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283.親分も憂鬱だった

 由緒正しき結婚とは、まず先に親権者に結納金を支払い、新妻を後見する権利を譲り受けるもの。

 次に夫婦お床入りして男女の関係を結び、翌朝ベッドから出て朝食のテーブルに着くまでの間に貞操贖罪金を支払う。

 これを『朝の贈り物モルゲンガーべ』といい、物納が普通である。

 これで婚姻が成立する。このcopula carnalisが実行される以前なら、婚姻無効を訴えることが可能だ。

 このcopula carnalisの結果である出血の痕跡を晒して馬鹿騒ぎするような風習は流石に廃れて、田舎の地方にしか残っていないが、血痕の付着した夜具などを窓の外に旗のように立てる習俗は残っている。


 しかし、この『朝の贈り物モルゲンガーべ』が巨額となる貴族などの場合、贈与の証人が朝食のテーブルを囲んで新郎新婦の御入来を待つのである。


                ◇ ◇

 アグリッパ、朝。

 実質的に伯爵別邸の司令官官舎、広間。朝食の支度が出来ている。

 今朝集まった証人の騎士たち、食卓で待つのでなく、夫婦の寝室で贈与の現場に立ち会ったのであった。


 侯爵と六人の騎士、ぞろぞろ出て来る。


「生々しかったな・・」

「ああ、大殿のときは儀式っぽい演出だったけど、親父は朝食の時間になったから嫌々休憩入れた感じ」

「お化粧直しをと、何度もお声掛け致しましたのですが」

「父上、突撃の止まらない人だからな・・」

 往時は "前進”将軍 と呼ばれた猛将である。

「姉も有ります。そういうとこ」

 似合いらしい。

「ちぇ」

 ヘスラー弟、兄とネリサ嬢の会話に疎外感を覚えたのか、将又はたまた)エルダっちに未だ未練があるのか複雑な表情。


「なぁ・・あの下着、偽物だろ」

「御明察。あれは朝食に出す鴨のソースであります」

 しれっと答えるエルダ妹。

「本物は血痕がもう黒ずんで仕舞いました」

「あっ 出さんでいい出さんでいい」と、止めるアントン。


 何処の本で読み齧ったのか侯爵夫人、初夜の血痕を証人に見せて回って自慢するなんて挙に出たもので、後に続く者としては前例に倣わねば不成ならず、鴨の血のソース出番と相成ったらしい。


「なんだかエルダっち、嬉々としてやってなかったか?」

 ホラティウス司祭、黙々と書類を作る。


                ◇ ◇

 アグリッパ冒険者ギルド。

 求職者で賑わっているので、アナたち食堂でゆっくり待つ。いつの間にか厨房の小僧どもが増えている。

 十二歳で就労解禁、十五歳で若衆げぜる昇格可能なので、徒弟れりんくのことを俗に『厨房』と呼ぶのは未だまだ依頼の収入で食えなくて、ギルド付属の食堂でバイトをする者が多いからで、何処かの異世界の中等教育とは関係ない。

 見習い職の徒弟れりんくには行動範囲の制限があって足枷なのだが、アグリッパのような大きな町だと市内だけでも十分仕事になるので、足枷を足枷と感じない者が多い。その所為か、多少はとうが立っても住処の確保できる『厨房』のままで安住している者が少なくない。

 そのうち社会問題化するかも知れない。


「あ、アナのお姉さん」

「そんなの、いてないわよ」

 朝食のポリッジを運んで来たのは、いつぞやのアンタール少年だった。

 兄貴分の血風隊ほどにはコンスタントに仕事が取れなくて、厨房バイト暮らしの様である。


「こないだ捕まえたおかま、尻叩きだけでお解き放ちになったんですって」

「ふーん」

 そうか・・代官所で司法取引に応じたんだったな。

「警備局が情報提供者に使うかもって噂」

「あそこ、むかし乞食を情報提供者に使って、乞食ギルドを取り締まれなくなった轍をまた踏むのかな」

「お姉さん辛口だなぁ」

「情報提供者を職業にさせちゃダメよ。ちゃんと情報屋に育てないと」


                ◇ ◇

 のんびり食事を済ませ、おもむろにウルスラを訪ねる。


「いちおう任務完了しました」

 代官所からの書状を渡す。


「えらく褒めてるわね。『今後も頼りにする』って」

「俺、ぜんぜん役に立たなかったけどな」

「それはグレッグの所為じゃないわ。偶々たまたま現地でディジの旦那さんと共闘する事に成っちゃったんだもの。教会のバック持ってる市当局の現役書記官がいいとこ全部持ってったのは仕方ないことよ」

 暇そうに酒飲んでただけだが、いちおう庇ってやる。


「それじゃ、規定の日当と必要経費を支払うわ。手付金の残り八割はアナ、二割が協会ってことで」

「うちら『女子会』のインカムって事にして下さい。ディジも働いたから」

「いいわよ。あの子には教会からのペイも有るんだけどね」


 手付の金額を知らないグレッグ、興味なさそうな顔をしているが、結構腕のいい職人の年収くらい貰っちゃったと知れば、きっと騒ぐ。


                ◇ ◇

 午前中というより朝っぱらなのに、金を貰ったいんちき修道士たぶん飲みにでも行ったのだろう。

 ウルスラと二人になったので、アナ零す。


「いい男といい雰囲気になってキスしたけど、別れてきちゃった」

「どうして別れたの」

「そいつ『妻有り』男なの」

「あなた、結婚願望あったの!」

「ないけど・・不倫はいかんでしょ」

「なに言ってんの、あなた独身のくせに」


 この世界、普通に不倫というと亭主持ちの女と関係を持つことを言い、たいてい死刑か決闘で殺されるか、である。・・勝つやつも居るが。未婚の女性のところに忍んで行って父親と決闘になる話は実際わりとあるが、これは不倫ではなく強盗に近い。

 夫の保護権干犯と親権者の保護権干犯なら理論的に同じ様な気もするが、やはり婚姻と倫理が不可分なのだ。


 妻子ある男性と自由な女性が付き合っても、あまり不倫と呼ばれた事例がない。非嫡出子を出産することが女性の名誉を汚すとは言われるが、その事によってその女性の権利や財産が損なわれることは無い。


「不倫とか、気にする必要あったの?」

「さあね・・」

「ほんとは、あなたの独占欲が強いだけじゃないの?」


「かもね・・」


                ◇ ◇

 代官所。

「あのお嬢さん、なかなか面白いですね。植民請負の事業を始めようだなんて」

 トルンカ『司祭』にやにやしている。


「お嬢は思い付きで突然突飛なこと仰るもんで『銀髪ぱっつん我儘娘』なんて謗るあだ名が付いてますが、あれで意外と当たりを引くんですよ」

 お代官シュルツ嬉しそうな顔。

代官シュルツ殿がオックルウィック村の立て直しに高原州ホホラント)の難民を投入した辺たりを見て何かピンと閃いたのかも知れないですね。あのアグリッパから来た金髪お嬢さんと組めば、さらに面白い事になりそうですよ」


「あの方、見るからにガリーナ嬢と同族で、随分と仲良くなさってますな」

「少なくとも、あちらの騎士団おるどの植民よりも人道的で実りある事業が出来そうじゃありませんか。問題は・・」

「ありますか!」

「ガリーナさんの遺産の満期まで、あと二年弱ある事ですね」


「ううむ。画餅か・・」

「いいえ、わたくしに心当たりがあります。ちょっと動いてみますね」


 詐欺師、始動か。


                ◇ ◇

 オックルウィック村、旧村長宅の離れ。

 恙無く皆で朝食が摂れている。

 さすがに腕力的に脅威なガリーナが居ては、欠食姑軍団も襲撃して来ない。

 そのうち屈服して『働かせて』と言って来るだろうと、余裕で泳がす彼女であった。


 そこへ『泥棒猫の女』こそっとやって来る。


「あの・・村長さんのお嬢さんですよね?」

「ええ。まぁそれに近い者だけど」

 一応外では『そう名乗ってヨイショする』という交換条件で長年大きな破綻なく同居してきた関係である。

 家の中では『豚野郎』と呼んで殴ると喜ばれる関係だったが。


「あたし、『寝たきり男』の家の下女というか愛人というか、なんかそれに近い者なんですが」

 この村なぜか『それに近い者』の類いが多い。

「ひとつ相談に乗って頂けたらと」


「聞きましょう」

 ガリーナ見かけ通り親分肌の性格である。


「実は・・」






続きは明晩UPします。

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