37.呑ン兵衛も憂鬱だった
モーザ河畔、ランベール城の図書室。グァルディアーノ老師が唸る。
「長い長い確執じゃのう・・」
二人、『ランベール家家譜』を更に繙く。
「北部諸部族連合が攻め寄せた時、南に撤退する帝国の殿軍を務めたのが親帝国派部族の長だったレンドヴィゲトリックスという男。これがランベール男爵家の遠い祖先なのですね」
鼻眼鏡のマリュス青年、読み進める。
「殿軍で奮戦した彼の散り際が見事だったので、一粒種の娘を助けると諸部族連合大族長が宣言したのに、無視して一発犯っちゃったガイゼリックという北の武将がボーフォルス男爵家の祖先・・と」
「で、娘が産んだ子供の父親が、彼女と良い仲だった帝国人だかガイゼリックだか判らんというのが両家の諍いの発端か・・。こんな事で何百年も戦っとったのか」
老師、顎が落ちる。
(これは呆れてぽかんと口を開けることを意味する、よくある言い回しである)
「もしかして血が繋がってるかも知れないじゃ・・ないですか」
「初代だけでは無さそうじゃぞ。相手の妻を誘拐して凌辱する・・なぁんて抗争を互いに何百年も延々と繰り返しとる」
「もしかして此の両家、もろ親戚なんじゃ・・?」
「この四代目なんぞ・・ボーフォルスの胤と遠回しに書いてあるわい」
「もしかして、我らのご先祖様がどーしょもない蛮族だった頃の遺風を伝えている昔気質な一族・・たちなのでしょうか」
「綺麗めな修辞で言えば其んな感じじゃな・・しょもない伝統じゃのう」
そして老師、眉根に皺寄せる。
「ううむ・・根が深いような、浅いような・・」
◇ ◇
ノビボスコの町、『かわます』亭。
アリシア・ド・ランベール、怪訝な顔で問う。
「その出家してお山に居る人、大丈夫なの? 聖地にいるんで、呪いの効きが少し遅くなってるだけかも」
「ふむ、一理有りまする。喉元過ぎたと思って気が緩んだ瞬間が危ないのは何事も同じで御座りまするな。レッドバート殿も本人の口から仔細お聞きになりたければ旅の先を急ぐのが良策やも知れませぬ」
メーザー師、尤もらしい事を言う。
そこへ戸口から声。
「なになに? 怪談大会? まぜてまぜて!」
「おや、フックス殿も仕事早上がりで晩酌でござりますか」
「ウルフリック卿!」
彼の顔を瞥見したレッド、思わず大きな声が出る。
「嫌だなぁレッドバート卿、今はこの町の一介の町人。周旋屋のフックスですよ。
一別以来ですね。此れまた随分と羽振りが良さそうですが、もしや首尾よく旧領を取り戻せたのですか?」
レッド、頭を振る。
「とんでもない! 借り物の衣装で変装中の身なのです。中身は田舎町のしがない中級冒険者ですよ」
故郷ならざる因縁の地に飾る錦も偽錦。放逐されたる元騎士のレッド、御旗本の如き着飾り様であった。此れは些か恥づかしい。
「まぁ・・飲めよ」
ブリン、宿無しヒンツに一杯注ぐ。
レッドもフックスも既に騎士と名乗る積りが更々無いのは理解る。だが身分上は歴とした騎士なのだ。歴とした・・は言い過ぎかも知れないが、身分剥奪を受けたヒンツとは雲泥の差がある。彼も領主階級の三男坊だったし、レッドの様に実家が滅した訳でもない。寧ろヒンツの方が条件が良いくらいだ。
何処でこんな差が付いた?
大殿様のお覚え目出度い農奴が解放され、官僚としてばりばり出世するケースも多い昨今である。いや・・これ昔からか。
でも、その昔に解放奴隷が秘書官として大抜擢された数に比べたら、いまどきに官僚として出世している元農奴の数は膨大である。
「結局おれは生きてく能力に欠けてたのさ。ひとを羨むばっかりのクズだよ」
毛並みに頼らず確乎り生きてる人が目の前でずんずんと増えて、彼の悔悟は更に深まった。
◇ ◇
「んで、その怪談どうなったの?」
ウルフリック卿、もとい町人フックス氏、興味津々の様子。
「みんな呪われて死んじゃいましたとさ。おしまい!」
「おいおいアリ坊、端折り過ぎ!」
◇ ◇
「ぶわっひゃひゃひゃひゃ・・可笑しい! レッド卿が道楽者の殿様で、えっちな御奉仕する色小姓や黒髪ろりろり愛人連れて大名行列って小芝居・・配役ばっちり決まり過ぎ!」
「失敬な奴だなぁ、昔からだけど・・」
大公の走狗だった騎士団の落ちこぼれレッドと、下士と呼ばれて差別されていた在地系騎士のフックス。結構遠慮のない付き合いだった。
レッドが騎士団を放逐された時も親身になって呉れた男だ。
中央の政変で都落ちして来たボスコ大公が、捲土重来する気が有ったか如何かは今や知る由もないが、在地系土豪の領地を食い物にして力を養ったことの被害者が地元騎士ウルフリック卿いまは町人フックス氏。間に合わせの富国強兵政策で急遽取り立てられた粗製濫造騎士がレッドである。立場の差こそ有れども、結局二人は共に封建秩序から押し出された男たちであった。
「そうだ! レッドが帰って来たんだ。ブロイケラーのおっちゃんも呼ぼう」
「えー?」
まぁ挨拶に行こうとは思ってたけど・・
静かだと思ったらガーバー氏、おとなしく舟を漕いでいる。
◇ ◇
メッツァナの町の最高級宿、特別の上客だけに提供するペントハウスの特別室に来客あり。
妙に体格の良い長身の修道士を、ひょろひょろ執事が出迎えている。
「大司教様直々のお声掛りで、そっちで与力して参れと仰せ付かりまして」
「ああ! 理解ります。理解ります。大司教座下って、そういう漠っとした御下命縷くなさいますよね」
「理解って頂けまするか!」
「理解ります。ええ!」
修道士、感動の面持ち。
「いや、好んで現場に飛び出して自分で解決しちゃう偉い人に限って、下の者への指示がこんな感じで困るんで御座りまする」
「理解ります。うちのお嬢も、すぐ一人でふらふら行っちゃう人なんで」
斯くて南岳修道騎士団のフラ=ギルベールがメッツァナに居着いた。既に相当の過剰戦力である。
◇ ◇
再び、『かわます』亭。
「レッドが戻って来たんだって?」
町の冒険者ギルド長ウルリッヒ・ブロイケラーがやって来る。
「このやろう、金持ちン成ったんなら真っ先に恩返しに来いよ」
「成ってません。これは仮装!」
「ちぇ。使えねぇでやがんの! ウルカンタの代官も、俺さまぁお前の恩人だから便宜図って呉れって言ったのに無視しやがったぞ。友達甲斐の無ぇ野郎だな」
カーラン卿は貴殿の友達では無かろうとは突込まないレッド。実際困った御仁が恩人である。
「そりゃ無視しますよ胡散臭いもの!」
「俺ゃあ其の・・胡散臭ぇに決まってんだろ」
「だから駄目に決まってます」
「ちきしょぉ、お前の丁稚期間ズルして短かくしたのチクっちまうぞ」
「ギルマス、それ漏らしたらばドラギニャッチョの旦那に締められるよ」
「先輩、ズルしたんですか?」
「失策った! 坊っちゃん今の聞かなかった事にして呉れ」
実はレッド一人の問題でない。
州政府の財政破綻を回避せんが為に会計官のブラーク男爵が振るった大鉈が、州兵団の大量解雇であった。彼らの食い扶持受け皿が冒険者ギルド。つまりレッドはその嚆矢であったのだ。
冒険者資格の濫発が全国協議会に露見ると少々拙い。
◇ ◇
「それより怪談の続きしようよ。呪いの話、どうなったんだよ」
また蒸し返すフックス氏。
「呪いって・・もしかしてアレか? 魔女ってのがぴちぴちの美女で討伐軍みんなムラムラ来ちゃって、集団で怪しからぬ行為に及んだら『モゲーロの呪い』っての喰らったってヤツ? 無継嗣お家断絶でみんな滅んじゃったって話」
「そりゃ恐ろしいな」とブリン鼻白む。
「なんだか噂にも色んなバリエーションがあるみたいですね」
ブロイケラー氏、駆付け三杯で早くも相当酩酊している。否既に職場のギルドで窃りチビチビ飲ってて出来上がって居たのかも知れないが。
「ぴちぴちって言やぁ・・昔俺を袖にしやがった女が突然ぴちぴちンなって帰って来やがってよ・・魔法でも使ったかと思ったら、他の男と産えやがった娘だった。口惜しいから小娘の貞操でも奪ってやろうかなと思ったら『相手してやるのも吝かじゃないわ。どうせ生娘でもないし』って云しやがった。昔あの女が吐しやがったのと同じ台詞で、俺ゃ萎えちまったよ」
いつしか氏、泣き酒気味になってる。
続きは明日UPします。




