6.少年は特に憂鬱だった
レーゲン川を遡る船上。
あはれ壊滅して終ったランベール男爵家の元令嬢アリシア、フード付きマントを深々と被っていた時でもレッド大兄声で女と勘づいたが、黙っていれば顔出しでも問題なさそうだ。
何せ髪を短くばっさり切って、鼻の頭には煤まで塗っている。
ひとかたならぬ美少年には見えるから一部のご婦人は御興味を示すし、隣に座るフィン少年も顔かたち整っているので、船旅の客たちは見てないような素振りして結構ちらちら見ている。
「これ、ちっと拙いか」
レッド苦笑。
「直きにホーエンブリックの町へ入る。未だ夕暮れでもないが、この船便は此処で一泊して明朝出航だそうだ。追っ手の動きも気になる所だが、下手に先を急いでも目立って藪蛇だ。こっそり行こう」
◇ ◇
石積みを矢板で囲った船着場に接岸する。
港の周囲は酒場と旅館街。
「まだアグリッパからも近いしな。あまり出歩かず引き篭もって居よう」
いちおう人目は避ける方針。
宿に落ち着く。
良家の子女らしからぬ大股開きで寛ぐアリシア嬢、腿丈スモックからにょっきり生足出しても、短い股引がかぼちゃパンツのようで色気ない。
「嬢ちゃん、ついこの前まで『お嬢様』してたんじゃないのか?」
「うーん・・。逃亡生活中に吹っ切れたというか、長かった髪をばっさりと切ったあの時に踏ん切り付けたと言うべきか、まぁ、お澄まし顔で嫁入りの支度しちゃう未来は諦めたもんで」
「いっそ冒険者にでも成っちまうか?」
「尼寺に行けば一族への風当たりが緩むんなら、それもアリかなぁ」
結構達観しているようだ。
「お家再興とか考えてないのか?」
「そんな大望ムリメだし。でも郎党衆は無事脱出させたいし、仇敵のボーフォルス男爵家にせめて一矢報いて鼻を明かしたいとか、その程度」
「そんなに恨んでないわけか?」
「恨んで無いわきゃ無いけれど、こういう確執って直ぐもう何方が先か分からなく成るじゃん。うちの母上犯られたけど、先に向こうの娘を傷物にしてて生娘だったぶん我が方の戦果が大きいとか。あ、これ飽くまでも例え話ね」
比喩じゃなくて実例らしい。
「イーフリキアの爆裂弾ですか。やだやだ」
「泥沼なんだな」
「お宝たんまり持ってたんだろ。なら、なんで金に糸目付けずに強力な傭兵団とか雇わなかったんだ?」
「うーん、兄上はリュードーセーブソクとか何とか言ってたなぁ」
「ふーん」
何だか分からないレッド。
夕食にも若干早い。
「俺は一つ様子見と情報収集に酒場でも覗いてくるぞ。フィンは嬢ちゃんの護衛を頼む」
「あ、先輩狡っこい」
レッド振り返らず、早々と出掛ける。
◇ ◇
「ちぇ」
ミドルティーン二人、部屋に残る。
「ねぇ・・私って生娘でなくなれば貴族相手の嫁ぎ先にこと欠く筈だから、追跡が甘くなると思わない?」
何考えてんだ、と呆れるフィン少年。
「それ、どうやって敵に知らせるわけ?」
「うーん・・。私がキミとイチャイチャしてると、何となく情報として伝わるかも知れない。コスト掛けないで実行できる作戦だったら、やって損ないでしょ?」
「思うに・・お兄さんが君みたいだったらば、ランベール家って惨敗しなかったんじゃないのかなぁ」
肩を竦める。
「・・(この娘、せっかく見た目かわいいのに・・)」
◇ ◇
ホーエンブリックの町、路上。景色はだいぶ夕方っぽい。
夜明けとともに働いている連中が、そろそろ仕事上がりで一杯やり始める頃だ。既に幾つか煌々と明かり灯して賑やかな店が目に付く。
レッド、いちばん明るい店に向かう。
入ると、人好きのする感じの女将が肉串を炙りながら笑顔で迎える。
壁面を見回すと思ったとおりである。独特の絵文字で書いた冒険者向け求人票が幾つも貼り出されている。
ギルドの支部の無い衛星聚落に在るこういう酒場は往々にして求人票を掲示する委託契約店だ。まぁ、割のいい求人は直ぐに成約するので、流れてくるのは皆なが見して請けないでいる痼り玉だが。
レッド、夕食は日没後に宿で皆と一緒の積もりなので、炙った腸詰等でエールを軽く呷る。
「なぁ、兄さん」
声を掛けてくる人がいる。
「ん? ホーエンブリックの町の冒険者さん?」
「むぅ、まぁ・・出て行きたいと常々思ってるんだけどね。アグリッパの様子どうだった? なんか変わり、あった?」
「いやぁ、俺も久しぶりに上京した田舎もんだ」
「そうか? なんか大仕事請けたんんだろ? 顔に出てるぞ」
「顔に?」
「ほら、ひとの気合いの入り方って、顔に出るだろ」
「そういうもんか?」
「もんだ」
「・・(結構もろに顔に出るものらしい。だけれど俺って、この仕事にやり甲斐を感じてるって事か? )」
◇ ◇
じゃりっと、埠頭で小石を踏み締める音。
「ディード、この町に手掛かり有ると思う?」
「余程船足が速いか朝一番に出立したか。左様でなければ、一日でシュトラウゼン迄は届かん。十中八九は此処に立ち寄って居ると思う」
「まだ居るかも?」
「何とも言えぬ。此処から馬車で夜道を奔ってヴュルムまで行きエールケ川を遡るルートも有る。一刻も早くアグリッパから離れることを優先するなら左様するかも知れぬ」
「結局、どの程度まで追っ手を警戒してるか次第かぁ。追ってるあたし達としちゃ複雑よね」
「うむ。決断も行動も早いという評だが、逆に大肝な処の有る印象も受けた」
「そう! それ、有る」
二人、とりあえず馬車屋へ聞き込みに向かう。
◇ ◇
酒場。
「そうか。仕事で南部へ行くのか」
話し掛けてきた男はブリンと言って、北国の生まれだそうだ。
「なぁ、俺を荷物持ちに雇わないか? なんならメシ支給だけで働くぜ」
「そんな薄給でいいのか? お前さん、この町でそこそこ食えてるんだろうに」
「居ても詮ない所から行く当てない所行くのに、理由は要らんだろ。冒険者のやる冒険のうちだ」
「ふぅん」
意味が分からないが、何となく腑に落ちた気もするレッド、この店での飲み代を手付代わりにして彼を雇って了う。『D級で燻っている中年冒険者』という自称に其処は彼となく斯れ丈でない気がしている。
◇ ◇
レッド、宿に戻って厨房で三人分の夕食を受け取り、部屋へ帰る。帰ると半裸のフィン少年が襲われている。
「せぇぇんぱぁぁぁ〜い! 助かったぁ!」
男装したアリシア嬢に剥かれるという奇妙すぎる構図だった。
「お前ら・・なにしてんだ」
「いやぁ、追っ手のボーフォルス男爵家としては、私が正とした貴族家に嫁いだら子孫が御家再興とか狙うと厄介だから、捕まえたらば貞操蹂躙しちゃえとか、一層殺しちゃえとか考えてると思うわけ。それで、先手を打って傷モノになっちゃえば安全度が高まるかって計画で・・」
「いや、お前がフィンを傷モノにする気まんまんに見えるぞ」
「大丈夫。男の方は傷かないってば」
「嬢ちゃん、お前凄くオッサンっぽいぞ。それより夕飯食っちまおう。出立、明日朝早いの分かってるか?」
「先輩、そんなに平静に去さないで下さいよ」
「終わりだ終わり! 早々と切り替えろ。飯食って寝るぞ」
「ごはん食べて直ぐ寝るの、よくないよ。フィンくん、後でお姉さんと続きをして遊ぼう」
「お姉さんって、ひとつ上なだけじゃないですかぁ」
憖じ彼女、ちゃんと男の子に見えているので、実に奇妙な絵面だ。
◇ ◇
翌朝の埠頭。
背負子で大樽を担いだブリン・フリントが川船に乗り込む。
乗船客を検分しているディードリック・クレア組が此処で、ベテランらしからぬ凡ミスを犯す。情報通のクレアが、ブリンの事を既に此処ホーエンブリック在住の冴えない冒険者、荷担ぎ稼業で糊口を凌ぐ男と知っていたが為に、つい樽の中身を疑うことを怠ったのだ。
アリシア嬢まんまと船内に搬入される。
おまけに彼ら、顔バレもする。
「あそこの二人組・・」と、フィン少年。
「ああ。男の方はA級剣士並みの風格が有るな。十中八九、あれが討ッ手だ」
「彼女の仇さん、先輩の読みどおり探索者ギルドで人を雇いましたね」
「お俺たちも、もう船に乗っちまおう」
◇ ◇
「ディード、あの二人は?」
「若い方、女顔だが本物の男だ。軍隊ではああいうカップルはよく見た」
もと騎士だが実戦経験も碌に無いレッド、剣鬼の域にも達するディードリックの警戒網に懸からない。
「馬車屋じゃ、怪しいチャーターは無かったわよね。朝一番の船にも怪しいやつは誰も無しかぁ」
「第二便の乗船が始まるぞ」
二人、移動する。
これは能力でなく相性の問題だった。
傭兵は強く見えて何ンボ。気配は消せても武威を隠す習慣が無い。元々が大して強くないレッド有利である。
四人になったレッド一行、虎口を脱する。