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260.回想して憂鬱だった

 小高い丘の上のコリンナ代官所。

 丘の麓近い斜面に体僕らいばいげん村、名前は知らないが。

 そして麓の平地に、入会地の森に囲まれたオックル村が見える。

 その東に見えるのが多分、ゴドウィンソンの世襲領あいげんだろう。もう騎士の館は朽ち果てているだろうが、体僕村は健在だ。

 つまり、村長アロイスが運よく騎士の娘ガルフレダを娶って以来約二十年、彼はゴドウィンソン家の土地から上がる小作料と体僕らの納める税を手に入れていた。最初の十二年ほどは配偶者ガルフレダの法定後見人として、その以降はその相続人ガリーナの後見人としてだ。

 土地ならびに体僕の所有権は妻ガルフレダから娘ガリーナに移ったが、利用権は一貫してアロイスが享受した。故に自分の世襲財産と合わせて大層な資産家だった訳だが、実は彼、それほどには金に頓着する人間では無かった。主に、崇敬されて踏ん反り帰りたい男だったのだ。

 それで割と気前は良く、取り巻きに囲まれて悠然と暮らしていた。


 困ったのは、彼の親分パトリスが妻に逃げられて多額の負債を負ってからの事。可成りの額の捻出を迫られた。そもそもパトリスの脅迫まがいの説得に嫌々屈したガルフレダを娶って手に入れた裕福さである。協力に吝かでない・・筈はなく相当吝かだったが仕方ない。

 仕方なく妻由来の土地を少し売却した。

 これは法的にダメな行為だが、そもそも女のガルフレダが親の土地を相続したと言うことは、彼女に男性親族が居ないということである。今その一人娘が相続して所有権者になっている土地を狐鼠こそぉり少しだけ処分しても、未成年である彼女には訴えられない。訴訟を起こせる後見人は他でもない、アロイス自身だからだ。


 まぁ親分パトリスには資金提供せぬわけに行かぬし、村の農地ど真ん中の自分の所有地を売ったら評判が悪い。離れた場所にある娘の所有地を密かに切り売りして置いて、将来娘に文句言われたら自分の所有地の名義を渡してやれば良い。これで特に大ごとには為らぬ。

 そんな安直な考えで、事実とくに問題にならなかったのである。


 アロイス・ガンナーという男、容貌もアレであるが色恋ごとにまるで興味がなく村長の家系も自分の代で終わりと思っていた。だから成行きで妻帯してなさぬ仲の娘ガリーナが出来ても別に含むところは無く、彼女をこのまま相続人にする積もりだったので、ちょっと前借りしたくらいの意識だった。

 妻から前夫の『寡婦年金』を掻っ払っている時も『親分の命令だから仕方ない』という認識で、悪事に加担しているという当事者意識が希薄である。


 地下牢で己の運命の急転ゆえ呆けつつある脳の男から、お代官シュルツが数日かけて漸く聴取したのは、粗方こんな話であった。


                ◇ ◇

 ここで個別の事情や当事者の心境を捨象して事件を見ると、男系が絶えて女性が相続人になった場合に起こる法的トラブルの構造がツァーデク伯爵家の相続問題と共通している。

 不動産所有者としての女相続人と、その法定後見人たる配偶者=夫の関係だ。

 女相続人がした子が、実は配偶者=夫と血縁関係が無いという点も共通するが今は措く。女相続人の直系卑属が次の相続人で、配偶者は列後するからだ。

 これは血族じっぺ外への資産流失が忌避されるためである。

 この点、伯爵家は分家筋である血族たちが絶えず注視していたが、北海州からの転入者であるゴドウィンソン騎士家が周囲に血族集団を欠いていた点は両者大きく異なる。


 またツァーデク家の場合、婚家から結納金を受領して娘が伯爵家の家父長権から離脱し、改めて婚家に所属するという氏族婚ムントエヘの基本プロセスを踏まえている。だがゴドウィンソン家の場合は、実は家父長権を有さぬ異母兄パトリスが家父長として振る舞い、婚儀を主導している。ましてや copula carnalis すら疑問だ。

 これを婚姻の不成立として異議を申し立てることは可能だろうが、二十年余りも経過して妻も故人である今、あまり意味が無いようにも思われる。


 更に、当事者ガリーナ言うに、母子への虐待など有った様子はなく、パトリスに言われるがまま金蔓に使った以上の不法行為は認められなかった。

 ツァーデク家の後妻ギゼラが、先妻の産んだ娘マティルダを激しく虐待していた状況と対照的である。


 結局、妻の固有資産について配偶者は収益権を手にするだけでも十分なメリットがあり、被相続人の殺害が相続権の欠格事由であることを鑑みずとも、子無くして死んだ被相続人の不動産所有権を直系尊属として入手することの強い動機にはなり難いのである。

 ツァーデク家のギゼラには先妻に対する嫉妬という動機が大きく、また成人後の継娘から報復されるという疑心暗鬼が彼女の精神状態を甚だしく蝕んでいたのだと実子スヴェンヒルダは言う。


 妻の家系に固有なのは世襲財産あいげんだけでなく、爵位などの地位も有る。これは妻の権利ユレウクソリスを以て配偶者が継承可能であり、その地位に付随する封地れへんも同様である。これに基づき現ツァーデク伯爵スヴェンフリートがその地位にあるのである。

 これは、彼の生得身分が自由領主フライヘルであり、伯爵も男爵もこの第四位のシルトに属して居たことで可能となった。


 これに対して、騎士の娘ガルフレダ・ゴドウィンソンは第四位のシルト参審自由人が生得身分であったが、婚姻成立と同時に下位のシルトに属する夫アロイス・ガンナーと同等身分となって仕舞った。歳上の夫が先に没していれば其の時点で参審自由人に戻るところであったが彼女が早逝し、地主階級の妻として墓石に刻まれた。

 同じように、前夫であるパシュコー男爵と死別した時点で男爵家の家父長権から解放されていたので、夫の長子の命令で農民と結婚させられる謂われは無かったのだが、要するに騙されたのだった。

 当時若干十八歳だか其処らであった彼女のこと、無理もあるまい。

 短足パトリスの妾にされなかっただけでも僥倖であろう。


 パトリスの行動も、まったく以て不合理でない。

 彼は父親の死後一年と一日以内に侯爵さまから『授封更新』の儀を受けなければ新たな領主と認められない。

 無敵の騎兵隊長の一人息子として、周囲の期待を背負い投げし続けていた彼には可成りの数の赤信号が既に灯っていたのである。


 この身体壮健な大女がどんな弟を産んでしまうかは、恐怖ですらあっただろう。後継者として承認されたとしても、中継ぎ膝代わりの当主として扱われまいか。

 そんな悩みが彼を過剰防衛の男にしたのに違いない。

 暗愚とは言わないが聡明とも言い難い彼としては、頑張った方である。


                ◇ ◇

 ここまで記して代官シュルツオスカー、ペンを置く。

 考えたことを定期的に書き記すのは長年続けて来た習慣だ。


 神聖語は勘弁だが、俗語の読み書きなら結構堪能である。ただ単に伯爵スヴェン寄りだから騎士筆頭なのではない。ちゃんと文武両道の才能あって副判事シュルタイスの地位に就いているのである。

 元来は裁判所の執行官に過ぎなかった職だが、色々な局面で伯爵の近くにあれば補佐官であり、遠きにあれば代官であり、法廷では右陪席。騎士未満の審理ならば裁判長も務めるスーパー副官である。


 そんな伯爵服心であるが、ギゼラ夫人の行状は詳らかには知らない。

 先代夫人や、つい先日侯爵殿に嫁がれた長女さまとは相当に険悪だったとは伝え聞いているが、自分は真相を知らない方が良いのでは無いかとさえ思っている。

 長女さまが行儀見習に高家に行って居たと云うのが嘘で、城内で幽閉されていて脱出し侯爵に保護されたとの噂まで流れている。城住みの召使いや執事たちに問い糾せば分かる事はわかるのだろうが、そんな事実があれば伯爵さまやお嬢にあんな優しい訳がない。


「噂は所詮、噂・・」


 代官シュルツオスカー・ド・ブールデル、肘掛け椅子に深くもたれて目をぢる。


続きは明晩UPします。

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