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278.帰っちまって憂鬱だった

アグリッパの町、朝。侯爵邸下の階。


「本当に今日になるとは!」

 浮き足立つアントン。

 思えばへスラー伯は『六日で千里の猛将』と言われ、強行軍の速攻で敵の不意を衝く有名な人だった。

「そろそろお見えになるよ」

「エルダっち、そんな服持ってたんだ」

「お父さんが国許から持って来てくれたお祖母さまのやつだもん」

 白絹の振袖は腰の辺りから編み上げのようで、これは流石に介添なしで着付けが出来ない。


 アントン、介添のひとを見て呟く。

「お前って・・ほんとに三姉妹だったんだ」

「あらアントンくんってお上手ですこと。娘がいつもお世話になってをります」

「え! あ、どうも。こちらこそ」

 なんだか信じられない単語が耳に飛び込んで来たので、脳が自動的に『妹が』と読み替えて処理する。


「あ、もう下へ行かなきゃ!」

 アントン小走りに廊下へ出ると、エルダも派手にスカートめくって追って来る。

「お前、表に出たらも少し下ろせよ」

「大丈夫、ぱんつスブリガ穿いてるから」

「なんだそりゃ?」


 通りに出ると、見た事のある黒塗りの箱馬車が丁度着いたところ。

 鎧戸が開いて、ホラティウス司祭さまが手を振っているのが見える。

 アントンも二度目になると、周りにいる人が警備陣か一般人か、なんとなく判る気がする。いや、正確に言うと此の時間帯、一般人がいない。

 馬車から降りて来る大司教さまに会釈されてしまった。お忍びのかたに最敬礼で返したら目立つので、合掌して一礼返す。あ・・いいのかな一般人いないから。

「お荷物お持ちしますっ」

 本日の先導はヘスラー兄弟。階段を登る。


 大司教さまが略式の典礼服で身支度を済ますと、正にどんぴしゃのタイミングでお父上にエスコートされた新婦が上がって来る。さすが二回目。

 お父上の美丈夫ぶり、驚きである。であるけれど是の一族、顔が男女各一セットづつしか無いのであろうか。我が執事道のお師匠様ことエルダっちのお祖父さんと見事に同じ顔。

 ってことはお師匠、若い頃はこんな甘いマスクだったのだ。

 そっちの方が驚きである。


 お父上、お師匠と違うのは割と表情豊かなところで、そこはエルダと同類だ。

 新婦を引渡すときの手の放しかたとか、恰も愛しながら身を引いて別れる元恋人みたいなのだが、大丈夫なのかこれ。


 祝別恙無く終わる。

 室内で小宴会となる。


小銀貨シュット一枚で十分でございましたのに、過分な結納を頂戴致し恐縮に存じます」

 騎士と聞いたが、物腰が執事っぽい。

 どうやら昨夜弟くんと飲んでいる頃、侯夫妻と伯には既にご挨拶なされた模様。なんだか既に身内な空気が漂っている。


 ただ異常なのは、侍女役がふたり新婦と同じ顔なこと。これ、誰もが感じている筈なのに口に出さない。救いは、大中小サイズ違いなので暗いところでも多分まぁ間違えない事だろう。皆ちまっとしているので絶対量にさしたる違いが無いという不安材料は残るが。


 台所で、ちらっと聞く。

「お姉さんは結婚なさってるんですか?」

「いやだわアントンくんったら」

 含羞はにかんだだけで返事は呉れなかった。


                ◇ ◇

 オックルウィック村。

 『口数の少ない女』じっと不労姑軍団を見る。

 ・・この人たち、意地でも働かん気だろうか。まぁ自由だけど。


 足腰弱った老人たち、割と人数はいるが各自の摂食量が少ないので、朝の麦粥は十分にある。調理は『下女』と『女給』が主担当になり、『村八分の嫁』と自分が食事の世話をする。

 少年団は昨夜から『寝たきり男』の家に食事を運んで一緒に食っているらしい。しもの世話とか大丈夫なんだろうか。いちど見て来よう。


 年寄りの食事の世話がひと段落して、わたしらもめし食うかと『村八分の嫁』と目配せした矢先、姑軍団掛け声と共に突進して『下女』から鍋を奪い、逃走した。

 「やられた」


                ◇ ◇

 代官所。

 アナとグレッグに書記官夫妻の四人、お代官シュルツに見送られて南へ去る。

 これから村の土地の割当てについて打ち合わせらしく、村八分になっていて罪に問われなかった男も来ていた。

 ルドルフ中尉の姿は昨夜から無い。


 四人の帰路。

「俺ぁぜんぜん働いてなくねぇ?」

「そうね。酒飲んでばかりだったわね。堪能した?」

「まぁな」

「あんたの着てる服、へスラー城下に着いたら売っ払うから、脱いどきなさいよ」

「おいおい、まだだいぶ先だろ」

「あんたの体で温いと古着屋の心象悪くて、安く買い叩かれるから」

「へいへい」


 アナ、心残りがない訳でもなかったが、気にしない事にする。


                ◇ ◇

 アグリッパ。

 護衛隊長官舎という名の伯爵別邸。

 婚礼の祝宴の途中、子息の婚約話が進み始める。


「やるせないのは俺だけだよ」

 ヘスラー弟、厨房に抜け出してアントンに零す。

「なんかさぁ、ぐっと強いお酒ないかな」


「エルダっちが漬け込んでる滋養強壮酒の類ってのがめちゃくちゃ強いけど、先ず薬効の話聞いてから飲むのをお勧めしますよ」

「薬効?」


「大聖堂の偉い方々の前でポロリしちゃったら恥ずいでしょ」

「それは恥ずい」

「やたら眠くなって舟漕いでも恥ずいでしょ」

「それも恥ずい」


「中座しちゃっていいシチュで飲みましょ、強いお酒は」

「アントンさんって兄ちゃんみたいだなぁ・・」

 懐かれる執事。

「・・彼女とらないほうの兄ちゃん」


                ◇ ◇

 コリンナ代官所。


「今回の一連の騒動では、幸いというきかは兎も角、血の出る刑罰ぶるうとばんを執行せずに済んだ。代官として臨時法廷を開廷することも無く、行政処分だけで済んだ」

「気に病む仕事が少なかったよなオスカー」

 ・・騎士団に押し付けた気もするが。


「それだけで無くだな、他の村から裁判員を招集して、オックルウィックの汚点を拡散しないで済んだ」

 他の村々では、開拓認可の代償に兵役義務を受け入れていたり等々と、無条件で不入権のある自治村は此処だけだったのである。村の本百姓たちの持っていた妙なプライド高さは、この辺が原因だったのかも知れない。


「前の領主があまりにも放任というか気分だけで介入というか、要するに全般的に無法だったことは許し難い。と言って、これから強権的に締めていく、というのも違うと思うんだ」

「ほら、代官殿の理想主義が出てきた。あれもこれもと欲張ると、結局は何も手に入りませんよ」

「違うんです司祭さま。村の者が自主性を持って欲しいと思っているだけです」


「ならば、夢だった自分の土地を手に入れた元・小作人たちが『小作料減った』で安楽椅子に寝てしまわぬように、次の努力目標を与えて上げなければ。お嬢さまが思い付いた『旅商人達の統制化』でも良いですし、崩壊したパン窯を修繕して使用ルールを決めるでも良いです。道を作ってあげませんか」


「ガリーナなら、なんか出来るわ。気がする・・だけだけど」

「お嬢・・」

 つい先日まで、寝小便が臭うとか真実を抉る指摘をし返して喧嘩してた二人だがさまになった主従になって来ている。


「彼女・・帰ってしまいましたね・・」

 トルンカ『司祭』もちろん欲しがっているのは肉体ではない。


 ・・はずだ。



続きは明晩UPします。

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