って、なにそれ」
「秘密にゃ」
「異世界子持ち転移」
「それもちょと違うにゃん」
「この世界、事実いろんな処で異世界との接点がござりまする」
ヴィレルミ師、意味わかんない事を言い出す。
「例えば・・あれ」
師、自分でそう言ってて愕然としつつ、彼方を指差す。
◇ ◇
アグリッパ近く、レーゲン川。
大型の軍船が流れを下って来る。
「あの淀に投錨」
船、ゆるゆると岸に寄る。
段丘の上に黒い馬車を認めると、初老の将官が真っ先に進む。
「司令官、急で申し訳ない」
「連隊から精鋭を連れて参った。緊急の事態とは?」
「皆から小心者と蔑まれそうだが、心細い時はつい、最も信頼できるかたに無理を申して仕舞います。何卒暫く近郊に駐留して下さい。向こうの教会跡に急いで色々運び込ませて居りますので」
「我ら兵士、どこでも野営できますぞ」
「いや、人目に付かぬよう建物の中で。そして、どうぞ皆さん休暇のつもりで街に遊びに来て下さい。・・平服で」
苦労人ホラティウス司祭、昨夜から働き詰めである。
◇ ◇
アグリッパ市街、法廷の開かれていた南広場。
今は戸板の壁も撤去され、元のままの市民の広場だ。
ここで死刑の判決が下った事など知らぬ子供らが遊んでいる。
ペーター・ライヤーが呟く。
「横暴な金持ちが断罪されたって喝采する人は多いだろな。ほら見ろ。自由市民は平等なんだ! って言ってさ。けど、これを『えらい人』が、俺も『えらい人』の仲間に入れろと騒いでる連中を蹴落とした・・みたいに見えちまう俺って、とても歪んでるか?」
「歪んだから真っ直ぐに見える物だって有るさ」とヨセフ。
◇ ◇
アグリッパ北郊、教会跡。ホルスト連隊別働隊が駐屯。
「全員傾聴ッ!」と将校。
「これより、ひと分隊半夜警時毎交代で平服を着用し、市街地にて『休暇類似行動』とする。第一分隊より、掛かれ!」
「ルテナン殿、平服って・・あ、これ?」
教会から支給された夜具とともに古着が置いてある。
「でも休暇『類似行動』ってなんだ? ルテナン殿いま作った言葉でしょ」
「うるさい。分隊で一緒に休暇っぽく自由行動してこい。一人で逸れるな」
「分隊十三人一緒は多すぎて不自然であります。伍長が統括して六人ふた班行動で宜しいか伺います」
「許可する。但し、残りの軍曹ひとりで遊びに行くな」
「ばれたであります」
「ばかもの」
◇ ◇
嶺南西部、ロンバルディ了の北。
ヴィレルミ師匠が彼方の森を指差す。
「あ・・穴。・・異世界」
続きは明日UPします。




