39.聖俗みんな憂鬱だった
ノビボスコの『かわます』亭、先刻の女が這入って来る。
「あー、ギルマスやっと寝たわぁ。あんなンでも元冒険者。なかなか寝入らないでチラチラ意識戻るから扱いが面倒い。亭主ぅ、あたしにも一杯ちょうだい」
「当店でいいのかい? ハリーちゃんはギルドで飲りゃ無料酒じゃないか」
「あたしだって稀にゃ他人にお酒注いで欲しいのよ」
彼女、身分上はギルドの受付嬢だが、やってる仕事は殆んどが野郎どもに呑ます女給である。まぁ『ギルド長』じたいが地域によっちゃ『酒場の親父』という称号なんだが。
「ハリーちゃんは『大魔女の呪い』の話って、知ってる?」
フックス氏、まだ拘泥っている。
「知らないわよ。まだ生まれてなかった時分のことだもん」
嘘である。
「俺も当時ガキだったけどなぁ・・なんか一段どろどろ怖い話だった気がするんだがなあ」
「うん・・継子イジメを受けて暗ぁく育った子供が胎違いの姉を殺そうとするとか何とか、どろどろだった気がするわ」
「そうそう。怪談はそう来なくっちゃ」
アリシア・ド・ランベール、会話に割り込む。
「あれぇ? 坊主って女の子か? 胸も薄いし腿も細っこいから騙されちまうとこだったぜ」
「狐目のあんちゃん鈍いって。こんな佳いオンナ掴まえてサ」
「いや、美少年だなーとは思ってたけどさ・・。まさか、そっちの子も!」
「僕は男です!」と、フィン少年。
「証拠にちんちんを見せよう!」
「やめて下さいアリシアさん」
この時代のホーズは社会の窓に釦がなくて、代わりにボディバッグみたいな物を前に下げるので、割と簡単にポロリする。
レベッカの頬が益々紅潮する。
それで話題替え。
「閑話休題閑話休題! 先刻一緒にいらしたお姉さんは、ギルマスさんのお嬢さんなんですの?」
「んー・・まぁ『ギルマスのお嬢さん』には違い無いんだけれど、マリー姐さんはご主人の娘だって言ってたわね。ま・・違っててもそう言うだろうけど」
「?」
「むかし冒険者のオトコ二人が彼女を争っててね。そいつらどっちも今は違う街でギルマスしてんのよ。結局うちのギルマスじゃあない方と結婚したんだけど、娘が母親似すぎで男側に全然似てないから、正直誰方かわかんないわ」
「ほ・・奔放な方でしたのね」
「んー、まぁマリー姐さんってば、ここいら界隈の冒険者全員を兄弟にしたってぇ伝説の女だったからなぁ・・」
「どひゃー」
レベッカ、また変な声を出して了う。
「兄弟大いに結構でござりまする。我ら修道士も皆な兄弟」
「メーザー師、それ・・意味違うから」
「あたしら世代、姐さんに世話かけた者同士も皆な姉妹みたいな感じだしねぇ」
口を滑らせたハリー、少々強引に美化する方向へと持って行く。
「面倒見のいい姐さんだったのよ・・いろんな意味で」
「亡くなられたのですか?」
「いや・・男作って南に逃げた」
「どひゃー」
フックス氏、手拍子たたいて歌い出す。
「マリー姐! マリー姐! マリー姐! ♪
男こさえて南へ逃げた ♪
マリー姐! マリー姐! マリー姐! ♪
真面目亭主がこつこつと 枕の下に溜め込んだ
有り金持って南へ逃げた ♪
はい皆さん! ご一緒に!」
「フックスさんもご存知の方なのですか?」
「いや、知らないよ。僕やレッドバートが未だ騎士してた頃の話だろ?」
結構いい加減である。ただ固有名詞だけ入れ代えた替え歌らしい。
「娘さんの歳格好から十四、五年前くらいかなぁって」
一応は考えて喋っては居るようだが。
「魔女の呪いの噂を聞いたのが、家を出て小姓にあがる直前ころだったから、既う二十年くらい前だろ。彼が騎士団追い出されて早や十年。それからは僕ん家の方も騎士領取り上げられてタダの騎兵になって、その州兵団も人員整理になっちまったのが・・ああ、碌な人生じゃないな」
時系列を思い返して溜め息つく。
「ああ。欠食浮浪児からギルドのお姉さんに成ったあたしの方が良い人生だね」
嫡出の市民階級出身者でないと入れない商工ギルドみたいには、冒険者ギルドの敷居は高くない。
「でも馘首り労務処刑人がブラーク男爵じゃなかったなら一段酷いことに化ってただろうな。あの人は在地系希望の星だ」
急にしんみり。
大公殿下と一緒に都落ちしてきた余所者貴族が色々失敗を重ねた後、地元貴族のブラーク男爵が後任として、人の厭がる仕事を押し付けられた形だ。彼も可成りの恨みは買ったろうが、恩人と思っている者もまた多い。
「その男爵様に明日ぁ挨拶行くんだ。俺ら酒臭くないよう程々にしねぇとな」
「・・言われるまでそこに気の回らん俺って、とことん駄目な奴だな」
ブリンに言われて悄気返る宿無しヒンツ。
「ノルデンフォルトに駐屯していた騎士団は結局のところ解体されて、徴募兵達を指揮する将校として州兵団に編入されたけれど、いつまでも士官格でいられた奴は多くなかったみたいだ。そうなる前に、カーラン卿みたいな見どころの有る奴らは良いとこ斡旋して貰えたし、俺みたいなのは自分で勝手に躓いて、団を去る羽目に相成った・・」
「その州兵団も有事徴兵制んなって、事実上解体されちゃったんだから、どんだけ逼迫してたんだろうなぁ州政府の懐って」
フックス氏も些か悄然。
「ンだけど、南軍ずっと攻めて来ないと思ったら、内輪のごたごた終わった瞬間に調略が始まるって、考えてみたらあの連中も理解り易いよな」
ブリン岡目八目。
嶺南のお家騒動が終わった途端である、確かに理解り易い。
「大人の話つまんない」
アリシア、切れる。
「逃げちゃった多情姐さんの話しよっ!」
「うーん・・当時の見た目は今のアンヌマリー略々そっくり。まぁ今はもう四十も近かろから少しゃ落ち着いてんじゃないの?」
「南部居良いか住み良いか ♪」
「男は、ここら辺のより情熱的で良いんじゃない? 知らんけど」
ハリー、答えが投げ遣りになっている。
「私たち尼寺に行くんですから、殿方云々は余り関係ないと思いますが・・」
「南部ではイディオン人への差別感情を持つ者が少なく、東方に出征していた修道騎士などは寧ろ親しみの感情を抱く者も結構居リまする。男どもがより親切なのは良き事ですぞ」と、メーザー師。
メーザー師・・というのも変な呼び名で、ほんの先月までは南岳聖堂の修道騎士バルトロメオ師であった。実家の貴族家を嗣ぐため特に還俗を許され、今はバルトロメオ・ド・メーザー=ネアンデル男爵の筈が、相続人曠缼の廉で領地没収を狙うチョーサー伯と揉めて、目下ギーズ伯領ノビボスコの代官所でアルバイトの書記官暮らし。
役に立つ男なので政務顧問官殿と奉られているが、レッドらとも世代の近い騎士である。何時までも修道士服を着てるし言動がじじむさいので皆が『メーザー師』と呼ぶが、修道士を姓で呼ぶのはおかしい。『バルトロメオ師』か『メーザー卿』にすべきなのだが、混ざって仕舞っている。
南岳教会があっさりと還俗を許したのは多分に大公家方面への政治的揺さぶりを意図して居るのだろうが、俗っぽいことを言うのは止しにしよう
◇ ◇
モーザ河畔、断崖の上の聳えるランベール城。
グァルディアーノ老師の眉間に皺。
「一向に分からぬ」
雑然とした図書室で依然『ランベール家家譜』を繙く。
「此の持って回った文体すら、秘密を隠匿せんとする韜晦に見えて来るわい」
「そうなんでしょうか」
「否、筆者の性分じゃな。ぐたぐたと修辞の多い文を書くのが教養人と思って居る勘違い野郎じゃ」
「手厳しいですね」
「会ったら殴って遣りたいタイプじゃな」
「それは無理です。大昔に死んでます」
「墓を見つけたら小便してやるわい」
老師ちっとも聖職者らしくない。
「だがひとつ、確信しとる事がある。証拠は無いがな」
「それは?」とマリュス青年。
「それは・・」