274.判決どうでも憂鬱だった
ツァーデク城、夜。
伯爵令嬢スヴェンヒルダ、久々の自室で落ち着いた訳でなく、床に就いても不覚余計な事を思い出す。
「むかし、お母さまのこと、怖かったんだよね」
少なくとも自分には何時も優しかった母が怖かったのでは無しに、癇性な彼女がひとを責め立てるたび、幼ない頃の自分は母が相手に刺されやぁしないかと真剣に怖れたものだったわ。
怖れているのは実は母の方だと気付いたのも結構昔のことで、センセーコーゲキという単語を覚えたのも、あんまり学のない自分にしては早かったと思う。
学のない伯爵令嬢別に珍しくないし、良いでしょ? 男だって命令書が読めたら出世コースなのよ。
いや、お母さまの話をしよう。
母が姉ティリに対しては、ひときわ強い恐怖と共にもう一つ、強い嫉妬の感情を抱いていたのに気付いたわ。
「あたし・・ませてたわね」
ただあの時は、三十路過ぎの女が十歳かそこらの娘に妬くって、引いたわ。
それは最近、お母さまの告白を聞いて納得したというか、益々不可解になったというか・・まぢで信じてたんだよ。ティリが先の奥様の生まれ変わりだって。
「心の中に、緑の目をした怪物が生まれてしまうって、ああいうことなのかしら」
眠りがおとづれて来る。
◇ ◇
オックルウィック村、村長宅の離れ。
夜も更けたというのに喧しく喋る女たちの話題は嫁の悪口。
まぁ中には口数の少ない女も居て、お喋り組を疎ましそうに横目で見る。
「ひもじいんだから早く寝たいのに、うるさいわよ」
媼たち無視する。
「のろまの馬鹿嫁、何時もだらしない癖に、こういう時だけ麦の一粒も残さないで持って行きゃがった。きれいサッパリよ」
・・なら、すきっ腹はあんたも同じだろうに、無駄口叩く元気がよう有るわ。
「食べてる途中の皿を持ってっちまって悪ガキ共、目上の言うこと聞かないなんて躾がなってないよ」
・・んじゃなくて誰が目上かサッと見当つけたんだよ。あの図体おっきな小娘が大将だって。つまり、ガキ供あんたらより目端が利いて賢いんだよ。
あたしも見習うとするか。
女、毛布かぶって寝る。
◇ ◇
翌朝。
昨夜早く寝た『口数の少ない女』、皆の寝ている間に起き家から紡ぎ車を持って来ている。
働く気があるというアピールである。
昨夜は『公爵夫人マティルダさまの騎士』と名乗って参審人たちと交流していた人物、しれっと復た修道士姿に戻り、村長宅の離れに顔を出す。
「婦人用資産や一期分をお持ちのかた、お役人に申告して下さいね。没収されずに済むかも知れないから間違えないように」
アナ・トゥーリアやはり突っ込む。
「お兄さん、なんで『没収されない』って言ってあげないの?」
「人間、自己申告だけで良いなら嘘つき放題ですからね。他人に信用して貰うには其れなりの態度が必要って事です。だから、わたくしは『間違えないように』って言ったでしょう?」
「ふぅん」
・・つまり『間違える』って『宣誓失敗』のことか。
自分のものだって証言してくれる人が居ないんだから、間違ったらダメか。
「でも、女は差別されてて、法廷じゃ『宣誓』できないんでしょ?」
「法廷が、女性の『宣誓』を認めないのは正しい事なんですよ。男性の『宣誓』を認める方が間違ってるのです。虚偽の『宣誓』をするときの躊躇を見咎めるなんて犯罪捜査のレベルでやる尋問テクニックです。法廷で行うのは不適切ですよ。即ち法廷の淵源が村のリンチだった古代の悪しき遺物です」
「うーん、お兄さん詐欺師じゃなかったのは認めるわ。悪徳代言人だったのね」
「やな言い方だなぁ。『勝訴製造人』とでも言って下さい」
基本的に『美男は悪者』という軸足がぶれないアナであった。
◇ ◇
ガリーナが代官所の炊事当番兵と一緒にやって来る。少年たちを連れている。
薄い朝粥の配膳を始めるので、『口数の少ない女』も駆け寄って手伝う。
「炊事場って、どこなの? 代官所? この後片付けから行って働く」
ガリーナ、女の寝床辺りの荷物に紡ぎ車が増えているのを目敏く見付ける。
「炊事場は今は代官所を借りてるけど、旧村長宅を使わせてくれるよう、これから頼むわ」
炊事場といっても裏庭の軒下だから、本宅の差押え封印を解かなくとも良いので反対はされぬだろうと踏んでのフライング返答である。
彼女、だいぶ年下のヒルダお嬢の押しの強さから学ぶところが大きい。
◇ ◇
アグリッパの町。
執事アントン、へスラー兄弟に下の部屋をお披露目する。
「いちおう・・名目上は、侯爵さまの護衛隊をへスラー伯が総統なさって、司令官官舎の一角に護衛騎士が常駐するって形で、誰を司令官に任命するかは伯爵さまの人事権でどうぞという・・」
「親父の私的な愛の巣じゃないって事ね」
「うまいこと理屈を付けたなぁ」
「そんな感じで、武装者が常時駐在する事を市庁警備局に申請します。教会経由で行くので認可確定です」
「それで、父上は多分完全に居着くから、伯爵領経営の決済は僕らが此処に通って取りに来る・・と」
「で、そのたび妹ちゃんを口説く、と」
純粋な気持ちでの『父へのプレゼント』では無かった。
「もひとつ懸念事項解消のため、ちゃんとした調剤室を作りました。これを正式なへスラー伯爵家所有の公的施設として、さらに教会関係者の常時立寄所に指定する事で、あの姉妹が魔女だと告発されるリスクを、この際だから消しときます」
「どうせホラティウスさま四六時中来てるもんな」
・・ほんとにあっちの薬作ってる魔女っぽいのは内緒だ。
◇ ◇
ツァーデク城、城主の部屋。
養子縁組で親子になった実の父娘の会話。
「お父さま・・お母さまが先の奥様にずっと『子供できなくなる薬』を盛ってた話、したっけ?」
「え! 初耳だぞ」
「話さなかったっけ?」
「なんだったんだ・・俺があんなに頑張っちゃったのは」
「それ、実の娘の前で言う言葉?」
「いや、すまん。お前けっこう耳年増だし。いや、それいつ知った?」
「生まれる前の話だもん。聞いたのは最近よ」
「ちっとも子供が出来ないから、焦っていたんだ。ほら、本家の血を引く男の子の父親に成れないと『無駄婿』だ『屑婿』だ言われて辛いだろ?」
「今でもそうじゃん」
「今はそうでもない。ティリが侯爵さまに嫁いだから『中継ぎ婿』に昇格した」
「それ、昇格?」
「焦って『子供が出来ないのって俺の所為か』ってジゼルに相談したら、ちょっとやってみるかって話になって、お前ができた」
「言い方!」
ヒルダ嬢、大きく溜め息。
「・・うああ、あたしって存在そのものが、お母さまの罪で出来てたのか」
「気にするな! 人間みんな罪背負って生まれて来るんだよ。その証拠に、みんな泣いてるだろ生まれたとき」
「その話、よく聞くわね」
少し気を取り直して・・
「昨晩寝ながら思ったの。お母さまは『親子とも自分が殺した』って告白してた。けど、あれ本当にその言葉通りだったのかな、って」
「つまり?」
「つまり、ずっと『子供できなくなる薬』を盛られてたから、お体の弱ってた先の奥様母子は産褥に耐えられなかったって事で、もろ一服盛って亡き者にしたんじゃ無いんでは? そう言うこと」
「同じじゃないか? 殺す気は元から全然なかったけど池に突き落としたら溺れて死んじゃったのと、殺す気満々で突き落としたのと・・」
「それってぜんぜん違くない?」
「結果が同じだから罪も同じだ。怪しいと思ってたけど問い糺しもしなかった俺も同罪で、産まれて間もなかったお前には罪がない」
未遂罪や中止犯と言う観念がなく結果主義だった時代の判事なら、こう思う。
「そうかなぁ?」
腑に落ちないヒルダ嬢・・
続きは明晩UPします。




