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79.覚えきれずに憂鬱だった

 エリツェの町から街道を南へ。

 レッド、エステル夫人の軽馬車と並走する。

 好天に恵まれ、辺りには南部らしい沃野の田園風景が何処までも続く。


「あれ? 荒れ地・・廃村の跡ですか?」

「あそこ、野盗の非道い略奪に遭った自治村で、多くの家が働き手を失なったので遺民は当家うちの領地で引受けたんです。ひところ南隣りのグウェルディナ国が内乱で敗残兵が越境してきて困りました」

「今は・・解決なさった?」

「ええ。当家うちとかも結構治安回復を頑張ったもんで、明公とのよみして副伯ヴィスコンテげて下さいましたの。領地なんて倍ですよ倍」

 勝ち組らしい。


「嶺南があの御家騒動で揺れたとき『こっちの配下になんなきゃ野盗に襲われてもシランプリ』なんて言ってた派閥には天罰が下ったんです。集権志向は政策として理解わかりますけど、人間やっぱり義理を欠いちゃぁ生きていけませんよね」


「エステル医師せんせいも素は結構下町言葉なんですね」

「そりゃ町医者に弟子入りしてましたもの」

「昨夜縛られてた青年も、その頃の?」

「ええ。あれも困った奴なんですけど、努力家なんですよ。あの頃こっちの派閥は旗色悪くて軒並み自由都市に逃げて来てました。あいつエリツェの町で育ってから騎士目指して修行に出て、帰って来たら就職の口が無い。それで柄でもない文官に就職したんです。それで出世した。でも痴漢。」


「それで幼馴染みなのですね」

 いつの間にかラリサ嬢の馬も並走している。

「わたくしの師匠とワルトラウテ様、それにあいつのお母さまがエルテス尼僧院の美少女三姉妹シスターズだったそうです・・半世紀前の」

 ・・さすがに半世紀はなかろう。

 三姉妹シスターズと言うのも尼僧スールの事なんだろうけど。


「ワルトラウテ様って・・ワリー様ですよね? そのお嬢様の御夫君が彼の兄上で御母堂が・・」

「むかぁしの動乱で亡くなった伯爵夫人を最後までお護りした三人の侍女の遺児がお山エルテスで一緒にお育ちになったんですから、本当の姉妹より姉妹なさってますわ」

「あれ? じゃ、大奥様は・・」

「年齢が少し上だったんで、むしろ月影様と近しい間柄だったとか」

「月影様って・・」

「あ、伯爵家筆頭侍女だったヴィリの女男爵ばろねささまです。男だったら筆頭家老だった家格のかたで、今はヒルダ様に譲られてお城の采配は執られませんが、常に明公とのの傍らに御在おいでです」


 すでに誰が誰だか頭の整理が追いつかないレッドであった。


                ◇ ◇

「それで、その子はもう変装の必要が無くなったのに、ずうっと男の子の格好をし続けているんですの」

 レベッカの話、大いに受けている。

 修道女と言っても若い娘たち。俗世の話、特に恋愛話には興味ありあり。黄色い声を上げて騒ぐ。


 モデスティ様の家の中庭、今日は隣りの尼僧院から数名遊びに来ている。此処に来るのは何故か口うるさい年配シスターも咎めないという。

 レベッカの作る手料理も評判が良い。

 シスターへの鼻薬にと、お土産のお菓子も作った。


 不図ふと西の空を見る。

「みんなの事、思い出してるのね?」

 レオノーラ様に言い当てられて含羞はにかむ。

「誰かに様子、聞きに行かせましょうか」とモデスティ様。

「いいえ。きっと無事ですし」

「そう?」


 隣りの尼僧院の屋根で鴉が鳴く。


                ◇ ◇

 ランベール城、地下。

 水の溜まってしまった地下道から小柄な冒険者が戻って来る。

「ぶふっ」

「どうだ?」とパーティのリーダー。

「横道らしいのが有るが、濁ってて分からねぇ。素潜りじゃあ無理だな」


「こんな所で溺れられても寝覚が悪い。無理するな」と、アンリ。

「水を掻き出そうにも、捨てるとこが無ぇな・・」

 リーダー扼腕。


                ◇ ◇

 アグリッパの下町。

 斧鉾を持った衛兵が事情聴取している。

「こいつら剣を抜いてるぞ。あんた一人で全員殴り倒したのか? ・・素手で」

「ああ」


「この状況なら、あんたが正当防衛で、無傷でもこいつらを傷害罪に問えると思うが、そっちのお嬢さんは難しいな。暴行を告発する証人が足りん」

 未遂罪の観念がない世界だから丸腰の相手に剣を抜いて襲い掛かれば、手も足も出ずの返り討ちでも傷害罪だが、死刑確定の重犯罪である婦女暴行を告発するには状況証拠だけでは無理だ。


「そんなっ! じゃあ娘は・・」と言葉に詰まる中年の女。

「拉致現場の目撃者も探せば或いは定足数に届くかも知れんが、足りないとマズい。決闘裁判に持ち込まれる虞れが有る」

「ふむ・・」と、顔に横一文字の傷ある男。

「こいつらの衣服みなり、いかにも金の有りそうな何処かの放蕩どら息子だ。金にもの言わせクソ強い決闘代行人を雇われたらお嬢さん、やばい事になるぞ」

 衛兵、被害者にけっこう親身な物言い。


「俺が娘さんの代闘者カンピオンでは駄目か?」

「あんたは母親に雇われて救出に来た人だろ? 金銭授受があって良いのは公式に登録された決闘人だけだ」

「登録を受ければ良いのか?」

「いや・・代々ずっと決闘人の家系の者しか登録できない。ここは弱者に手厚い町だから裁判官が特認をくれるかも知れないが、お嬢さんには危な過ぎる賭けだ」


「ならば、金を貰わなければ良いのだな? ギルドで受けた緊急依頼だから、まだ手付けも貰っていない」

「あんた、銭金抜きで命を賭けられるのか?」

「義があれば賭ける」

「ならば職権で告発を受理するが、構わないのか?」

「どうかっ! お願いしますっ」と被害者母子、傷男にすがり付く。


 衛兵、倒れて意識の無い不良少年たちに黙々と縄を掛ける。


 少し離れた物陰、野次馬らの後ろ。

 マントのフードを目深に被った初老の紳士が様子を窺っている。

「あの放蕩どら息子、思った以上に馬鹿者だったな」


 呟きつつ雑踏に消える。


                ◇ ◇

 嶺南州、南街道から西へ向かう分岐点辺り。


 ラリサ、思案顔で聞き返す。

「じゃ、筆頭侍女のヒルダ様と仰る方がマリウス卿の御母堂なのですか」

「トルンカ男爵家のヒルデガルド様。あんな厳格な賢夫人の末の息子が、あれ・・ですわ」

「育った環境が厳格だった程、実家から独立した途端にいろいろ崩れちゃう人・・いますよ実際」

 レッド、実はヒンツの顔が脳裏に浮かんでいる。


「動乱の頃、トルンカ家は族滅されるのを避ける為、二人の息子を別々のところに預けました。いま思えば、わたくしやクリスちゃんのお尻が被害に遭い出したのは彼が実家を出て町のほうに預けられてから・・です」

「でも彼、もしや理性を失うのは、本当に惹かれた人に出逢った時だけでは?」


 エステル夫人、ラリサに指摘されて、はっとした顔。

「ワルトラウテ様のお嬢さん・・今は彼のお兄さんと結婚なさってるナネット夫人ですけれど、わたくし達むかしからく似てるって言われるんです」


 レッド思い当たる。

「もしかして公文書館に御在おいでの?」

「公文書館の裏手がすぐ館長公邸ですから、そうかも知れません」

「もしかして、昔からお兄さんの恋人?」

「・・べたべたでしたね」


 きっとなんか、幼年時代のトラウマらしい。


                ◇ ◇

 モーザ川付近、旧河道だった三日月湖が干上がっている。

 冒険者たち、総出で湖底に溜まった泥の掻き出し作業に勤しんでいる。


 石積みの護岸ある真の旧河道の両側に立ち並ぶ旧帝国の市街は、驚くほどに保存状態が良い。

「うほっ! 金貨だ金貨っ!」

「たった一枚じゃねぇか」

 それなりに金品は出土しているが、財宝と呼べる量ではない。


「この街が財宝じゃよ。文化的財宝じゃ」

 グァルディアーノ老師、姿を現した古代の石畳を悠然と闊歩する。

「実に残念ですが、よく見えません」

 マリュス青年、礼拝堂跡が崩壊したとき鼻眼鏡を喪失してしまった。

「あれ・・高価たかかったのに・・」


「文化的財宝・・ですか」

 ・・観光資源には、一応なるかな。


 ぐるり見廻すとクラリーチェ嬢、踵を返して立ち去る。

「わたくしは、わたくしの仕事をましょう」


続きは明日UPします。


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