266.捨てられた者みて憂鬱だった
オックルウィック村、早朝。
修道士たちに伴われて十所帯ほどの女子供、東に去る。
色合いの違う別の修道士服の男、丘の中腹ほどテラス状に突き出した高台から、村を去る者たちの後ろ姿を見ている。
「やっぱり、ちょっと『見てるぞっ』って圧を掛けてる感じですね」
傭兵ヘルマン、今日は農民ふうの出で立ちで、物陰から高台を見上げる。
見送って高台の男、姿を消す。
「さて・・俺も消えるか」
ヘルマンも去る。
◇ ◇
代官所。トルンカ『司祭』戻って来る。ちょっとブルーな顔。
「行きました・・」
「そうか」とお代官、こちらも沈鬱な表情。
「何を残して行ったか、気になって御在なのですね? でも、割り切りの早かった第一陣の方が厄介なものを残して居るかも知れませんよ」
「怖いこと言わんで下さい」
「あの人たち、蛻脱の空になった領主館に皆で押し掛けて綺麗薩張略奪して行った人々ですから。善良な村人ではありませんからお忘れ無く」
「ですよねぇ・・」
「さて、父親逝去で当主の座に就いた故パトリスですが、父親の後妻さんに対して家父長権限で再婚を命じました。これが不当な越権行為であった事は、皆さん既に御存知のとおりです。ですが加害者及び被害者双方死去済みで、これは今更です」
「騙されたとは言え、婚姻に同意して了いましたからなぁ」
「然し、再婚禁止期間を無視した婚姻を承認してしまった教会の責任は残ります。故パトリスからの圧力も有ったのでしょうが」
「これは面倒そうですな」
「否、これは代官殿の手を煩わせません。これは大聖堂から依頼を受けたジロラモ書記官が報告を上げるだけで、あとは宗教裁判所の仕事です」
「宗教裁判所ですか・・」
「いや、是れって普通すぐ気が付きますよねぇ。責任者さん、もう亡くなってると良いですねぇ」
「あっと・・それ調べなくちゃ!」
書記官あせる。
「相続絡みで、親子関係を否定したい側に買収されたとか露見ちゃったら、結構な厳罰喰らいません?」
アナ、ストレートに聞いちゃう。
「大丈夫。宗教裁判所では死刑判決は出ませんから」
異端審問所とは違うらしい。
・・しかし此の方の仰りよう、毎度も鰾膠も無いなぁ。
「そうそう。このケースじゃ、敵に恨まれて暗殺されたりも無さそうでやんす」
詰まり、されるケースが有るようだ。
「・・(騎士さまが出て来る裁判って、やっぱりどっかで血が出るんだなぁ)」
アナ、大都会の市民で都市裁判所以外は余り見た事がないので『流血裁判所』の意味に誤解がある。騎士が日常的に決闘して居るような、そんな誤ったイメージを持っているのだ。否そんなに誤ってもいないか・・
都市裁判所だって、市長の法廷は死刑判決をも出せるのだから『流血裁判所』の範疇なのだが。
まぁ直きに伯爵法廷を見ることになるから、彼女も学習する事だろう。
ガリーナ・ゴドウィンソンの身分確認訴訟は被告人が不存在だから、少なくとも血は見ない。参審自由人身分認定の是非を審議するから裁判員が騎士達で裁判長がツァーデク伯爵なだけである。
「アナさん、聖コレーナまで付き合って頂けますか?」
・・あ、ディジの彼氏、じゃなかった、ご亭主の仕事が有った。
◇ ◇
アグリッパ、侯爵邸居間。
今日もへスラー伯一家が来ている。昼食狙いだ。お城に料理人が居るだろうに。
ドライフルーツと食前酒で侯爵夫妻と談笑中。
「このジュジューブの実は、身体に良いそうですな。大殿もお好きなようだ」
「美容にも宜しうございます」と、奥さまには特別に蜂蜜で煮てお菓子に仕立てて供するエルダ。・・あっち方面の薬にして盛ってないだろなと疑うアントン。
離れて侍しているアントンの位置からは、伯がエルダにちょこちょこ触っている現場がもろ見える。
「・・(まったくもう)」
「あれだよ毎日」
ヘスラー兄弟やって来て揃って囁く。
「あの話、どう?」
「ばっちりです。既う模様替えに掛かります。床面積が十分あるので護衛騎士達の詰所も作ります」
「アントンさん、仕事早いなー」
「すみません、そこ通ります」
「あ、妹ちゃん! 僕と結婚を前提に付き合わない?」
「いや、僕と!」
「お二人とも、切り替え早いなー」
「いちど義母さんなっちゃうと、もう結婚できないからね」
「うん、確かにへスラーさまの息子さんだ」
◇ ◇
アナ・トゥーリア一行、栖処に帰るオッファのアベラルドを先導に聖コレーナ・ダストラ堂へと向かう。
「うう〜ん、ブラムスケのコロンバスとやらって聞いたこと無ぇ名だぞ。とっくに死んでんじゃねぇのか?」
「それが一番無難な展開だけどね。それを望むのは人間としてちょっとダメかも」
・・言ってから『あ、失策った。美男の詐欺師さんをヒボーしちゃった』と少々後悔するアナ。
「アロイス・ガンターとガルフレダ・ゴドウィンソンの婚姻を祝福した人の情報は書類にサインした名前しか残って無いのよ」
「そりゃお寺さん完全に逃げるな。俺みたいなヘルパーだって言ってさ」
「もしかしたら、それが最悪の答えでは? 組織としての管理体制を宗教裁判所に裁かれちゃいますよ」
「そうすると、やっぱり『当時、ほかの人が逆らえないようなお偉いさんが、実は悪党でして』って弁解するしかないのかしら。でも、この答えもお咎めキツそうな気がするわ」
「うん、ディジの言うとおりだと思う。だから我々は、何か追求するような気配は噯気にも出さずに、淡々と調べるべき事だけを調べよう。でないと裁判所の仕事の邪魔しちゃうからね」
「聖コレーナって、あそこ・・なんか秘密主義で好かんのよね」
アナ、歯に衣着せない。
「おいおい、勘弁してくれろよ。俺の栖処なんだ」
「ほぉら、『組織としての管理体制』かなり悪いわ」
◇ ◇
アグリッパ、侯爵邸厨房。昼食の下拵え中。
へスラー兄弟、エルダの妹ちゃんにアピールしまくり。
だが妹ちゃん、二人を相手にお鍋の具合を見ながら余裕でお相手をしている。
兄弟どちらとでも、あと四、五年もするとカップルとして釣り合いの良さそうな年齢である。
兄弟の方も、あの若さで金拍車である。毛並み良さゆえ履いた下駄を割り引いて考えても、可成り優秀だろう。
市民のギルドでも、親方の息子には優遇措置があって、普通より短い修行期間で上に昇がれたりする。それで職人として実力の無い『御坊ちゃま親方』が結構な数居たりするのだが、この兄弟は本物に思える。
まぁ父親譲りでちゃらっと軽いところを減点しても相当の優良物件である。だが彼女、平常心で淡々としている。仲々の玉である。
ある日突然、どっちかの嫁に決まったと言われても今さら既う驚かないアントンではあったが。
何せここ一週か其処らで、身近に居た少女がぽんぽんと高位貴族の嫁に収まって居るので、少々神経が鈍磨気味である。
ここでそんな観察していても仕方ないので旦那さま方の様子を見に行くと、侯爵夫妻がなんかべたべたして居て、へスラーさま達の姿が見えない。
まったくあの二人、油断も隙も有ったものでは無い。
◇ ◇
アナら一行、聖コレーナに着く。
教会の事務職さんに聞く。
前回は木で鼻を括ったような対応をした同じ女性だったが、実にあっさり回答を貰えた。『守秘義務に係りませんので』だそうだ。
ブラムスケのコロンバスは昔の司祭で事務長を兼ねていた元大物だが、今は隠居状態で山の草庵に一人住まいとの事。まぁ低地州である。山と言っても多少小高い場所の雑木林程度だろう。
「とうに失脚したオワコン爺さんてぇ所か。知らねぇ筈だ」
「ぽちっと折って切り捨てそうな感じ?」
とりあえず、草庵を訪ねてみ・・
続きは明晩UPします。




