36.酔っ払いの話聞くのも憂鬱だった
ノビボスコの町の酒場・兼宿屋『かわます』亭。少しく西のサーノ水系で獲れる川魚料理が呼び物の店である。
「おうさ! その件、心当たりばっちり有りますよ!」
膝乗り出し、実際口角に少々泡を飛ばしつつ熱く語るのは、一見して目の焦点も怪しい酔漢だが・・這のガーバー氏、本当に町で屈指の名士である。
「すいませんね、このおっさん最近家庭の問題で悩みを抱えてましてね。毎晩々々ちょっと飲み過ぎなんですよ」
傍らで、友人っぽい冒険者ふうの男がフォローする。
「いやいや! こりゃ無責任な噂話じゃない。確かな筋から聞いた話ですぞ」
氏、腰を浮かせて熱弁を振い出す。
「むかし『大魔女』と言ったなら、この町の者の十人が十人とも、あの方の事だと思ったでしょうが・・」
「『魔女』って悪いイメージじゃ無いんですか?」と、生粋の北部人レッドバート今ひとつ飲み込めない。
「実在の人物のアダ名ですよ。むしろ、此の町じゃ人気の高かった人物です。いやまぁ ・・悪役人気っぽいけど」
・・南部人的感覚なのかも知れないけれど、この町も結構アヴィグノ派の教会が幅を利かせていた筈。大丈夫なんだろかと余計な心配をするレッド。
「どのような人物なのです?」
「南北戦争のときの南の女将軍ですよ。チョーサー伯爵軍をボコボコに叩いたから是の町の衆は皆こっそり喝采したんです」
「同じ北軍だろ其のチョーさんって。此の町の衆たぁ折り合いが悪いんかね」
「同じ北軍でそれじゃあ、負けますよね」
「ひと括りに北軍って言われたって・・そもそも此の町は参戦しとらんのですよ。チョーサー伯が私欲の暴走で南に喧嘩売って、州まるごと危険に晒したんですよ。誰があいつらに同調するもんですか」
なんだか複雑な情勢だったらしいし、だいいち昔の話なので、レッドもブリンも既う余り突っ込むまいと心を決めた様子。
実のところ、小覇王とか麒麟児とか呼ばれたボスコ大公が老いて駄馬になるなり重臣の三伯爵が勝手気儘に振る舞うようになって、互いに競争相手を出し抜こうと角逐し、中には無理な冒険に打って出て痛い目に遭った者もいる。チョーサー伯がそれである。
「その女将軍が代替わりしたと?」
「いやそれが、ぜんぜん別の『大魔女』」
「んじゃ、今の話はなんだった訳よぉ!」
アリシア憮然として卓を叩く。
「これこれアリ坊、酔っ払いの話は脱線を楽しむもんだぜぃ」とブリンが諦め顔。
「でもブーさん、ちっとも面白くないわよ」
「いやだから、その女将軍にも後継者みたいなもんが居るんだけど、それとはまた別口って前振りなんですよぉ・・」
ガーバー氏、身振り付きで狼狽る。
「ややこしいわ」
「・・ああ、反抗期に入った頃の娘を思い出して落ち込むわぁ」
隣りの冒険者ふうの男に慰められるガーバー氏。
「んだから・・うちらの町で『大魔女』いうたら皆が誰だってあの白蛇の女将軍を思い出すんだけど、実は同じ時期にもうひとり『大魔女』が居たって話なんです。こっちの方が猟奇的で魔女っぽいんです」
「ややこしいわ」
「ああ、昔の娘を思い出す・・ あの頃はまだ可愛げが有ったなあ・・ 」
隣りの冒険者が肩を抱く。
「酔っ払いの話はしつこいのが普通だって」とブリンも変なフォローを入れる。
「若しや・・其れは『アルテミシアの呪い』の話では御座りませぬか?」
「メーザー師もご存知って! それは有名な話なのですか?」
レッド初めて本気で興味を示す。
「いやぁ、だから・・昔の感覚だったら『大魔女が復活』って言われたらば、この町の者なら普通みな『あの往年の女将軍の紋所を付けた女が最近メッツァナの町に現れた』って話だと思うだろって・・でも実は本命は違うのよって、わし言いたいわけ」
「ややこしいわ」
「だからアリ坊、そりゃ酔っ払いの話のデフォだって!」
「で、師、その『アルテミスの呪い』というのは?」
「否々、アルテミシアですぞ! 異教の女神等には非ずして人界の高貴な令夫人で在らせられました。然も往時は天下に剣名を轟かせた姫騎士。魔女という印象とは程遠いので御座りまするが・・」
「いや、何十人も呪い殺したんだから凄い魔女だぁって」と煩い酔っ払い。
「何十人も!」
「嶺南が御家騒動で揺れに揺れていた時期のこと。武力衝突も日常茶飯事でござりました。もう二十年も前に耳にした風聞ゆえ確かな事も申せませぬが、その希代の女剣士が卑劣な騙し討ちに遭って壮烈な戦死を遂げた際に、返り討ちに出来なんだ刺客の残り十三人に秘伝の魔道具を解禁して必滅の呪いを掛けたという話で御座りまする」
何十人は尾鰭らしい。
「十三人亡くなったのですか」
「否襲撃者の生き残りが次々と怪死を遂げたので、十人目が身分も家屋敷も捨てて修道院に入ったところで連続怪死が止まったのですと」
「では、『大魔女の復活』とは?」
「出家して懺悔生活を送っている十人目を飛ばして、残り三人が連続死」
「また始まったと?」
「それが今月のことで御座りまする」
「詳しくは知らぬと仰る割には、よくご存知ですね」
「実は、十人目と面識が御座りまする」
「なんと!」
「ティラヌスのレミジオと申す修道士で、お山に居りまする。俗世ではヒツラー=ゾンネンシュテルンという姓だった元騎士」
「ひとり存命してる!」
「存命して居りまする」
◇ ◇
南北交易で殷賑うメッツァナの町の裏路地、しけた酒場。
「もうしわけないぜ。ちっとも成果が上がらないのに金だけもらうなんて」
小僧と呼ばれるには少々薹の立った若者の通称『旋風小僧』が殊勝な面持ち。
「左様いう性分のお主故にこそ一層信用するのだ。約束どおり受け取れ」
革袋を差し出す男は一介の傭兵といった地味な身装だが、将器とも謂うに値する堂々とした武人の風格が有る。
「あんたらを『使える奴』って目利き為たのには自信あるわ。そっちもアグリッパ探索者ギルドの者は太い客になるって覚えといて。舐めたら駄目だけど」
臭う様な個性を振り撒く大男の傭兵の横で、そこそこ美人な割になんとも印象の薄い・・何処にでも居る様な女が囁く。
「あたし個人としては、舐められるのは好きだけどさ」
言うことは印象的なのだが。
「信用してくれて、うれしい。けど、気合い入れて見張ってんのに対象らしいのが一向に網にかかんねえ」
「先方も此処等辺りで待ち受けられて居ると先刻承知であろ。当方が油断するまで機を窺って待つかも知れぬ」
「あんたらも、定収続いてラッキーだぜぇって割り切りなよ。網張って待つ仕事は焦燥ったら負けだわ。地道に頑張ろ!」
「うん・・でも、うちのガキたちに仕事で楽するの、覚えさせたくないんだよね」
「あんたって、いい兄貴分だね」
◇ ◇
蜿蜒東流する大河モーザを見下ろす奇岩の上のランベール城。
古書を紐解く男ふたり。
落城の折に略奪の災禍を被ったのだが、ここ図書室は金目の物を漁るため古籍が書架から投げ出されただけで、稀覯本を売り払おうなどとまでに知恵の回る雑兵は居なかった模様。
乱雑に散らかされはしたが被害は多くない。
「ランベール男爵家、教養人が居るなぁと思ったら、遠い先祖に旧帝国の書記官が婿入りしとったのか」
「そりゃまあ・・北部人の一介の男爵が居館に図書室なんて作りませんよねぇ」
いやいや、立派な城持ちが『一介の』男爵でもあるまいが。
公爵様といえば大物に決まっているが、男爵ならば広大な領地を持つ城主様から冒険者やって日銭稼いでる者までピンキリである。
まぁ歴史を語るなら貴族と言われる団塊から、広域の領主として旌旗を賜ったり判官に任ぜられたりという上澄みを除いた残りが素の自由領主、つまり男爵の主体なので、上澄みの拾い漏れは結構いるのである。
ランベール男爵家、只者ではなさそうだ。 ・・いや既う無いが。




