57.と或る上司も憂鬱だった
ふた昔ほど前の話。
嶺南州が御家騒動に揺れた時代、敗勢だった外孫派の多くは公職を去っていた。
マッサの青鬼の渾名で知られた父親とは似ても似付かぬ優美な姿に生まれついたフェンリス卿は、自治都市エリツェの下町で、何処ぞの町医者の娘や文官の娘など女ばかりに囲まれて、気性も柔和に育った。内孫派が瓦壊零落しなければ、ずっと平凡な司書であったかも知れない。
まぁ偶々である。
偶々その女友達の父親が暇に飽かせて彼に剣術の稽古を付けた結果、野に下った天下の剣豪が唯一残した直弟子になって了った。
偶然である。
そんな彼だが、矢張り万巻の蔵書に埋もれて四六時中過ごす司書を天職だったと思う気持ちに変わりは無く、また得た知識を語り出すと止まらぬ癖も直らぬ。
今また其れが出た。
「御両家の玄牝を帝国の賢婦コルネリアに擬えた以上、彼女の宝石が二つ倶母に先立って志半ばに斃れたと云う史実は言うを憚るべきですわ」
「クラリッス、言い方まだるっこしく無いかい?」
「嫌味っぽさを込めましたの」
確かに彼女、生来紋切り型である。
「一言多いです」
「そう。それが君らしいよ」
「いや、憚ることは無いと思う。少なくとも俺は気にせぬ。実際、世の中我が子にカインやアブサロムと名付ける親は少なくない」
「ほら、逆に気を遣われちゃいました」
実は嶺南というのは旧弊な部族社会の遺風を強く残していて、血族内で同世代の従兄弟らが夫々家来衆を率い戦闘部隊を作ったりする。近代化した軍制を敷こうとしても地侍の縁故集団で勝手に固まって仕舞う困った土地柄なのであった。
そこへ義兄弟という古い慣習が根強く効いてきて、男二人が結縁の盃を交わすと漏れなく兄弟姉妹が付いてくる。ここで筒井筒が如くに気の置けぬ会話をしている男女も、そうして最近出来上がった兄妹であった。
ジョンデテ氏の下半身繋がりな新着妹と、また違った味わいである。
◇ ◇
大司教領ブルクラーゼ。二十人くらいづつ泊まれる建物が軒を連ねている。
「土地が呪われる事は御座り申す。土の穢れが黴の毒素のように広まるのは、人が罹る疫病と同じ。数年休耕して封じ込むことが出来申す。万古の昔に大地の奥底へ封じられていた猛毒が鉱山から川へと漏れ出して了った事も御座りました。これは穢れを祓うことが出来ませなんだ。
然し、此れらは誰者かの悪意に還元することが出来ず、本当の意味での呪いとは申せませぬ」
「はぁ」
『呪い』に関してギルベール師の蘊蓄に火が点いて仕舞った。レッドだいぶ眠い。
「或る者は人智を傾注し、或る者は神の啓示を受け賜り、人は解呪を成し遂げたり封印に成功したり、長き道のりを歩んで参りました。夥多の旅人が転落死を遂げた『呪われた崖』が足元注意の立札だけで解決した事も御座りました」
「いやまぁ、そういう物もあんだろうな」
「左様いった呪いでも何でもない物を理性に照らして除去して参り、最後に残った黒い澱を秘かに封じるのが教会の責務で御座りましょう。それを、人々の恐怖心を煽るのに使って御布施を稼ぐ者の心に沸いた何某かが本当の呪いなのです」
他宗派批判になって来たんで寝たふりしてブリンに任せちゃお・・と姑息な心が沸いたとき、戸口が開いて他の参詣者が入って来る。
「先着の皆様の中に既にお寝みのかたも居るみたいです・・」と、ボランティアの小母ちゃん声を殺して密々。入って来た三人組も黙礼で返す。
ギルベール師も我に返って曖昧な笑みを浮かべ、静かに目を閉じる。
・・あれ? 手荷物がほとんど無い人達だな。ご近所さん?
「いよいよ明日ですね」
「そう緊張するな。もう流れに乗ったんだから・・流れ着くところに着くだけだ。今日はゆっくり寝よう」
「はい」
・・なんか訳ありの人達のようだ。何だか知らないけれど、余計な詮索はせずに万事上手く行くよう祈ってあげよう。ここは万ず善意で祈る場所らしいから。
なんだか呪いの話とか続いたから口直しだ。
そう思って寝りに就こうとすると、また戸口に人の気配が有る。
薄目で窺うと、随分と大柄な人影が這入って来るのが見える。
まったくの無音なのだが、寝入った児の様子を見に来た母親を見た様なほっこりする気分になった。
だが異見も有った。
「・・やめて下され。あんまり静かに訪ねて来宿ると暗殺者が来たみたいで怖いで御座りまする・・」
声を殺したギルベール師である。
「・・寝てる御方も居るんじゃ。静かが好かろうに・・」
人影、師の横に蹲る。
「・・窺々声で話しても目醒めて仕舞う方は目醒めて仕舞いまする。なんの御用で被在れます・・」
「・・ひとこと労おうと思ったのに、ギルくん冷たいのう・・」
蹲って丸い人影、何故だか少し萎んで小さくなり、そのまま音も無く滑るように躄って戸口に消える。
なんだか不思議な光景を見て仕舞った。
それとも既に俺が夢現つなんだろうか・・
自問自答しながらレッド、眠りにつく。
◇ ◇
朝。メッツァナ。高級宿の一階。
朝から可成りボリューミーな肉料理を囲む一同。
「この街には、お眼鏡に適う文化施設が無い代り、稀覯な古籍を扱う商人の在庫が必ずや御期待に沿えると存じます。瑣事にて一旦ギルドに寄るのをお許し願えれば御伴仕ります」
「フェンくん、せっかく騎士らしい装いをしたけれど着替えた方がいいね。本屋に行ったら夢中になっちゃうでしょ」
「じゃ、ヘルミオーネちゃんと街をぶらついて来ようかな」
貴族らしい服装をしても、子供のような言葉遣いになって仕舞う幼馴染みたちであった。
強めの食後酒を口にしては唇の脂気を幾度も拭ったアンリ、女主人の手に接吻の礼をして辞去する。
「それじゃカラトラヴァ家からの借財を綺麗薩張出来るよう支援は惜しまないから期待して下さいね」
「有り難きお言葉」
四人、北へと出立する。
◇ ◇
ブルクラーゼの巡礼宿舎。
「皆さま、お目醒めですか?」
ボランティアの小母ちゃんがパン籠とスープの壺を配りに来たのだ。夜更かしをしたレッドが最後に目覚める。
朝食を摂りながら、昨夜遅くに着いた三人組とも世間話を始める。ぽつりぽつりだが。
「軽装でのお旅だなぁと思ったら、メッツァナの方でしたか」
「ええ。参詣には普段から通っておりますもので、今回は仕事でございます」
・・なんか悲壮な顔してた気がするけどなぁ。
「騎士様もただの参詣ではない様ですが?」
「あいや、実は旅の途中『手にした者が次々と非業の死を遂げる呪われた剣』なる物を託されたので、奉納しちゃおうと思いまして」
「手になさっちゃった・・のですか」
「はぁ。私はそういうの鈍いもので、気にせずに預かって来ました」
「ご自分が死んだら困るでしょう!」
「否、死んじゃったら困らない気もしますが、騎士なんて何時か何処かで死ぬじゃありませんか」
「それなら次々と非業の死を遂げた騎士の方々も同じでしょう」
「それは左様ですね。ははは」
「ちなみに拙僧は、その騎士の家運が傾いていた丈の事と思いまする。弱り目こそ祟り目なりと」
師、また持論を展開する。
「ま、祓魔師は紹介致しましょう」
「それより、山門にティラヌスのレミジオという方が御在では有りませんか?」
◇ ◇
朝食後ブルクラーゼを発って本山に向かう。
「ティラヌスのレミジオなる修道士には、如何なる御用事がお有りでござりまするかな?」
「いや実は・・ちょっとした呪いの話でして」
「呪いとな!」
「ギルベール師、呪いはお好きでしょう?」
「否、好きで勿いですぞ」
レッド、言い方が悪かった。
「拙僧、迷信の類、淫祠乱神も人の心が憩ぐならば薬餌と同じ。憂患すならば毒と
存じ居りまする」
「教会にも色んな方が御在なのですわね」
「あ、いやエルテスや聖ジェロームが特殊なので御座りましょう。拙僧の知己にも『桶は女性名詞だからメケと呼ぶ可し』などと真顔で言う者すら居りまする」
「ぶっ!」
レッドとレベッカ、声を揃えて吹き出す。
続きは明晩UPします。




