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85.敗訴して憂鬱だった

 嶺南西部、ファルコーネ城のさらに西。


 エステル夫人が指を差す。

「あちらがゾンネンシュテルンの館。ゼードルフ元男爵がお住まいです」

 広い果樹園の向こうに瀟洒な屋根が見えている。

「往年の我等が郷土の星、あの英雄と謳われた御方に憧れは有りますが、今は先を急ぎましょう」

 レッドの言葉に残念そうなフィン少年。


「おじいちゃん・・なんでしょ?」

「でも、御元気充溢いっぱいですわよ。奥様お若いですもの」

 医術者観点であろう。


「ロンバルディ領もき見えますわ」


                ◇ ◇

 アグリッパ、法廷。


 市民ぺー、ことペーター・ライアー不安が募る、募る、募る。

「あれは病んだ奴の目つきだ。何かヤラかすぞ」

 ・・思えば昨夜、突然の依頼を受けたとき、ガキ共・・いや、セスト・ヒュッカーほか五人は姓を聞いただけで何処の富豪の放蕩どら息子か見当が付いたが、セティモ・エスタブロって誰だ?

 あれは爆弾だ!

 いま絶望のふちで余計なことやらかす。

 あいつはやばい。本能的にそう思う。


 そして直後、爆発する瞬間を見てしまう。

 司法決闘のリング設営が終わり、皆が着席して裁判長の声を待つその瞬間。

 一瞬の静寂の中、セティモが輪の衝立に身を乗り出すようにして叫ぶ。


「アタナシオ司祭を呼べ! アタナシオ司祭を! 誰か!

  お前ら只じゃ済まさないぞ! 見てろ!

 父さん 父さん 助けて!」


 裁判長の顔に「あーあ、皆に聞こえちゃってるよな」と書いてある。

「右陪席、アナウンスを!」

「えー皆様、間も無く審理再開ですが、先立ちまして大司教座のほうからお知らせが有ります」

「大司教座で働いております在家信徒のクラウディオ・フロランスと申します。ご存知と思いますが、聖職者の方々は法廷に立つ事なく、刑事裁判に干渉することもございません」

  「『大司教座のかた』じゃねぇのね」と野次。


「大司教座のアタナシオ司祭は、昨夜重大な戒律違反を犯して僧籍剥奪処分を受け聖地巡礼の旅に出ることで破門だけは免れました。

  「戒律違反って子作りかよ」と野次。

「アタナシオ司祭は、二十年程前に妻子と別れて出家なさった方です。道に迷った嘗ての肉親を救いたい人情には若干同情の余地がありますが、世俗の法への干渉は許されません」

  「教会って厳しいのね」と野次。


「裁判官様、公正にして厳正なお裁きを」


                ◇ ◇

 嶺南西部。レッドら一行ロンバルディ勲爵士領に近づく。

 マレリ卿の旧宅を改装した慎ましい館が見える。


「大成金ナリキンにしちゃ質素だねぇ」


「例えば確かラリサ嬢はお祖父様が勲爵士でお母上も士族だから、アシール卿とのお子は祖父祖母四人とも士族なので、生まれながらの世襲騎士階級りったばる。でも、こちらロンバルディ勲爵士は初代ゆえ、お孫さん以降が世襲騎士階級です。結納金にせよ持参金にせよ結構必要ですので財産は温存しませんと」

 子供には騎士階級から配偶者を選ばないと家格が維持出来ない、という意味だ。


「ああ、領地持ちも維持費馬鹿ンなんねえよな」


「ねぇねぇラリサ、昨夜子供作ったの?」

「だからエステル様は『例えば』って仰ってたでしょ。この桃色ぴちぴち娘」


「うーん、僕の理解が正しいならばね・・」

 アリ坊がまた何か偉そうな事を言おうとしている。

「・・勲爵士さんだろうと先祖代々騎士だろと、子供が騎士以上と結婚しなけりゃ家格ダウンだから同じだよ」

「そらぁ嬢ちゃん、甘いぜぇ。上に行きたがってるぶん足元見られて、いっぱい金取られるんだよ」


「アリシアちゃん、あなたはご両親とも男爵という血筋で、それが普通だったから平気で捨てられる。きっと値打ちが分かってないから。わたくしとラリサちゃんは準貴族の家に生まれて良縁に恵まれ、貴族籍を頂いた。たぶん、手にいれる努力をしてないぶん、その値打ちが分かってない。違うかしら?」

「・・(まだですが)」とラリサおもう。


「そしてブリンさんは、たぶん一度すべてを喪ってから努力して自由平民まで返り咲いたので、値打ちが分かってる人だと思うわ」

「堕ちたまんまの俺はゴミですよね」とヒンツ。

「失なって分かる価値もあるわ」とエステル夫人。

 とって付けた感は、ある。


                ◇ ◇

 アグリッパ、南広場。

 石造りのベンチに掛けたペーター・ライアー、しみじみと呟く。

「あそこの商会、放蕩どら息子の一人の実家だったな・・」

 司直の強制捜査ガサいれが入っている。もう資産は凍結されているだろう。


「礼金は絶望か」


 ・・あのあと、逡巡しりごみして誰も剣を握らなかったので司法決闘は実施されず、被告七人は腑抜けたようになって刑場へと引かれて行った。

 あのセッティモとかいう小僧の尋常でない様子を見て、俺の胸に消魂けたたましく鳴った警鐘は何だったんだろう。

 もしかしたらのとき何か大きな厄介が起ろうとして、大事に至らず喉元過ぎたとか、そんな瀬戸際だったのかも知れない。俺はそのくらいは自分の嗅覚を信じている。


 ふと、隣に腰掛けて来る者がある。

「ああ、あんたか・・」

 決闘人ヨセフ・エンテラだった。

 ・・決闘人は処刑人と同じで所謂『裕福な被差別者』だ。ふん。人を殺す職業が忌まわしいと言う奴は兵隊に喧嘩でも売って死ぬまで殴られるがいい。


「あんた、上手いタイミングで逃げたな」

「あの傭兵、目の下に横真一文字の刀疵あったろ。あれは戦場で兜の面頬の隙間を斬られた傷だ。そんな猛者とらされて礼金無しとか・・真っ平ごめんだ」

「決闘人同士なら、そんな死亡率は高くないんだって?」

「ああ、どちらか致命傷負う前にベテラン審判なら『勝負あり』判定下すからな。なんで知ってる?」

「そりゃ俺だって代言人でメシ食ってる様なもんだ。司法決闘は何度も見てる」

「そうか」

たまとる気で戦うのがデフォな連中とり合って良いことなんぞは一つも無いって理解できるさ」

「それは真実ほんとだ」


「俺が以前仕損しくじって依頼者を死なせた訴訟も、そうだった。相手方の代闘者資格をつついて降板に追い込んで勝訴つ目論見だったんだが、外れた。向こうさん、もっとやばい奴を出して来て、負けた」

「傭兵だったのか」

「いや、騎士だ。決闘で何人もってる狂犬みたいな奴だった」

「なんでそんな奴が出て来た?」

「敵の代言人が俺より一枚上手だったのよ。無料ただで最強決闘人とれるぞと言ってスカウトしたんだとさ」

「それは『狂犬みたい』じゃないな」

「ああ。狂犬だった」


                ◇ ◇

 アグリッパの環状大道。外郭の内側百パススを廻る防衛上の火除明地だが、曜日ごとに市場が立つ。

 そんな広い道路を何周もしている黒塗りの箱馬車があった。


「下手な隠れ家より密談向きですな」

「欠点は、お尻が痛いこと。だらだら話し込むな、という戒めと思いましょう」


「あの時、司祭さま知らん顔して傍聴席におられるのを見て、つい吹き出しそうにりました。露見ばれないものですね」

「平凡な顔してますもので」

「助修士さんが『聖職者は法廷に立たない』と言ったとき、司祭さまは笑って御在おいでだったでしょ」

「いや、座って居りましたし」

「ホラティウス司祭さまはヴェロネ橋を渡らない御方だ、と」

「ははは」

「どうにか『アタナシオ司祭は身内可愛さの余り世俗法廷へ圧力をかけようとして断罪された』というストーリーを拡められそうですし、重ねて情宣して参ります」

「少々『野次』係さん故意わざとらしかった気もしますが」

「いやいや、多少芝居がかった方が大衆受けが良いもんですよ」


「あと、カラトラヴァ侯の敵対勢力が真相を嗅ぎ付けて密かに金を強請ゆする、という後日譚が付きます。隠蔽しようとしたアグリッパ大司教座は侯への敵対者ではなく飽くまでも中立・・というお話」

「金庫長どの。あの台詞、言って宜しいですかな?」

「あの台詞・・ですか」


「お主も悪よのぉ」


 

                ◇ ◇


続きは明日UPします。


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