8.追い付かれたら憂鬱だった
川船がシュトラウゼンの港に入る。
昼間なので殆ど閉まっては居るが、近くには見るからに歓楽街かという佇まいの一角が見える。
荷物持ちのブリンが、昨夜泊まったホーエンブリックのことを『超々つまんない郊外宿場』と呼んだのは、斯ういう文脈での意味合いだろうか。
思えば、大司教座のお膝元であるアグリッパの町にも露骨に品下った悪所の類は目に付かぬ。所謂あれだ。御不浄の無い家を建ててしまったら別棟に厠を設けると云う奴だ。それは少しく離れたところに有るものだ。
◇ ◇
レッドと相棒のフィン少年、それに御令嬢入りの大樽を背負ったブリンの三人が徐に下船する。 ・・いや四人だが。
アグリッパから乗って来た船客も殆どが上陸する。
見ると埠頭には、出港準備に余念の無いもう一艘が停泊中だ。
「ほとんどの乗船客は、昼飯食ったら彼方の船に乗り換えて先を急ぐんだ。他船に乗り換えないのは、今夜其処で精進落としする積もりの人だね」と、ブリン。
「へー・・、精進落としねぇ」
あんまり興味なさそうなレッド。
「と・・いう割りには、豪勢な遊郭とか見当たらないな」
「庶民向けの安い店が集まってんのさ。ここは、そういう街だぜ」
とはいえ真昼間だ。普通の飲食店がちらほらと見えるだけで、色街らしい空気を醸すものは精々が今は閉まっている店の前の看板くらいである。
「僕らには関係ありませんよね」
「ああ。そんな余裕は無い。ブリンさん、あんたは来たこと有るのか?」
「お得意さんだ。荷物運びに付け文届け、軽い大工仕事とか・・まぁ上得意が沢山居るな」
「お客として来たことは無いの?」
フィン少年、つい余計なことを聞く。
「興味あるのかい? 坊なら、此の街の小母ちゃん達が続々集まって来て、色々と面倒見てくれるぜ」
「遠慮しときます」
「それより俺らは、隠れて港の監視だ。追っ手の連中が先を急いでくれれば其れで吉、船を降りて来たら大至急トンづらの用意だ。忙しいぞ」
◇ ◇
船着場を望む丘の上の藪の中へと向かう。
「もごもご」と、樽。
「追っ手の動きを見届けたら旅館に部屋とるから、もう暫く中で我慢しろ」
「おしっこしたい」
「お前、もう完全に令嬢じゃないな」
◇ ◇
三人・・否四人、船を降りて来る人々の顔かたちが十分見える場所に身を隠す。反対側を見下ろすと、例の色街が一望できる。
「結構広いんだ」
「なんだ・・坊、やっぱり興味あるのか」
「ないですっ」
と、言いながら妙に気にしている。
「先輩! あれ!」
何か騒動のようだ。
「此方はこっちで忙しい。気を散らすな」
「女の子が男共に追われてます! どうせ次の船は未だ来ないでしょ?」
「面倒事とは、巻き込まれまいと努力しても巻き込まれる代物だ。ましてや態々首突っ込むモノじゃ無い。面倒が増えるだけだ」
「面倒で悪かったね。ぶうぶう」と樽が騒ぐ。
「売られてきた娘が女衒の目ェ盗んで逃げ出したんだろ。偶に有る騒ぎだ」
「街を仕切ってる無頼者とか居るのか?」
「おやおや、首突っ込むなと言ってた兄さんが! 興味アリかい?」
「否、なりたくて為った逃亡者じゃないが、逃げるために状況は知っとかんとな。追っ手が左様いう連中に金なりバラ撒いて手下に使ったりとか始められたら面倒と思っただけだ」
「アグリッパの大司教様が仕切るこの辺で、違法な『ひとの売り買い』は見付りゃ破門ものだぜ。詰まり、那の男共は勝手知らねえ他所者だってことなのさ。持って来た『商品』が売れなくてイライラしてる時に逃げ出されたんで相当気が立ってる気配だな。あの娘、捕まったら相当ボコられるぜ」
「イヤな話を聞かせやがって。あんたもフィンの肩を持つわけかよ」
「先輩、違法じゃない『ひとの売り買い』って有るんですか?」
「当然そりゃ有るさ。裁判官とこ行って、自分の意思で自分を売っ払うのは本人の自由だ。土地を売り買いすればデフォで付いてくる農奴、これも合法。農奴の娘が隣り村に嫁に行きたいと言い出したらば、領主が隣村の領主に買取り請求するのも合法だ」
「そういう人って、逃げませんよね」
「だろうな」
「つまり、娘に逃げられてる那の連中は違法なんですよね?」
「おおかた、な」
「やっちゃって良くありません?」
「ここいらに警官とか、居ないのか?」
「退役兵士の爺さん一人きり。日和って動かんだろな。色街の自治会が郡の関所へ通報に走ってるだろから後で連中お縄になるとは思うがね」
「ううっ、面倒はやだなあ」
高い所から見ると状況がよく分かる。
「あの健脚逃走娘、頑張ってるぜ。どっかの樽詰めお嬢も、落ちた城であんな風に逃げ回ったのかな」
とやら言いつつ荷物持ちブリン、そこいら物色して棍棒になりそうな物を拾って来る。
レッド、例の『バールのようなもの』で樽の蓋を叩き締める。
「嬢ちゃん・・てか小僧、大人しく収まってろよ」
「うぎー」
『喧嘩が後で法廷で係争になった時には、刃物は抜いていない方が有利である』という冒険者ギルド界隈での定説に則り、短剣は専ら柄頭でぶん殴る鈍器として使用する。
「不本意ながら面倒ごとに首突っ込みに行くか」
「先輩、女の子の旗色が悪いよ。袋小路に追い込まれそうだ」
「んじゃ一寸いと急いで、心ならずも正義の味方ぶろう」
◇ ◇
「ちょこまかと逃げ回りやがって小娘野郎! お仕置きの時間だぜ。たっぷり痛い目に遭わしてやる」
「小娘なら野郎じゃないですわ」
「あぁん? なぁんだぁ? おめぇも『桶は女性名詞だから、メケと呼べ』だとか妙な御託いう口かぁ?」
「待て! 『桶』は男性名詞だから、オケでオッケーだ!」
「なぁんダァ? キサマ誰だ!」
「通りすがりの教養ある冒険者だ。正しいことを行う」
「なんてこった! じゃ、俺ゃあの怪しげな旅の修道士にだまされたのか」
「そうだな。再会したら文句を言ってやれ。って言うか、怪しいと思ってたのなら騙されるな」
「いや、怪しい奴だと思ってるときに限って、ポッとモットモな事いわれると逆に信じちゃわねえか?」
「待てよ・・修道士と言ったな。僧侶たちの使う帝国古典語での話だとしたら強ち間違いとは・・」
「あのなぁ、俺ゃ忙しいんだ。これからその阿魔っちょ滅多鞭打くんでな」
「なんの権利が有って?」
「なんのってお前、所有者のだよ! 俺らが買って来たんだ。躾けは持ち主のやる仕事のうちよ」
「それならば書記官の起草した売買契約書が見届人の署名付きで有る筈だ。それを見せて貰わんと妄りに打擲する事など到底見逃せんな」
「見逃せねぇと、どうする」
「見逃せば『平和破壊』行為を目撃した自由市民の義務懈怠になるので、叫喚告知する」
「なんだか解んねぇが、俺らと喧嘩するってことか?」
「平たく言えば其んな所だな。見た所お前ら、無法者だろう。俺はお前ら千六本に斬り刻んでも罪に問われんが、お前らが俺を傷つけたら事実上死刑だぞ」
「なんだよ、その不公平!」
「世の中よろず斯んなもんだ。お前らだって娘らに不公平を強いてんだろ?」
「お前、屁理屈が多いって言われねぇか?」
「何を隠そうブリースの舌先三寸男とは俺のことだ」
「もしや『事実上死刑』ってのは吹かしか」
「いや本当。俺にはお前に決闘を申し込んで、するッと決闘代行のプロにチェンジする権利がある」
「そんならば、代行人とか呼ばれねぇうちに仲間いっぱい呼ばって、お前なんぞを片付けるのがお得って事だな。おおい! おおい!」
「先輩、敵さんの戦意を萎えさせようとしてたんでしょ? 失敗してません?」
「そのようだな」
「兄さん、随分いっぱい出てきたぞ。色々と読み違ってないかい?」
三人わりと奮戦するが、厄雑者の数が多い。
「先輩、やばくない?」
◇ ◇
そのとき唐突に、無法者が三、四人団子状態になって吹き飛び、石壁に当たって動かなくなる。
背後から現れた人影が復たひと薙ぎすると、また三、四人団子が飛ぶ。
「義に由り助太刀致す」
ひと薙ぎひと薙ぎ、瞬く間に人数が減って行く。
太鞘に納まった儘の長剣が杖のように石畳を突く轟音に、残った数人の無頼漢がびくりと飛び上がり、倒れた仲間も見捨てて走り去る。
「大事御座らぬか?」と助太刀の人。
「助かりました」と一礼して姿を見ると、追っ手の二人組であった。
「ま・・じ・・い」
続きは明日UPします。