34.鼻の利く連中も憂鬱だった
ランベール城、書庫の間。
グァルディアーノ老師と鼻眼鏡のマリュス青年、『ランベール家家譜』を入念に繙いて居る。
「呆れたのう。ランベール男爵家とボーフォルス男爵家という御両家は、一体また何百年来の仇敵なんじゃ!」
「長く敵対してれば、普通どちらか滅んでるか途中で和解してるか・・普通そんな辺ですよね」
「うむ。聞いた話では仇敵同士だった南部の某大領主達も、和解して政略結婚したかと思えば仲違いして干戈を交ふるの繰り返しで、気が付いたら何時しか親戚同士『どろどろの御家騒動』になってたそうじゃわ」
「・・そういうのも、また厄介そうですが」
「血筋なんぞに拘るから戦さの火種になるんじゃ。最も優秀な部下に帝位を譲った旧帝国の名君のような度量が皆に有れば良いのにのう・・」
「あれ、愛するお稚児さんだったって裏話ありますけど」
「諸悪の根源たる異性間性交が排除できればよい」
「それ、人類滅んじゃいません?」
「なら『権力を得る代償に、愛を諦める』という鉄の掟を定めるにはどうじゃ?」
「アルプヘイムの王様じゃあるまいし。権力が有ったら女も自由にしますよ」
「権力者をみんな宦官にすれば良くないか?」
「それ、魔窟っぽくありません?」
「宮廷なんぞ何処も魔窟じゃ」
「それよりランベール家の秘密の話は?」
「そうじゃった! ・・『ランベール家家譜』。門外不出とあるぞ」
「表紙の装丁に角の有る獅子が!」
「ほれ見い。まぁ世の中、翼を持てる獅子もあるんじゃ。獅子に角くらい有っても良いではないか」
「有りましたね。ランベール家の紋章でもないのに、表紙の目立つ位置に」
「なんじゃろなぁ・・このマーク?」
◇ ◇
ノビボスコの町、宿酒場『かわます』亭の前。広場と謂うほどには広くも無いが開けた辻の一角。
「長年蟠っていた誤解が解け、遺恨も消えて慶たし慶たしで御座りまするな」
メーザー師、満面の笑み。
「でも彼、これから縛り首だよな」
「ブーさん、ほんっと身も蓋も無い!」とアリシア、少々膨れッ面。
「ですから遺恨も蟠りも雲散霧消し、心安らかに往生出来まするぞ」
「縛り首は縛り首だけどな」
ブリンの言いよう、確かに身も蓋も無い。
「現行犯逮捕でござりまするから、前科持ちゆえの人権喪失者ハインツ氏は法廷に立たされるまでも無く、市政参事の一名でも承認が有れば死刑執行が可能。そして此の場には偶々ガーバー参事が御在です」
「うぃ?」
『かわます』亭から出て来たガーバー氏、明らかに泥酔状態だが誰も気にしない。
血族でもギルドでも町や村でも、此の世界の人間は共同体の仲間に厚く余所者に冷淡い。騎士崩れの法喪失者ハインツは、町に屯ろって居ても余所者だった。
「そこで窃盗被害者な私からの提案なんすが、縛り首なんて不名誉なやつとかじゃ無くって、士分の礼を以て私が決闘するって温情裁定は何如でやんしょ? 是でもA級暗殺者の認可状持ちなんで『しょぱっ!』と痛くなく為て遣れやんすよ」
小男の騎士、にやにや笑って言う。
「旦那、つい先刻『人殺しは好きじゃない』とか曰って不かったか?」
「好きじゃ無ぇっすよ。一肌脱いでも良いって侠気だと思って呉んねぇ」
「侠気・・ねぇ」
胡散臭そうに横目で見るブリン。
何事も私的暴力で解決する未開社会の蛮習を排し、暴力装置を国家が独占せんと呻吟して幾星霜。未だまだ被害者自身の口から「俺に報復させろ!」と言われると公権力も強く出られない世相である。仇討ちは遺族の権利であり義務でもあるのが常識な世界、本事件でも被害者の発言力は大きい。
「前科持ちゆえの法喪失者は司法決闘に代理人を立てる権利が有りませぬ。一方で彼を訴える者はプロの決闘人が雇えまする。つまり、誰でも金さえ積めば出鱈目な言い掛かりを付けて訴訟を起こし、合法的に彼を殺せまする。是が身代金で死刑を免れた前科者の背負い続ける十字架でござりまする」
メーザ師、滔々と法の裏側を語る。
レベッカ、そっとレッドの袖を引く。
「あちらのお二人・・口では冷たい事を言いながら、実は何やら馬泥棒さんの命を助ける策を講じて居られませんこと?」
「先輩ニブいですよ。僕は那の人、なんか面倒を押し付けて来る気配を感じます」
押し黙っていたフィン少年も口を開く。
意を得たりと言わん可りに莞爾とするメーザー師。
「盗難被害者たる騎士ブッフォーネ殿は、ご自身で犯人を成敗なさる事も代闘者を雇うことも出来申すが、対価を求めず同じ騎士として助太刀を申し出られるならばレッドバート殿、貴殿も資格がござりまする」
「え! 俺・・? 見てた丈の野次馬なんだけど・・」
「ノルデンフォルトの騎士団に居られた頃のご朋輩で在られましたな?」
「・・・(いや俺・・仲悪かったって言わなかったっけ・・あ、特に口に出しては言ってないか)」
「若し、レッドバート・ド・ブリース殿が居合わせた騎士の知因でブッフォーネ・デル・アルテ殿の決闘代理人を買って出られるならば、市政参事ガーバー殿が決闘実施時期に就てレッドバート殿に一任なさりまする」
「え? わしが?」
と・・ガーバー氏、真っ赤な目をしてメーザー師を見る。
「ほらな! あの坊さんったら、面倒ごと嫌って兄さんに責任おっ被せて、死刑を無期限の執行猶予に減刑する腹だって」
「殺生を回避為ろうとするお坊様と謂うより、昔の騎士仲間が意趣返しに来ぬかと心配するお役人の顔に見えますわね」
みんな辛口だ。
「まぁ・・そう言うなよ。俺はこれからメーザー師に頼み事する所なんだ。それで昔の仲間が死なずに済むなら四方八方うぃんうぃんで結構じゃないか」
「毎度乍ら兄さんも・・お人の好いこった」
「まぁ前向きな『ざまぁ』で結構じゃないの?」
「アリ坊! お前も受益者なんだから、そう突き放した顔するなよ」
そう。抑々彼女の為に師と接触しに来たのである。
不図見ると馬泥棒ハインツ、なんだか潤々している。
「レッドバート・・さん・・。昔あんなに邪険に嫌がらせした俺を・・」
否ぁ、孰方かと言うとメーザー師に乗せられたんだが・・
◇ ◇
メッツァナの町、繁華街の袋広場。あちこちに小卓を囲む椅子が設えられ、気の早い連中が既う一杯飲っている。
否。気が早いと言うのは実は間違い。陽が落ちて飲食料金が灯火代ぶん相当高くなる前に早々と飲むのが通である。
そんな中に、貴族家侍女と召使が三人組で寛いでいる姿が有った。公用お使いの外出後すこし内緒で休憩といった風情。
ただ少々目立つのは、召使ふたりが亜人種であったことだ。
今は亡き旧帝国が文字どおり世界帝国であったので、異民族や亜人でも権力者に成り上がった者は少なく無かった。今の王国も、南部に行くほど亜人差別が薄い。裏を返せば、北部は濃い。
南北交流の坩堝たる此処メッツァナは如何かというと・・
・・微妙である。
いかにも食い詰め者な風体をした亜人が居れば差別主義者の好餌だろう。反対に金釦つけたお仕着せの亜人に絡む者は居ない。亜人など召し抱えるのは十中八九が南部貴族。そして南部人がどれ程血の気が多くて身内贔屓かを知らぬ者は無いからである。
否、実際に知っている訳ではなくって、風評だが。
いやいや強ち風評とも言えぬ。
三十代以上の市民には、結構な数の目撃者がいるのだ。其のむかし南に侵攻したチョーサー伯の士卒が原料の肉団子を実際目にした世代が実際いるのだ。
だんだん暖かく成って来て、天鵞絨の制服はもう暑い。ちょっと汗をかいている犬獣人は見た目ヒト族っぽく、混血だろう。猫獣人は子供くらいの背丈の直立した黒猫で、こちらは純血っぽい。
「こんな感じで日に二度三度くらい、町の空気を吸おうよ」
空気を吸うとは無論かれらの鼻と耳を使って哨戒するという意味だが、如何に彼等でも一面識も無い相手を嗅覚で探すのは無理な話なので、彼女も遠回しに言う。
とはいえ、アグリッパから来た探索者に競り勝ちたい気持ちは抑え難い。
侍女姿のラリサ・ブロッホ、一流の豪傑剣士だった祖父の血筋か、平均的な女性より少々体格が良過ぎるが、辛うじて佳い女の部類である。
だが残念なことに仲間の二人、ヒト族の女の魅力で『おねがい』しても通用する相手でなかった。
続きは明日UPします。




