86.擦れ違って憂鬱だった
アグリッパの町、黒い箱馬車の中。
「それは、何者かが大司教座を強請りに来るという意味ですか?」
「そして拒絶けられる。なので彼らは、次の標的カラトラヴァ侯爵を強請りに行くという流れですな」
「我らは、なんと言って拒絶けます?」
「『我等が大司教座には一片の恥ずるところも無いので勝手に言い触らしなさい』と仰って拒絶けます」
「成る程」
「そして、侯爵に言って上げるのです。斯様な連中が来るかも知れないが『一片の恥ずるところも無いので勝手に言い触らしなさい』と言えば、悄々と引っ込むから何も懸念に及ばぬ・・と」
「あるでしょう。彼らに恥ずるところ」
「そのくらいの嫌味は言って宜しいかと。迷惑なさいましたし」
「成る程・・言われた時の顔が見たい」
ホラティウス司祭、本気で笑う。
「もうひとつ、お笑いに為っちゃって良い話がございます。あの傭兵団まがい」
「『まがい』でしたか」
「乞食にだってギルドは有りますものね。冒険者ギルドは犯罪歴をチェックしますから、さらに溢れた者が組合を作った様です」
金庫長、一寸許り冒険者ギルドがお嫌いなようだ。
「我々、傭兵共済会と提携しておりますんで其方筋の話を伺いましたら『類似品にご注意』と顧客方に注意喚起中でした。低品質なサービスを提供する『脛に傷もつ連中』の団体だそうです。摘発には市の警邏隊なら戦力的に十分だという話です」
「探索者ギルドも協力してくれれば心強いですね」
「無論、労は惜しみません」
と言いつつ金庫長惟う。
・・やっぱりディードリックが抜けた後はみな小粒で辛い。ヨハンネス・ドーもクラリスちゃんからスポットで借用中の人材だし。ちょっと傭兵団に営業回りしてスカウトして来ないと駄目かな。
◇ ◇
ジャンニ・ロンバルディ卿の館。
「診察日じゃないのに突然来てしまいましたわ。御免なさいね」とエステル夫人。
奥方、明らかに周章えている。儚げな美人だ。
「幸せ一杯のくせに、何時迄もそんな幸薄そうな顔をしていたら、何時迄も幸福が定着しませんわよ」
「定着って・・」
「もちろん赤ちゃんよ。『マレリ家の呪いは消滅したのだ』と証明するのは貴女の任務ですわ」
「任務ぁ無ぇだろ」
「任務ですよ、ブリンさん。もっと幸せな顔をしなさいジァナ! 幸せになったんだから」
「夫が側に居るときはもっと幸せな顔ですわ」
「あ、惚気た・・」
「ロンバルディ卿は?」
「レイドと一緒に巡回に出ております」
普通、姓の方を呼ぶのは爵位持ちに対してだ。厚遇の表れだろう。
「今日のお姉さん、なんか押しが強くない?」
「アリシアちゃん、患者によって接し方を変えるのも医術の技の一つなのよ」
・・あれ? アリ坊のやつ、いつの間にかエステル夫人を『お姉さん』呼びしてやがる。こいつ、懐くの早いな。
あれ? 患者って?
卿がお留守だから、奥方の触診をして来るわね。
奥方、奥の方へ声無き悲鳴と共に拉致される。
「ねぇレッド。妊活指導ってなに?」
「お前が未だ知らんでいい事だ」
これは間違いだ。ある統計によれば都市部女性の初婚年齢は平均十六歳と半年。十二歳未満は法的に結婚禁止だから、規制がなければ多分皆やっている。アリシア知っていて普通である。
ちなみに男性の平均的初婚年齢はレッド程度である。男子十二歳で就職できても上が支えていて久しく見習いクラスのままに留め置かれて、一人前に稼げるまでに長年を要する所為だ。
幼馴染みを始め、同世代の女の子を大人に取られて終うから青少年が歪むのかも知れない。
今日も七人それで死んだ。
◇ ◇
アグリッパの町、路上。
赤マントが、人目も憚らず大声で会話している。
「上の連中は警戒心強すぎだ。全然大したこと無かったじゃないか」
「でも、あれの十倍出て来られたら拙いですよ」
「そりゃま・・拙いな。市街戦だ」
「ほら、警戒しすぎじゃ無い」
「でも、辺防連隊を呼び寄せるのはやり過ぎだろ」
「別に市内を練り歩かす訳じゃないし、さり気なく近郊に一時駐屯するくらい誰も騒がんでしょう」
「奴らの組織の全貌が見えて来ないのが問題だよなぁ。対策の取りようが無い」
世界はReactive時代。警察は起きてしまった犯罪の犯人を追い、発生した暴動を鎮圧する。『予防』という概念が乏しい。軍隊でさえ、侵攻して来るであろう敵を『撃退』するために防衛陣を築くのだ。『侵攻する意思を挫く』為に陣地を築いて見せるという逆転の発想をする人が少ない。
つまり、この国で有数の先進的大都市アグリッパでも、警察組織にあたる機関は治安部隊であって、内偵のような機能が脆弱であった。
「連中の自白って、あんまり話が流れて来ませんよね」
「取り調べの進捗イマイチなんじゃねぇのか?」
この町で法廷が開かれる前夜に原告の自宅が組織的な襲撃を受けた事件は、国の司法制度への挑戦として受け取られた衝撃的なニュースとして、正にいま街を駆け巡っている。
裁判というのは、市内の所定の広場に於いて、まるで定期市のように一定周期で開催されるもので、訴人は自由に出廷して提訴する。ただし、重大な刑事事件等が発生した場合などは、司直が根回して臨時に法廷が開かれる。だが、その場合にも訴人が出廷しなければ裁判は始まらないのである。
つまり、この世界の裁判制度は徹底した当事者主義であって、検察というものが無いのだ。被害者もしくはその代理人がいなければ、裁判は無い。
極端な言い方をすれば、ひとりぼっちの個人を、法は守ってくれないのである。
「でも襲撃が防げて良かった。二十四名全員確保って、俺たち相当評判いいみたいですよ」
「ちいっと心苦しいな。半分は探索者ギルドの手柄だろ」
「あれ、もし訴人母子が殺されちゃってたら、どうなってたんでしょう?」
「親代わりの爺さんがいたろ。あの爺さんが遺体を抱いて法廷行って、死んだ娘の右手の人差し指を天に向けて指して叫ぶんだよ。『私は告発します』ってな」
「死体が犯人を指差す怪談って、子供の頃に聞いて怖くて寝小便したっけ」
「古い慣習だよ。気味悪いけどな」
◇ ◇
嶺南西部、ロンバルディ館。
主人が帰って来る。伴は家来というより弟分といった間柄に見える男で、レイドという名の郷士だそうだ。
「エステル夫人と一緒に参りました騎士レッドバート・ド・ブリースと申します。夫人はいま奥方様を診療中で・・」
「それはそれは! 御客人、よく御光臨いました」
磊落そうな館主は膝の故障で引退した冒険者と聞いたが、同年輩ほどに見える。一躍領地持ちの大金持ちか・・奥方も美人だったな、と思うレッドの脇腹を何故かアリ坊が肘で小突く。
「一門を率いているような格好をして居りますが自分一介の冒険者でして、功成り名を遂げた貴公が唯々羨ましう存じます」
「いや此処が身を退く良い際な気もしますが、妻が累代士族なもので御家を残して遣らんと申し訳なくて、踏ん張り辛い足引き摺って今ひと踏ん張りする所存です。お恥ずかしい」
温厚で謙虚な感じ。お宝見つけたギラギラ冒険者のイメージと程遠い。
「なんと! 以前'ジーグフリート'・レオン殿と聖ヒエロニムス修道院に見えられた千面鬼のジャン殿! 拙僧を覚えて居られまするか?」
「いやその、御坊さまは一度会ったら忘れられない御方と申しますか・・お久しうございます」
なんとヴィレルミ師、知り合いだった。
「いやいや単刀直入で申し訳ないが、『鉛の本』なる幻のアイテムをご存知ござりませぬか。亡き岳父殿の所蔵と聞き・・」
「あ、それならば凡人が持ってちゃ不可い代物みたいなお話だったので、御主君にお預け致しました」
「え!」
カルヴァリ師苦笑って・・
「ありゃ行き違い」
続きは明日UPします。




