69.急転直下憂鬱だった
朝未だき。
モーザ川側の三日月湖畔。
「ここが『コルネラの鐘』よ」
小さな丘を指差すミシェル夫人。
古い礼拝堂跡で何故か鐘楼のみ形を留めている。
少年姿のクラリーチェ嬢、さして高くない塔を見上げる。
「鳴りますの?」
「無理じゃろ。鳴らす舌が外れて落ちとる。辛うじて鐘だけぶる下がっとると言う感じじゃな」
複雑な構造のカリヨンなどではなく、古拙なベルたった一つ石壁を貫く青銅製の梁に架かっている。
「少々危なっかしいですかのう」
グァルディアーノ老師に言われて見れば石造りの塔すら少し傾いで建っていた。
「中へ入ってみましょう」
「中ちゅうても外と同じじゃが」
礼拝堂は外壁が三面残っているだけだ。
「冒険者たちが隈無く調べとる・・。何も有りはしまい」
鐘楼よりの壁際には、空っぽの石棺。石蓋に胸前で合掌した婦人の浮彫があるが風化著しく容貌までは判らない。唯だトラヤヌス風の書体でC の一文字。
「合掌している両の小指の付け根の瘤・・指輪ではないのか?」と御家老。
そうである様にも見え、そうでないとも思える。
「これです!」
皆が、クラリーチェの指差すかたを見る。
「ん!」
「これは! 獅子の角じゃ。『家譜』の表紙と同じ絵じゃ」
石壁の上、彩色は褪せて消え果てたが、輪郭の線刻が残っている。
◇ ◇
エリツェ、丘の上の例の邸宅。
レッド一行朝食を頂き、出立を告げて恩を謝す。
「今夜も泊まるでしょ?」
・・あれ?
夜の予定が決まって仕舞う。
大奥様の言葉に『圧』が有る訳ではないのだが、なんとなく断れない。
門の前に、なんとファッロ夫妻が当然のように待っていて、奥さんが女の子組に参加した。
「治安のいい町だから、おれたち程度がボディガードでも間に合うにゃん」
結構謙遜だと思うレッド。
ふた手に別かれ、野郎組はヴィレルミ師を先頭に公文書館へ向かう。
小洒落た山の手通りを抜けて東大路という大通りを中央公園の方へ向かう。
ぐるり大廻りしている感じだ。
「ええと・・確か此方でござりまする」
少々怪しい。
官庁街の裏手にひっそりと在るが結構立派な建物。
入ると何故か、昨夜のワリー様が居る。
「あらあら・・来るって言って呉れれば近道を案内したのに。わたくし? 此処の館長してますのよ」
裏から坂を登ると目と鼻の先らしい。
大奥様が、妹様が始終ごはん食べに来るーーとか仰ってたのは、そう言うことだったのか。
「それで、何が調べたいのかしら?」
「『尊卑名鑑』を拝見致したく存じまする」
「なん巻?」
大著らしい。
「『Ma』の巻をお願い申し上げまする」
「ナネットちゃーん、『尊卑』の『Ma』頂戴な」
定食屋の女将みたいな声で注文とおす貴婦人。
「はーい」
定食屋の女給みたいな声とともに途轍もない美女が現れて大型本を置いて行く。
・・いや、美女なのだが、昨夜の女医と一緒にいたら区別つく気がしない。
嶺南の深い闇に触れたレッドであった。
ワリー様が美女と書庫に消えたのを目で追った後、ヴィレルミ師小声で囁く。
「昨夜、大奥様が貴婦人がたを御紹介なされました時、何方様の氏素性も仰いませなんだ。その心は何と思し召す?」
レッド、結構真面目に考える。
「お召し物や物腰、立居振舞い等々から如何考えても爵位をお持ちの御身分の方々ですよね?」
「左様でござりまする」
「そして、この町は自由市民の自治都市ですよね?」
「左様でござりまする」
「自由市民の町で暮らす以上は門地云々など口になさらないと、そのような信条をお持ちなのではないでしょうか」
「同意でござりまする。どこぞの貴族さまと紹介なさらずお医者さまと仰いましたし、妹様は公文書、つまり古典語を操れる教養人で御在います。自治都市に於いて貴族の血筋ではなく能力で然るべき地位に在るとの自負をお持ちかと存じます」
「成る程ねぇ」とブリンが得心した顔。
「おっと、騎士家の『マレリ』でしたな」
◇ ◇
山の手の外れ、街の屋台でなく少し気取った飲食店の多い辺り。ローラお薦めの甘味の店。
エリツェ名物鉱泉水蜂蜜味を堪能する女子組一同。
「ああ、命のお洗濯だなぁ」
ラリサ嬢、若いみそらで張り詰めて『仕事の出来る姐御』をやって来たが、この数日というもの若い娘どうしで羽根を伸ばしてご満悦である。わんにゃんコンビが服装からして貴族家の奉公人っぽいので、男装したアリシアがお忍びのお坊ちゃま役、若い娘三人侍らせた格好になる。
「それでねそれでね、つぎは、かわいいグッズのみせ、ひやかして、まわろ」
「いいわね!」
中央公園のテントの店舗。精緻な硝子細工まで売っている。
アリシア、決して安くないのを一点求める。
「はい、ローラちゃんにプレゼント。自分用を買うと旅の途中で壊しちゃうから」
ローラ、硝子細工より目を輝々させて喜ぶ。
アンヌマリーの嗅覚がソースの灼けた独特の香ばしい匂いをキャッチする。
流行っている屋台だ。
「これ・・昨夜のアレよ」
昨夜出た肉料理は可成り上等な肉を贅沢に叩き刻んだもので、此方は庶民向けの廉価版だが、焼き上げたパン生地を二つに折って挟んである。
「これって食べ歩きが出来るわ」
歯応えのある肉だと噛み千切った拍子にソースが飛び散ったりしそうだが、これならば大丈夫。一も二もなく飛び付くアンヌマリー。
「こりゃあ伯爵さまの兵団で行軍しながら腹ごしらえ出来るって評判になった新式軍糧でな。元炊事兵のやってる屋台が他所にも有るぞ。けど俺のはオルトロス街のカイウスの店で習った本物だ。ひと味違うぜ」
親父の口上を聞いてアリシア達も追随する。
「これって、はじめてー。おうちでも、つくろ」
好評である。
ぶらぶら歩き。
職人街までやって来る。
「あれー? あたらしいおみせ?」
袋物職人の直売店らしい。
ローラが藍色のポシェットのようなものを手に取る。
「おや、娘さんお目が高いね。うちはフラックス商会の直営店で、商会で扱ってる藍染めの革と錦の両方を取り合わせて袋物を作ってるんだ。それは自信作だよ」
ローラ、値段を聞かずに買って仕舞う。結構高い。
「あやー、あるかなー」
あちこちもぞもぞして、辛くも所持金で間に合う。
「はい、これ、つかってね」と、アリシアに呉れる。
「え!」
「おお、彼氏にプレゼントかい!」と職人店主が思い込む。
「これは、こうやって肩から掛けてねー・・」
アリシア。躊躇っているうち、どんどん装着させられて仕舞う。
「・・こう腰のベルトに固定する。こうして・・坊ちゃんのお腰の是の短剣をこのスロットに差して出来上がり」
なんと、ポシェットと短剣の鞘が一体化する代物だった。
「うーん。藍染めの革と鞘の色に柄の色。鍔の色と止め金具の色。誂えた様だ。娘さんのセンス素晴らしいね。彼氏の持ち物をよく知ってないとちょっと出来ないコーディネートだな」
盛んに感心している。
「えへへー」
実は此の町、武器の所持には結構煩くて、騎士の差し料こそ例外だが普通の自由市民が腰に差す護身用短剣は警吏にオイコラされる。アリ坊の場合お小姓に見えてボーダーライン上だったのだ。この手のポシェットにセットすると、条例上で懐に忍ばせたのに準じる扱いとなってセーフなのである。
なんかハッピーな空気が漂ったその瞬間である。
「にゃっ!」
「うー」
「!」
ラリサら三人、瞬時に危険を感じてアンヌマリーを庇う。
「あいつ・・強い!」
爛々とした其の視線。ひときわ大きい男が白昼堂々、路上で距離を詰めて来る。
獣人の二人、左右へ機敏に散開する。
・・暗器で隙を突くなら或いは・・いえ、三人で同時に奇襲しても勝てないわ。
「どうして此んな奴が突然・・」
ピンチは突然やって来る。
続きは明晩UPします。




