49.落下少年も憂鬱だった
ナシュボスコ、南門外。宵の明星が輝いている。
「もっと警戒されてるかと思ってたのに、笊だったね」
「なのに取り付く島も有りませんわ」
「素で閉鎖的なんだろう」
「そうかしら・・。父さん世代がやりすぎた所為とかも有るかもしれないわ」
潜入してきた嶺東のおふたり、複雑な心境のようだ。
気を取り直してアルノルト卿。
「お約束どおり、ヒョードル峠の隠し砦へ御案内します。夜陰に乗じチャチャっと行っちゃいましょう」
アリシア嬢一名おかまのアルフレッド・ハウゼ元男爵令息、軽馬車に駒を寄せて話し掛ける。
「ハンナさん、男をちんちんで嗅ぎ分けられるって、もしや男性関係の大ベテランなの?」
「いや、こいつは異常に鼻が利くんだ。男関係は少ししか無い」
「少しじゃないわ。一人だけよ」
「お惚気?」
一応、この程度の近親婚は教会にお布施を払えば特認が取れる。・・高いが。
ハンナ嬢、話題を変える努力をする。
「私の天恵らしいんだけど、伯父さんなんて愛犬の生まれ変わりだって言ってすぐ撫でたがるの」
「親父、ばかだから」
「じゃ、もしかして・・先刻姿を隠したままだった密偵さん追跡できちゃったりも為るの?」
「しないわよ、味方あいてに敵対行為っぽいじゃないの! それに、連れてる犬の臭いだったかも知れないし」
「(おい! 拙いぞ、おい! そっちに話を振るな!)・・左様だ。無神経だぞ。お前だってフードで顔隠してるとき素顔を改められたら気分悪いだろ?」
レッド少々慌て気味。
多少鈍いくらいという自覚のあるレッドだが、先刻の密偵氏を下手に触ったらば危いと強く感じている。何故かフィリップ氏が信頼・・を通り越して私淑している御仁らしいので危険視とまでは行かぬが何やら何処かに逆鱗有りそうと言うか・・そう、義理を欠いたら祟りある相手な気がしているのだ。
「でも『味方だ』って言いながら顔隠してんの変じゃない?」
「珍しいことじゃない。密偵稼業じゃ、依頼主にだって顔バレしない方がお互いの為だってことも有るんだ」
上手く説明できず、ちょっと地団駄。
「オトナの人付き合いって奴だよ。此処ぁ先方様が一線引こうとしてるってぇコト察しなよ。それにさ、北から来た者が何やら嶺東の衆と嶺南の離間策やってるとか噂が立ったら、これから俺ら旅し難いぜ」
ブリン、上手に手綱を引いて『オトナ』の一言で黙らせる。
ハンナ、取って付けたように
「言っとくけど私、人を『下半身の臭い』で見分けるって、ふつうに靴とか使うから。股間とか・・嗅いだりしません」
「靴のニオイ・・嗅ぐの?」
「アリシアさん、なんで股間より靴にショック受けた顔してんの?」
普段無口なフィン少年、つい驚きを口にする。
「でも、靴って・・」
「価値観は人それぞれですわ」
レベッカ言って無表情。
「でも、結構重宝されてる冒険者の技能なのですわよ。この能力で幾つもの事件を解決してきたんですからっ! わたし、その誇りを持ってます」
「治安判事のお嬢さんって言えば、結構な名家のお嬢様でしょ。そのお嬢様が靴の臭いをフンフンって・・」
「でも、その能力で救えた命だって有るんです。必要なら殿方の股だって腋だって嗅ぎますわ。鼠蹊部とか臭いが強いんだから」
「ごめん・・。お姉さんは立派な冒険者よ」
冒険者の地位は地域それぞれだ。敬意を払われる所もあれば日雇い無職人と蔑む地区もある。娼婦を賎民とする地方は多いが、愛の女神の使徒だと敬愛する土地も有るのと同じ。価値観は人それぞれである。
だが彼女、股は嗅いだらしい。
◇ ◇
メッツァナの町、屋台の並ぶ下町の賑わった一角。
嶺東名物の団栗豚が炙られている鉄串があちこちで回転している。
「今夜も塩っぱい顔ね。美味しいもの奢ってるんだから、もう少し嬉しそうに食べなさいよ」
「成果挙がってないから・・」
「馬鹿ね。見張りは砂時計の砂を見続けるような地味な仕事よ。敵はナイフ握った野郎じゃなくて退屈と眠気よ」
「俺だけ食うのも・・」
「仲間には土産に焼き腸詰を山ほど抱えて帰るがよい」
「でも、ちっとも見つけらんねぇのに・・」
「見付けるのではなく、見ているのが仕事と思うが吉である。リュンコイスの如く見ておれ」
突き出された串焼きを齧る旋風小僧。
「仕事を増やしても良いか?」
「合点だぜ」
「代わりに、時々お肉も支給するわ。パンだけじゃ生きてけないでしょ」
クレア、今度は焼けた玉葱の串を突き付ける。
「有ひ難てふぇ。で、何ふりゃいい?」
「坊さん見付けて。妙に体格いい奴を」
「ガタイがいい? 油ぎったのとショボくれしか見たことないぜ」
「装束ならば並みの修道僧と同じきであろうが、如何にも屈強そうな坊主が居れば自ずと眼に着こう。が、下手に尾行して気取られても危険である。身の安全を期し目撃情報のみ呉れれば良い」
「危険な坊さんって・・?」
「僧兵である」
「そいつぁ怖いな」
「尾行するとかの危険は冒すな。ただ、見かけた場所を知らせよ」
「了解だ」
◇ ◇
レッド一行、そろそろ上り坂がキツい。
「馬車じゃ、そろそろ限界っすかねぇ。そこいらの林に隠して置いときましょか」
御者、馬だけ外して手綱を牽く。
だんだん急坂になる。
しまいには道らしき道でなくなる。みな下馬して手綱のみ執る。
「こりゃ軍勢じゃ無理だな。ころげ落ちらぁ」
「だから油断してるんですよ」
「俺らの灯火、里から見えちゃってるよなぁ」
「ええ、見せる積もりですもの」
「そりゃ結構」
急峻な上り坂でハンナ嬢のお尻を見上げて呟くブリン。
「もしかして、このまま峠越えて嶺東州入りすんのか?」
落下少年荷物担いで恐づおづと聞く。
いつまで『落下少年』でもあるまい。
「おまえ名前は?」
「イェジ」
「ジェシ、嶺東行きにびびってる。ふふ」とアリシア鼻で笑う。
「イェジだっ。だって・・あっち行くと俺ら炙って食われるんだろ!」
「大丈夫。お前、痩せてるから」
「・・・」
「だから、メシは食わすけど遠慮して食うんだぞ。まるまる太ったら最期なのだ」
「・・・や・・だ」
すぐ後ろで聞いていたレベッカ、声を殺し兼ねて遂に吹き出す。
足元が石段になる。
すると、物陰から声。
「チキン野郎は締めてよし」
アルノルト卿、皆を制して一歩進み出、物陰に向かって発語する。
「豚は崖から落ちて死ね」
「アルさん、また大所帯だな」
闇の中からマントの男が顔を出す。
「ご客人を砦に案内したら、また北に潜るよ」
「そうか」
男、また物陰に消える。
レッド一行、ただ『ご客人』のひと言で誰何も無く通される。
「ほら、今の人もフード被ったままで素顔を見せなかったろ? 業界じゃ屢くある事なんだ」
「それより『チキン野郎』も『豚』もチョーサー伯爵の仇名でしょ? 嫌いなのは知ってるけど・・合言葉として、どうなの?」
アリシア、もう顔のことは気にしていない模様。切り替えの早いやつである。
「いや、ありがたい聖典のお話ですよ、豚が墜落して溺れて死ぬのは。チョーには『下痢して死ね』と言うのが定番です」
「なんで下痢?」
「いや、因縁話が有りましてね。彼、さきの戦争で初陣を飾るはずが、出征祝いの祝宴で食当たりになって寝込んだために親兄弟は南に攻め込んで討死んだけど彼は一人生き残ったんですと。で、下痢で拾った命なら下痢で落とすが天命だと」
「なるほど筋は通ってる」
「アリちゃん其れ道理通ってる?」と、またレベッカ無表情に言う。
「成ぁる程、これが監視用の隠し砦って訳かい。あっちに窓の灯りが見えてるのがチョーさんたらの城か」
ブリン、ぢょりぢょり音を立てて自分の顎を撫でる。
◇ ◇
すると前方に人影。
「あ、本当に来たのにゃ」




