281.欲しくて欲しくて憂鬱だった
風吹き荒ぶ東の荒野。
フラミニウス助祭、呟く。
「計算が違った・・」
女子供の足を通常進軍速度の六割と見積もってコース設定したが、予定の速度に全然達しない。助祭自ら指揮した後発組でさえ左様なのに、先発組はもっと遅い為まる一日先に出立していたのに割りとすぐ追いついて合流出来てしまった。
速度は日を追うごとに遅くなる。
旅路で体調を崩す子供も多い。
無論その事は予想して、陣中では衛生兵を勤める薬草係の修道士も一名は連れて来たのだが、間に合っていない。決定的に病いに臥せるのでなく、腹を壊す子供が多いのだ。
敗因は、連れてきた薬草係、水質まで管理できる技量の者で無かったのである。そのレベルの者は実戦部隊が手放して呉れなかった。
「拙い・・。このペースでは、日没までに次の宿営地に届かん」
折角暖かい食事と寝床を用意させたのに、夕刻に到着出来ないでは意味がない。
体力の無いもの達だ。徴発した兵士を督励するのとは勝手が違う。
フラミニウス助祭、苦境に喘ぐ。
東方植民が成功して生産性を上げてくれないと、肝心の糧道をいつまでも輸入に頼らざるを得ない。海運ギルドの連中は足元見るし価格的にも高く付くので、勢いアグリッパ頼りになる。これは不健全だ。
荒くれた男所帯の開拓村に、守るべき家族を与えて遣る。これは東方騎士団領の未来が神の国に近づく為に必要な事なのだ。
「人買いとは違うのだよ」
◇ ◇
荒くれ独身者の村に着いたなら一番先に売れそうな若い美人系の女、助祭を凝と視ている。
「旦那が生きてるって知られたら、どうしよう・・」
彼女、元から重婚する気で家を出たのだった。
夫が怪我して足腰立たず、足腰以外もそうなった。
子供の無い女はなんの権利も無いに等しい。あの家は遠からず隣り村あたりから会ったことも無い自称親類がやって来て、勝手に引っ掻き回す事だろう。さっさと出て行って男を探すのが正解だ。
そんな思いで、おとなしい嫁の仮面をかなぐり捨てて逃げて来た。
「だいたい、あの家って嫁いだ時から嫌な感じだったのよ。舅は無遠慮にじろじろ身体を見るし、夫には幼馴染だっていう娘がぴったりくっ付いてるし・・」
・・正直のところ実家で兄のセクハラが始まって無けりゃ、嫁入りなんて真っ平後免とごねてた所だったわ。
嫁に来たら来たで、やたら理由をつけては触りたがる横柄な舅に悩まされたのもひと月ふた月。深酒が祟って夜中に厠で倒れ、数日間大鼾声を掻いて寝続けたあと或る朝冷たくなっていた。
厄介だったのは幼馴染だという従妹で、一応奥様と呼んで此方を立てる態度だが明らかに内妻で、実は子供も居た。
とんでもない家に嫁いで終ったと思った。
旅の一行の女たち、皆な悲壮な顔をしているが、自分は明日が楽しみだ。碌でも無い家から出られた丈で倖せだから。
荒野の地平近くに土埃が立ち、一騎疾走でやって来る。
◇ ◇
オックルウィック村、旧村長宅裏庭の竈場。
いくらお年寄り達に出すものだからといっても、毎日お粥つづきじゃ飽きられるかな・・とかいう『村八分の嫁』の長閑ぁな思いをよそに、手頃な薪を棍棒代りに手にした『口数少ない女』と、姦し姑軍団が対峙している。
「あのお姑さん達も、お年寄り達のごはん横取り襲撃なんて企まないで、ちゃんと働けばいいのに」
「嫁ぇ働かせて文句だけ言って来た日々が彼奴らを、ちっとでも働いたら死ぬ体に為ちまったんだろうさ」
それって『嫁の呪い』でしょうか・・と思う『村八分の嫁』。
彼女、単身者に嫁いだ女だった。
結局、薪の棍棒が姑の頭蓋を叩き割る局面には至らず、『口数』と『村八分』が食事の介助をする間に『少年団』が姑軍団の行く手を阻む形で終結した。
少し遅くなったが、『女給』が立ち飲み屋の店を開けに行き、『村八分』は家に帰り、下拵え済みの夕食を作って夫を待つ。
そのうち救貧院に改装する予定の旧村長宅離れ。だだっ広い集会室の東南隅で『少年団』と『下女』が毛布に包まると、『口数少ない女』も久し振りに紡ぎ車の手入れをする。
集会室の反対側隅から、腹の虫が鳴く声がする。
◇ ◇
アグリッパ、護衛隊長の官舎という名の伯爵別邸。
大司教座下、すっかり落ち着いている。
屋外で位置に付いているであろう護衛の方々を気の毒に思う執事アントン。
「・・(あの御方もホラティウス司祭さま並みの頻度で、今後もお見えになったりしないだろうなぁ)」
ヘスラー兄とエルダ妹ちゃんの婚約は伯爵のお城で、盛大に行なう方向で急速に纏まりつつある模様。
やはり『アグリッパの信者になったら、お布施がっぽり取られたうえ清貧生活を強いられる』という陰口は否定したいらしい。
どうも、このあいだ市庁が出した風俗店規制条例に託けて、教会主流派の戦闘的お座敷犬こと河豚司祭あたりが張ったアンチのキャンペーンと思われるが。
「なんかせこいな」
◇ ◇
王都某所。
グンター司教が夕食中。
仕事の手を止めざるを得ない時は耳で報告を聞く。
忙しい男である。
「スールト侯爵がツァーデク伯の長女を嫁に迎えたという情報は本当のようです」
「養女の間違いだろう」
塩漬け腿肉のスープ煮が骨まで柔らかいので、髄まで賞味する。
「ツァーデクの活性化には上策だ。続いてヘスラーの息子あたりを娶せて侯爵家の存続を図る、といった処か。お迎えも近いと悟って、再び一門の血縁を再構築する気だろう。大聖堂が考えそうな事だ」
「いえ、本当に結婚したらしいと」
「おいおい、ツァーデク伯が息子世代だぞ。ってことは、孫娘じゃないか。それは誤報だ」
「でも」
「まぁ良い。他所さまの家庭の事情だ」
スープに浸して柔らかくなったパンを匙で食する。
「東マルクの梃入れは歓迎だ。あそこが緩むと北海州境を縫って東の騎士団さんが上洛して来かねんからな。強訴などされたら目も当てられん」
アグリッパ本体が緩むと南岳の僧兵が入って来て、王党派に味方するから最悪。東方修道騎士団が来ると、なにを言い出すか分からん連中だから次点で厭、という感覚らしい。
兎も角、暴力装置そのものが来られたら迷惑この上ない。
「我らは嘗て『教会の主流派』という立場を過信して、異端戦争のとき味噌付けたからなぁ」
・・今日びは支持者諸侯でも、出兵呼び掛けをしても即応してくれるのは往時の半分も居るかどうか。みな口先で威勢の良い事だけ言って日和見するに違いない。
即応する勤しき者たちでも、陣触れして騎士を招集し、傭兵と契約し、足軽達を徴発し・・では時間が掛かる。東も南も、連中即戦力でその日のうちに進軍始めるから、有り余る資金力で傭兵団を常時複数抱えているアグリッパが連中の素通りを許した時点で我らの負けである。
あそこが唯一の緩衝地帯、最後の防波堤なのだ。
王都の即戦力が王党派の旗本達なのだから、そこに南岳の僧兵共が合流されては勝ち目が皆無なのだ。
つまり突然の動乱勃発は絶対避けるべき事態。政治力でじわじわ押す一択だ。
「フーグの奴、またアグリッパに喧嘩売っとらんだろうな・・」
◇ ◇
東の荒野。
彼方の地平から豆粒のような騎兵が、真っ赤な落日目指して馳せて来る。
「早馬か!」とフラミニウス助祭。
早馬、刻々と・・いや遅々と近づいてくる。
まこと遠そうで近いのは男女の仲、近そうで遠いのは田舎の道である。
「フラミニウス殿はどちらに!」
「拙僧なぁり」
「ご到着が遅いので様子を見に参りました」
「ご覧の通りだ。女子供の疲労が限界である。馬車を調達でき申さぬか」
「直ぐ言上奉る」
息もつかずに取って返す伝令兵。
・・そんなに女、欲しいのか。
続きは明晩UPします。




