40.待つ者も憂鬱だった
モーザ河畔、ランベール城の図書室。夜更け。
老師、ひとつ解ったことが有ると言う。
「それは?」
「・・それは!」
「それは?」
グァルディアーノ老師大見得を切るポーズ。
「儂の帽子の羽飾り・・じゃあ無くてだな、持って行きたくても持って行けなんだ物に違いあるまい」
「つまり?」と詰め寄るマリュス青年。
「ランベール家の隠し財宝とは他でもない。むかし旧帝国が属領を放棄して南へと撤退するとき、重過ぎて持って行けんかった宝物に違いないと云うことじゃ」
「莫大な金塊・・とか?」
「重量物じゃな」
「それでは若しや・・ガイゼリックが禁を犯してレンドヴィゲトリクスの一粒種を自分の女に為ようとしたのは・・」
「宝の隠し場所を探る為やもしれん」
「さすがに痴話喧嘩五百年ではなくて、帝国の遺宝を巡る抗争だったのですね」
「まぁ・・その方が納得し易いのう。『合理的』と言う意味では」
だが・・ランベール家とボーフォルス家。両家ともに結構また非常識な一族・・ではある。
◇ ◇
シュトラウゼンの町、娼館街。イレーヌの店の一室。
「いや、色欲なら人並み以上に有るし、お前の容姿が好みでない訳でもないんだが今夜は何方かというと愚痴を溢したい気分でな。どうも酒場で管を巻くのが趣味でなくて」
見るからに悪党づらで男前ではないが、知的で精悍でもある男。
「あちきは体が楽できて嬉しいでありんす」
彼女の嫌いなタイプではなかった。
「良かれと思って行動すると空回る。意地悪企むと的を外す。節約しようと図ると金がかかる・・萬が萬儘ならぬ」
「なんにも考えないで好きにやった時が、いちばん上手く行くもんでありんす」
「良い格言を知っているな。大コルネリウスの言葉だ」
「それは知らない。女将さんの受け売りでありんす」
「そうだな。考えるの・・止めるか」
「なんにも考えずに腰へこへこ動かす男がいちばん幸せだよ」
「そうだな。お前も変な遊里ことば使わずに普通がいいぞ」
男、ごろりと横になる。
「先刻からちらちら見えている、お前が下に穿いてる剣闘士の褌みたいなの、何だそりゃ」
「これはぱんつと言ってさ、南部の女たちが水遊びしたり運動したりで使うウェアなんだって。南部人って恥づかしくないのかな」
「お前は恥づかしいのか」
「うん恥づい恥づい。でも悩殺用アイテムだから頑張る。
「なんだか往古のセミラミス女王が男装した絵姿に似ているぜ。あんな絵を教会の天井に描いた画家、後半生は無事だったんだろか」
どこぞの異世界では陸上競技の女性選手たちが屋外で普通に着用しているような代物だが、この世界この地方では娼婦すらも、穴が有ったら入ってしまう扇情的な衣服である。
「お客さん、なんだか反応薄ぅい。普通みんなこれ見ると俄然がっつくのに」
「そうか? 教会の壁画で殉教してる聖者さまたち、そんなのを穿いて磔にされてないか?」
「それ、男だし」
「なるほど、それはそうか」
男、悠然として下半身を脱ぐ。
「呀ッ! それは!」
「如何だ? まるでお前とお揃いのようだろう。あんまり人前で見せる事は無いのだが・・」
「お客さんも『ぴっちり』派だったんだ。
この世界、男の下着といえば、だぷっとした襁褓型とか股布付きのステテコ型が主流派で、或いはシェミズの裾で包んじゃう『穿かない』派も多いが、ビキニ派は少数である。人前で裸になる肉体労働者への差別感情が有るのかも知れぬ。
「なにを隠そう此の俺は其の昔、殿様のお供で宮廷格闘士の賭け試合に出入りしてハマっちゃってなぁ・・格闘士に憧れては小姓仲間で技の掛けっことかして遊んだものだ。そんときの名残りが是の下穿きよ。
ふたり、しばし下穿き一つで思い思いのポーズを取る。
ボーフォルス男爵家の家老アンリ・ジョンデテ、変な遊びを覚えてしまった。
◇ ◇
ノビボスコの町、『かわます』亭。夜も更けたが、未だまだ宴酣。
戸口に、顔に傷ある騎士が現れる。
「『道化師』殿、お嬢は戻られ・・ぬ、か」
「ああ、鳥籠卿! 一応ずっと待ってたけど、これって数日ふいっと居なくなるパターンじゃねぃですかい?」
「如何なさる?」
「無難なのは、一旦ブラーク城へ戻って御声掛け待ちっすかね」
「左様で御坐るな」
「今夜はもう、お呼びも掛からんでしょ。一杯飲りますかね」
彼、今の今まで素面であった。
「旦那様方、お見受けしたる所、何処ぞの姫君の警護騎士さまで被在る?」
ブリン、幾分慇懃な態度で話し掛ける。
「はいはい、被在るですよ。貴方は先刻の騎士さんの家中のかたっすね?」
「旦那、随分と立派なお馬にお乗りで驚きましたよ」
「いやぁ、私ら天下の名馬にお乗りの殿様の御伴とか為ゃすもんでね、並の馬だと随いて行けねぇんでやんす」
「お高かったんでしょ?」
「メッツァナの町で主君が千金を投じて購ったのを賜りゃしてね、イヤぁ正直あれ盗られてたら死んでお詫びの代物っすよ。全くもう」
「ほらッそこ、謝る!」
ブリンに促され、肩を窄めて頭を下げる宿無しヒンツ、もう精一杯殊勝な顔だが酔っ払いなので締まらない。
未遂と既遂の区別なんぞ無い此の世界で彼、馬泥棒で縛り首のところを超法規的措置でレッドに身柄お預けとなり、執行猶予中な感じである。
「こいつ、俺の舎弟にして良く躾けますんで、何卒お許しを」
騎士から零落した男ヒンツ、ブリンの舎弟にされて了う。
「まぁ、おひとつ」
何処ぞのご家中の騎士ふたりに火酒のお酌をするレベッカ嬢、彼女も一杯加減でぽっと紅潮した頬がなんだか艶めかしい。
それで気を良くした訳でもあるまいが・・
「いや、私らも一度どん底に堕ちた経験者なんでね、わかるわかる」
小男の騎士、相変わらずにやにやしている。
「大男の兄さんも人生経験豊富そうだしさ、ひとつ馬泥兄ちゃんの面倒見てやって下せぇよ」
「豊富って程でもねぇけど、もとが泥水啜って逃げ回った落武者だから大概の事ぁ我慢できるんで、我慢のひとつも伝授しときまっさ」
「ははは。私ゃ流浪の旅芸人、この武辺者は刑場で晒されていた死刑囚。そんでも騎士まで返り咲けてるよ。諦めたら其処で人生終わりだけれど、生きてりゃ何とかなりますって」
「ほら、毅然してりゃ浮かぶ瀬も有るってさ!」
アリ坊がヒンツの肩を叩く。
「ブーさん今は自由市民までも復権してるけど、ぼくなんか一族悉く滅して現役の落武者同然だ。けど毅然として生きてるよ」
海千山千の『道化師』、アリ坊の美貌にまんまと騙される。
爵位返上どころか人権剥奪にまでも堕ちる貴族は珍しくない。高い所に有る物は屡く落ちるものだ。庇護を求めて色小姓になった美少年という設定が脳にピーンと響いて仕舞った。
否、彼の嗅覚だから既に女であると見破っているかも知れぬ。可哀想なレッド氏どんだけ変態と思われているのだろうか。
「何だか苦労人が集まってやんすねぇ」
隣りの鳥籠卿も寡黙なまま苦笑いで肯う。
空気を読んだレベッカ、嬌態をつくる。
「騎士様方は、イディオン人の酌など穢らわしいとか仰いませんのね」
「そんな了見の者にゃ河原乞食稼業は務まりゃせんって」
だが、レッドに対する偏見は着々と蓄積して行くのだった。
「ときに大男の兄さん、郎党衆どうしの気軽なお喋りだと思って聞いてくんねぇ。あんたのご主君・・お盛んだねぇ。イヤ、そっちの話じゃなくって・・検問潜ってメッツァナ抜ける話、フィリップさんに案内を頼んだっしょ?」
「ああ、確かに頼んだ」
ブリンが答える。
「だから、殿とフィリップさんは明日に備えて早く寝たな・・俺たち飲んで騒いで夜更かししちゃってっけど。てへへ」
「てへへ」っと、横でアリ坊も。
「フィリップさん、いま依頼受けて活動中だから依頼主に掛け持ちの許可を貰いに行くって言ってたでやんしょ?」
「そんだから明日はブラークー城に参上すんですよ」
「イヤ実は、フィリップさんの依頼主ってのが、お嬢・・私らの御主君でしてね。それが数日は帰って来ねぇ風向きなんでさぁ」
「あらら」




