272.鉄拳振るわれず憂鬱だった
オックルウィック村。
裕福そうな富農の家で、初老の女が喚いている。
「大声出せる元気があるのは良いけど、出てった嫁を罵ってる場合じゃないわよ。あなたもこの家出て行くんだから」
「ここは私の家だ!」
「息子の家でしょ。暴動起こして死んだから、家はお上が没収するってさ」
「あの子は騙されたんだよ」
「騙されて家屋敷取られたら、宿無しだよ」
「あんたの親父に騙されたんだよっ!」
「母さんの再婚相手ね。あのひとも財産ぜんぶ没収んなって、いま地下牢だよ」
「・・・」
理屈より、ガリーナの睨み顔で黙った感じ。
「兵隊さんに追い出される前に、もと村長ん家の離れに集合しな」
「良いんすかい? 担いで行かねぇで」
「自分で歩ける奴は、歩いて行かすわ。歩けるのに歩かない奴は川まで担いでって呉れない? 流すから」
「おっけー」
「次の家、行くわ」
出て行きざま、ガリーナ振り返って言う。
「これからは雇われて働くか、浮浪者として村を出て行くか、二つにひとつよ」
◇ ◇
もと村長宅、離れ。
半分物置になっているが、元来は集会室として建てたものである。アロイス村長若い頃、村の公式集会は青空天井で行うものと知らなかったので。
壇上からガリーナ睥睨する。
「子供置いてっちゃった家って、何考えてんのかしら」
「家庭の事情は家夫々でやんすよ」
「そりゃま、そうね」
「殺し合ってなきゃ多少はマシよ」と口の中で呟くヒルダお嬢。
「来てない人が有りゃすね。ちょいと川に流して来やんす」
「運び先、一旦此処にして下さいます?」
「へいへい」
兵士が二人、大鍋に作った麦粥を運んで来る。
子供らが飛び付くが、鍋のままだ。仕方ないので女ふたりで皿に盛る。
足腰覚束ない老人は兎も角、自分で歩いて来た者、二人を手伝わず我先に食う。
「お見事に屑を捨ててったたわね」と、お嬢。
小男の騎士、直ぐお荷物ひとつ運んで来る。
「あら、静かね。さっきとは様変わりだわ」
「静かでないと重いんでやんす」
ぽいと転がす。
「容赦が無いわねぇ」
「この小母ちゃんは、自分の足で歩くの怠けたんで飯抜きっすね」
まぁ、いま息を吹き返しても、当分のところ食事どころでは有るまいが。
泡吹いて伸びている。
◇ ◇
アグリッパ下町、人気の酒亭。
大聖堂の実はけっこう偉い人が、清掃員の作業着着て愚痴垂れてる。
「だから都のあそこの会派のひとに空気読めないタイプが一人いてね、よく絡んで来るんだよ。アグリッパ大聖堂は信者に清貧をごりごり強要するから信者になると生活がみじめだとか、妙な陰口広めたり」
「もしかして河豚だか馬面だかいう司祭さんですか」
「よく知ってるね」
「吠えるお座敷犬って呼ばれてる人」
ホラティウス司祭、吹き出す。
「上手いこと言うぅ」
「だから、へスラーのお兄ちゃんが派手に婚約式をやれば、そんな風聞ぷっと吹き飛びます。伯爵さまの再婚相手は嫡男を第一に立てる奥ゆかしい人って話にすれば全部きれいに辻褄合います」
「彼女、お兄ちゃんで了承なのかい?」
「ただいま兄弟で争奪中です」
「成る程、みんなハッピーな計画だなぁ」
・・弟ちゃん以外は。
◇ ◇
国都某所。
グンター司教、密偵から報告を受けている。
「ナルセス元司祭は、僧籍剥奪のうえ諸国巡礼を命ぜられました」
「何処かで行き倒れにならんよう、こっそり配慮してやれ。復職とかは図るな」
「それは可哀想では?」とフーグ司祭。
「買春前科持ちを僧職に叙任しないことの何処が可哀想だか言ってみよ」
司祭、黙る。
「市民の前で公開裁判になるところ、温情で救われたのを忘れるな。救われたのはナルセスとやらでなく、我等だと言うこともな」
余りに馬鹿げた醜聞に巻き込まれるところだった。
「城西のボーフォルス男爵家が、アグリッパに帰依したそうだ。カラトラヴァ侯の寄り子からも外れた」
「裏切ったのですか!」
「あちらに、ちょっと返せぬような恩義が出来たそうだ。細かいことに立ち入らず容認しようと、侯とも合意した。この件も、余計な事はせぬように」
「押されっぱなしでは有りませんかっ」
「だから、お前が余計な事した件で尻拭いの譲歩だ。文句があるなら聞こう」
司祭、黙る。
釘刺されまくりである。
◇ ◇
オックルウィック、もと村長宅の離れ。
年嵩の男の子二人がよく働いている。
「働けるのに働かない女ども、明日から飯は無いからね」
「この小娘が偉そうにぃ! 不公平じゃないのよぉ」
「ヒルダお嬢ちゃん、こいつら川に捨てて来やしょうか」
「ガリーナが殴るの我慢してるから、殴ったら袋に詰めよう」
投棄された姑たち、後ろの方で怖い会話が続いているのに気付かぬ様で、ずっと吠えている。
「ああ、もう不公平でいいわ。あなたたちを不公平に扱うんで、飯抜きよ」
男の子二人、姑らの皿を運び去る。
「アッ! この餓鬼ども」
二人を追うが、子供の方が足が速い。
「あら、ガリーナが殴らないわ!」
「仕方ねぇ。袋詰めは後日ってことで」
◇ ◇
アグリッパ下町の酒亭。
「飲み過ぎですよ。明日に差し障りますってば」
「アントンくぅん、もう一杯だけ」
「あと一杯だけですよ」
「北東の国境トラブルも、調べたら襤褸がぼろぼろ出て来るし」
「そりゃ普通ぼろは・・ぼろぼろですから」
「あそこ、先代男爵は立派な軍人だったそうなんだけど、息子がぼろぼろで」
「ぼろ息子ですか」
「借金こさえるわ女房は逃げるわ」
「そこへまた襤褸がぼろぼろ出たんですか」
「ああ、虎は死して褌を遺し、人は死して悪名を残します」
「なんすか、それ」
「この前、高原州から来た変態司祭が、酒場で買春した現行犯で捕まったでしょ」
「ああ、有りましたね。市中引廻しを慌てて止めた事件」
「あれ、司祭が変態だったって噂を打ち消すの大変だったんですよ。頭カッパ剃り受刑者って噂流したりして」
「大変ですね、よその会派の人まで面倒見て・・」
「その、客引きしてたおかまが、ぼろ息子の元愛人だったんですよ。例の男爵家が潰れたもんで上京して来てた」
「じゃあ奥さん逃げたのって・・」
「彼の所為ですね。奥さん『妾に現を抜かすのは未だ我慢できるけれど、男に亭主取られるのは耐えられない』って」
「超しょもないですね」
「ゆくゆく奥方様の妹さんに行く領地です。この際だから膿を出しとこうと思って調べたら、また出るわ出るわ」
「先々あの子の旦那さんが治める土地かぁ。ちょっと面白い子でしたね」
「でも、よかったですよ。姉妹が和解できて」
世間の狭いこと。
◇ ◇
都下、或るぼろけた宿。
禿頭の太った男、大の字で寝ている。
寝台脇で妾ふたり密談中。
「どうする? そろそろ限界と違う?」
「それっぽいわね」
遥々と運んで来た『がらくた』・・と言っては悪いか・・それなりに金目の物を馬車一台分、古道具屋で足許見られ買い叩かれに叩かれた。その虎の子を、怪しい坊主に吸い取られたが、坊主はどうも夜逃げした。
泣きつらに蜂ぶんぶんである。
「あたしら変な商売させられる前に逐電すんのが利口じゃない?」
「そうかもね」
逐電しても結局は、変な商売する事になる気もするが、売り飛ばされるとか云う最悪は免れるだろう、とか相談する二人。
だいたい心は決まるのだった。
◇ ◇
オックルウィック、もと村長宅の厩舎近く。
馬がみな押収されて飼い葉小屋が不使用のところを、ガリーナが子供達と車座に座り込んでいる。
「母さんが再婚するっていうから、邪魔んならないようにと」
「きみら、それで残ったの・・」
こういうのに弱い。
「よし、お姉さんが君ら雇うよっ」
彼女、代官所に間借りの身なのだが・・
続きは明晩UPします。




