50.名物女も憂鬱だった
ヒョードル峠の隠し砦、北門。
立ち塞がる人影。
正確には猫と犬の獣人を左右に従えた大柄な女性のシルエットだ。
「ラリサさん、なぜ此処に?」
「あやー。逆光で顔とかぜんぜん見えないのに誰だか判っちゃうって、ハンナさん本当に匂いで当てられるんだ。すごい」と妙な感心をするアリシア嬢・・こと男装少年アルフレッド。
「この距離なら普通わかるにゃ」
「分かりますね」
と、大女左右の人影。
「わたし・・くさい?」
「いや、姐さんはセクシーでいい匂いっすよ」
「そ・・そうよ。ラリサさんは同性としても好ましい匂いよ」とハンナ嬢も必死でフォロー。
「わたしは、わたしは?」
「かわいい匂い」と、ハンナ嬢。
「くっそ生意気な未通子の匂いだにゃ」
犬獣人の方は何か言いかけるが、言葉を飲み込む。賢明なやつのようだ。
「どうやら件の尋ね人のようね」
ラリサ・ブロッホの言葉に一瞬身構えるアリシア。
「大丈夫よ、彼女は味方。近々うちバッテンベルクの一族に迎えるほど信用できる女だから安心して」
ラリサ嬢、威儀を正して言う。
「状況は好転しています。あなたへの追っ手は和解案を申し出て来ているし、南部教会が仲裁してランベール家の郎党を嶺南への開拓自由民として受け容れる準備も進んでいます。八方の万事が直き解決しますよ」
三人の背後から現れた更に大柄の人影が徐に言葉を発する。
「いや、初対面の人の言葉では俄かに安堵するのも難しう御座りましょう。先ずは行動から。皆様を教団が庇護いたしまする」
「あなた様は!」
僧形の男、驚くハンナ嬢に軽く会釈する。
「南岳の修道騎士フラ・キルベールと申す。大司教座下直々の命を承っておる者でござりまする」
「なんだかトントン拍子だねぇ」
思わずブリンが呟く。
「そうトントン行くかにゃ」
◇ ◇
メッツァナの西を十二里程、山麓の小さな村。
「見かけねぇなぁ、ヴィオラさんよ」
「見かけませんか」
「ここにゃ、余所者は猟師ギルドに用事ある人くらいしか来ねぇし、それも大概はお宅からの紹介だ。ま・・獣人なんて顔も見たくない皆さんが多いしな」
「むろん、胸くそ悪い連中は仲介しないわ」
「くそ坊主ら、次々と逃げ出してるんだって?」
「交易で食ってるメッツァナの町には害毒でしたものね、ああいうヤカラ」
異人種や異教徒を排除しようという狂信者とか、町の常識では商売の邪魔でしかない。まぁアヴィグノ派の名誉のために言えば、彼らが排撃するのは異端であって正と税金を払う異教徒とは一緒に酒すら飲むのだが・・
・・名誉では無いか・・
「こないだの狼騒動・・あれ、収まって重畳だったな。こっちだって危げな仕事をキャンセルされるのが残念なほどぁ貧乏じゃねぇから気にすな。でもなぁ、咎人の遺体を打捨る習慣しゃ止めときよ。碌な事ぁ無ぇ」
「市当局もそうする動きみたいよ」
確かに、悪質犯罪者は埋葬すら許さないと言うのは訓民政策としては有効だろうが、衛生的に良くない。
刑場付近には掃除屋が出るだけだと言う楽観論は、今回の狼害事件で見直される事となった。結構なことだ。
「ときに、後ろの兀いお兄さんは追ッ手さんかい?」
「釦の掛け違いが無いよう当協会が仲とる積もりよ」
「そうか、精々穏便に頼むよ。山の道案内なら付けるぜ」
「忝なし」
「その代わり、危ない時ゃ護ってやって呉れ。俺の孫だ」
老人の背後、少年が一礼する。
◇ ◇
峠の隠し砦。もとい、そろそろ公開の基地。
「それじゃあ我々は夜明け前にチョーサー領に戻って、情報収集活動を続けます。ラリサ嬢、皆さんを宜しく」
「お世話になりましたアルノルト卿。お気をつけて」
短い付き合いだったけれど印象的な二人だったなぁ・・と思うレッド。うん? 密偵として、それでいいのか?
「お姉さん、また逢えるといいな」
「あなたのニオイ、忘れないわ」
ハンナ嬢、レベッカにも頬摺りする。
「いろいろ大変だろうけど気を付けてね」
「ご健勝を・・」と彼女、さぞ嬉しかったのだろう。言葉を詰まらせる。
バッテンベルクの二人、北門から去る。
「『アルフレッドくん』よ。女もイケる口だぁみたいな素振り見ちまうと、尼寺に連れてって大丈夫かって心配になるぜ」
「そういうブーさん、結構ハンナさんのお尻見てたじゃない」
「ああいう締まった感じは嫌いじゃないな。アンヌマリーのぴちぴち型もいいけど俺ぁ十年以上ご無沙汰だ。賢者と呼んでくれろ」
咳払いしてラリサ嬢が仕切る。
「我々も夜明けを待たずに出立してウスター城に向かいましょう。一旦伯爵さまの懐に入り、安全を確保した上で追ッ手と五分以上の立ち位置で話し合いの席を持つのが良いですわ。あちら様は紳士的ですが、最後の最後に力で押し切られる惧れは念頭に置いて起きませんと」
「最新情勢の把握も兼ねて、俺もメッツァナに帰る前に今少し付き合うかな」
フィリップさんも来るようだ。
皆して南門を出る。
荷物持ちだったブリンが鎖帷子を着て衛兵ポジションに成ったので、荷担ぎ枠は馬泥ヒンツと落下小僧イェジの徒士組に回っている。
「ねぇ、南の方じゃヴェンド人はオークの仲間だから食っていいって思われてるんだろ?」
「なに言ってんだ。スヴィニアの豚野郎は糞を喰らうから豚野郎なんだ。そんなの食ったら臭いぞ」
「食わないの?」
「クサイからな。豚野郎のくせに戦さは結構強くて厄介な奴らだ」
ヒンツ、民族的偏見があるようだ。
◇ ◇
東側の山麓。クレアが龕灯を手に蹲る。
「こんな獣道に女物の靴跡よ。此方で間違い無いわね」
「そこの上の方の枝が折れてるのは背の高い修道士がフードを引っ掛けたのね」
「姉ちゃん、うちの爺っちゃんみたいだなあ」
「お褒めに預かって光栄よ。お祖父さんは腕利きの軍偵さんだったんだって?」
「そっちの強そうなおじさんは剣士様?」
「ディード、『お・じ・さ・ん』だって」
「う・うむ」
「その『おじさん』って見た目よりは若いのよ。意外とね」
「見ろ。灯りだ」
ディードリック渡りに船で、取り沙汰されたくない話題を遮る。
「松明ね。南の方へと山を降っていくわ・・大勢ね。両手くらい居る」
「如何する? この儘足跡を追うか、それとも・・」
「松明を追うわ」
クレア、即断する。
◇ ◇
「にゃっ!」
「来たっぽいよ」
「距離だけ気を付けてて下さい。無闇に仕掛けては来ないわ。こっち側のバックの方が大物って既う知ってるでしょうから」
「来たって誰が?」
「お前への追っ手だ」
「うへっ」
「メッツァナの酒場で見かけた男女二人組にゃ。カーニスも覚えとくにゃん」
猫、ふんふんと鼻を動かす。
「まぁ、夜明けも近いです。兎も角すみやかに人里に出ましょう。自分で言うのも何ですが、地元じゃ私、そこそこ顔も利きますから村で乗り物でも借りれば、陽のある裏にお城に着きます」
ラリサ嬢、猫の鼻先の方を見る。
明けの明星が輝いている。
◇ ◇
「見るからに僧兵と思しき墨染の男と一緒に町を出たのは侍従姿の獣人二人と侍女一人と聞いたが、その女、何者であるか?」
「ラリサ・ブロッホ。嶺東でいちばん喧嘩したくない女ね」
ヴィオラ嬢、あんまり好きじゃなさそうだ。
「何者?」
「嶺東州はベーニンゲンの冒険者ギルドにいる受付嬢で準貴族出身と言ったら別に何処にでも居そうに聞こえるけど、嶺東州は北部地域冒険者ギルド協議会の議長の長女よ。地元の有名人の孫娘で、父親は先の南北戦争で敵中横断して援軍を呼びに行った決死隊三人組の一人」
「いいとこのお嬢さんなの?」
「いいえ、どっちかって言うと野生の雌ゴリラね。そこいらの男は捻り殺しそう。そのうえ野心家で、ウスターの伯爵や大物嶺南貴族ともがっちり人脈持ってるって噂よ。未成年の小娘なんだけどね」
「若いの?」
「わ、若いわ」
ちなみに「ゴリラ」いうのは昔ポエニ人探検家がイーフリキアで遭遇したというマッチョな蛮族のことで、今は子供向け物語などに屡く登場する人喰い鬼だ。
本人らの意向と裏腹に、スカンビウムの鼈娘、メッツァナの蟷螂女、ベーニンゲンの雌ゴリラは冒険者達の間でよく知られていた。




