258.遺言しても憂鬱だった
聖コレーナ・ダストラ堂の寺領管理事務所付近。
麦酒醸造所の裏手。
偸み呑みの酔漢が座り込んでいる。
「なんだ? 姦通罪で訴えらんねぇワケって?」
「ねぇんだよ。結婚してた証拠がどこ探しても、な」
「そりゃ訴えらんねぇわ・・独身相手じゃ姦通しようが無ぇ」
当事者主義のこの世界。訴訟は被害者が起こすのが常識だ。
被害者無かりせば、誰が何を訴えようか?
ぴんぴん生きてる者の為に敵討ちが出来ないのと同じである。
「先輩の手記にゃ鮮明りと『十九歳で前夫と死別』と書いてある。その『前夫』の遺族も『親父の後妻に収まった糞小娘』だとか言うのを何度も確と聞いたよ、是の耳で。でも証拠が無ぇ」
「おかしな話だな」
「だから俺ゃ言ったね。『ご主人の遺族さんがそう証言なさるんでしたら、婚姻の事実を法廷が認めるでしょう。遺産請求権も認めるでしょう』ってね」
「それで黙ったか」
「うんにゃ。不倫の慰謝料とる算段を相談して来たぜ」
「金の亡者か」
「んだから俺ゃ言ったのよ。『訴える権利が有るのは、亡きお父上です。お父上の遺志を確認できる何かが有りますか?』ってな」
「それで黙ったか」
「うんにゃ。『法廷で俺様が宣誓するから』とか何とかぐちゃぐちゃ言った挙句に遺書だって代物を持って来たが、日付が親父の死後だった」
「馬鹿かそいつぁ」
「そういう凡ミス指摘するたんび相談料がっぽがっぽ」
「美味しい金蔓だなぁ」
「まぁ晩年も晩年、明日も知れねぇときに書いた遺言状って言われりゃ誤字脱字も有ろうけどなぁ。公証人の立ち合いも無しで作った文書の日付が違ってちゃ、どの裁判員がモノホンと認めるっての」
「敗訴製造人かよ」
「どうよ俺は。馬鹿が馬鹿やらかすの水際で止めて、世間の平和に尽くしてんだよ聖職だろ」
「儲けてる癖に醸造所に不法侵入して偸み呑みって世故さが何とも」
「はは、浮かれ坊主やってた頃の根性が染み付いてな」
◇ ◇
コリンナ代官所。
当番兵が来客を告げる。
「『マダム・サイキックの使い』と仰って居ります」
「なんだか凄い名前の人の使者だな」
来た人の見た目も凄かった。物語にいう『北海を漂う巨大な氷塊』が歩いて来た夫の如くであると思うお代官オスカー。
参審人ザンドブルグなど硬直している。
「『債鬼協会』のアンジュボルジュと申します。アンジュでいいわ」
「お・・おう」
「よく来て下さった。(・・ざーさん早く、正気に戻ってくれ!)」
「お姉さま、同郷のかたですのね! お会い出来て嬉しいわ」
ガリーナだけが平常運転している。
ハグされた彼女を見て、誰もが氷山に衝突した北海人の大型海賊船を幻視するが沈没事故は起こらなかった。
「ガメル・パシュコーが問題を起こした当時の副担当よ。経緯もよく存じてます。パシュコー家のアウトソーシングで書記兼会計をしているのは、聖コレーナ寺院の助修士心得オッファのアベラルドという男です。当時の出納帳を控えた写しも未だ保管してあるわ」
「当時、特徴ある不審な金の流れは無かったですか?」
「当然ありましたとも。オックルウィックのアロイス名義で十二年間にわたり毎年三千グルデンの入金があり、アグリッパの投資事業組合に預託されております」
「それでは、ガメル・パシュコーの負債は?」
「他から回収しました。二十一年間取崩し不可という預託契約でしたもので」
「では、資産の評価額は・・?」
「昨年度末で七万グルデンには達しておりますかと」
「な・・七万!」
「最近、町の投資事業組合が再編されまして、現在は極めて強力な商会が仕切っております。満期償還時が期待されます」
◇ ◇
聖コレーナ堂麦酒醸造所の裏手。
「アベラルド! オッファのアベラルドって、あなた!?」
「おう、俺だが。なにか?」
「あなたがパシュコー家のお雇い財務官ね?」
「そんな肩書きゃ知らんが、あそこの金銭出納帳は、俺がチェックしてた。連中の金遣いの悪さは俺ゃ関係ないぞ。あとから帳面つけてた限だから」
「あんた、アロイス・ガンターから金受け取ってたでしょ!」
「ああ。受け取って入金の帳簿につけて、アグリッパの投資事業組合に渡して出金伝票書いたな。それがどうした?」
「法廷で証言する?」
「召喚されたらな。帳簿につけたとおり事実を証言するぞ。それがどうした?」
隣りで『にたにた』しているグレッグに・・
「なぁ・・あれが、お前お気に入りの尻か?」
「良さそうだろ。でも女だ」
「エッ!」
ショック受けるオッファのアベラルド。なんか不愉快になるアナ・トゥーリア。
「あんたっ、アロイス・ガンターの奴が妻名義の土地をちびちび切り売りしてたの知ってるでしょ」
「ああ、何となく知ってるが、夫婦の問題は他人にゃ一寸口出し出来ねぇな」
「夫だからって、妻の財産勝手に売っちゃ駄目でしょ!」
「『勝手に』かどうか、なんて隣り町に住む赤の他人にゃ分からん。後見人として為る事なら違法じゃないんじゃないか? 知らんけど」
「勝手に売っちゃった代金を受け取ったんでしょ?」
「だから『勝手に』かどうか、なんて知らん。どうやって作った金かも、知らん。俺がパシュコー邸にいる時、アロイスが『借金の返済だ』と言って持って来た金を受取って、パシュコーの金庫に入れた。相殺できる貸し金の記帳とか無かったから預かり金で記帳しといた。それだけだな」
「おかしいでしょ!」
「オカシイデスネー。誰か訴訟起こしたら証言するよ。オカシイデスネー」
「あんたって、いい加減なひとね」
「ああ、醸造蔵のいい加減な合鍵つくって扉こじ開けて、酒ぇ偸み呑みしてる様ないい加減野郎だな。いい加減野郎だから、妻が夫の『借金助けよう』としてるとか考えないし、夫がパシュコーに『借りてもいない金』取り立てられてんじゃねぇかとも考えないぜ」
「うー」
「仕方ないですよ。ガルフレダ・ゴドウィンソンがアロイス・ガンターとの再婚を強要されて断れなかった時点で、もう一本取られてるんです」
ジロラモ書記官が追い付いてきて、アナを慰める。
「結局、できる事ぁ出来て、できねぇ事ぁ出来ねぇのさ。ちょろっとヤっちまった先輩凄ぇぜ」
◇ ◇
コリンナ代官所。
「それでアンジェ女史、パシュコー元男爵家は絶家となり、相続人がおらんのだ。アグリッパの投資事業組合に預託されている巨額の資産は、どうなる?」
「あーら『アンジェ』で良いって言ってるのに。組合に積立てられた資金の原資はガルフレダ・ゴドウィンソンの受領した『寡婦年金』ですわ。そしてガルフレダ・ゴドウィンソンの相続人なら健在よ」
「その『寡婦年金』はガルフレダの夫アロイスが持ち出してパシュコー家に渡して居たのでは?」
漸く硬直の解けた参審人ザンドブルグが口を開く。
「うふふふ。お考え下さいませ。なぜ『二十一年間取崩し不可という預託契約』に成っているかを。二十一年後に何があります?」
「左様いう事か。ガリーナ嬢の成人か」
ルドルフ中尉の言葉に、一同ハッとする。
「中尉さん御明察」
アンジェ女史、ガリーナの背後から両肩に手を掛けて前に押す。
「先代パシュコー男爵は死の床でガルフレダ夫人の懐妊を知り、傍の忠僕に密かに命じたのよ。ひとつは『金色の髪と燻んだ青い目という、二人の特徴を兼ね備えた娘が生まれたら子として認知する』と読める首飾りの発注。二つ目は、アグリッパ随一の『奪回屋』への発注。もし『寡婦年金』が奪われる事あらば・・」
「ふ・・。男爵家の歳入の三割近い巨額『年金』も、夫人の子孫に家督を譲らない代償としては決して大き過ぎなかったんだろうがな、彼にとっては」
薄ら笑う中尉『息子がそれを必ず狙って来るであろう事も読み筋』とまでは口に出さなかった。
続きは明晩UPします。




