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256.醸造所で出来たて飲んでも憂鬱だった

 コリンナ代官所。

『トルンカ司祭』語る。


「当地は、嘗てアグリッパの大司教えるつびしょふに帰依する自由領主ふらいへるの割拠する地域でしたがやがて東方の異教徒と対峙する門徒衆らが東マルクとして組織化されて行きました」


 マルクとは、文字どおり目印マークの意味から転じて、目印で区画された境界のこと。更にその境界エリアの意となった。開拓村群の周りに拡がる入会地のことだったり異民族の地との緩衝地域=辺境の事だったりする。

 後者の意味で辺境マルクを軍事的並びに法的に総括する領主が辺境伯マルクグラフ或いは侯爵マルキオなどと呼ばれ、伯爵グラフより一段上の上級主君として封建されて行ったのだ。


「東方騎士団が異教徒の侵入を断ち切った後になると、かに騎士団領と接壌するツァーデク伯と比べて、ヨードル川という自然国境に護られた故パシュコー男爵の気の緩みが駄目駄目ですねぇ。同じ東マルク、同じスールト侯の封臣でも、斯くも差がついて仕舞いました」


 なんかお代官シュルツよいしょがわざとらしいと思うアナ・トゥーリア。


「然り、侯爵夫人がツァーデク伯領への統合を建議なさったのもむべなる哉」

 代官『我が意を得たり』という顔だが、『身贔屓じゃん』とアナは白ける。


 まぁ伯爵家の泥沼的血縁関係を知らぬ彼女であるから、侯爵夫人の決断の重みも知らぬのは仕方ない。

 彼女にしてみれば寧ろ、自ら解明に関与した故パシュコー男爵パトリスの性根の腐り具合が強烈で、彼が疑心暗鬼した廃嫡の恐怖や短足コンプレックスなど同情の余地を生むどころか、嫌悪感の亢進に役立った。

 それが仕事のモラール向上に繋がっている辺り、良い具合に仕事人間である。


「それでは『債鬼協会』からの接触を待ちつつも、私たちは妙に口が固いと感じた聖コレーナの直営地に再度アタックして見ましょう。ジロラモ書記官、何如?」

 ディジのご亭主頼りだが、今回はあちらご夫婦一緒だから妙な心配も要らない。

 世の中、不倫疑惑ほど怖いもの無いからなぁ・・と、捨てて来た故郷をちょっと思い出すが、首を振って忘却の彼方に推し遣ると、仲間に出発を促すのだった。


 見送るお代官シュルツ、続いて『司祭』の方に目を向ける。

「私としては、濁り水対策で上流の水門を開けた旨の連絡を予め入れて置いたのに無視して、河川敷にキャンプしていた高原州難民を意図的に殺そうとした不作為の罪が許せないんですけどね。いや実際、逃げ遅れた十数人も、うちが殺したことに成っちゃったし」


「確かに人道に悖る行為で許せませんが、世俗法の保護を受けない流民のことゆえ領主への懲罰に結びつけ難いです。災害発生の連絡を入れていたツァーデク伯側が不快なのは当然ですが、悪徳領主にはう天罰が下っています」

「それはそうですね」

「東方植民の勧誘に来ていた騎士団との衝突にも繋がる要素で、あちら方にばかり有利に働く気もします」

「それもそうです」


「爵位剥奪の理由を残しておくという意味では『寡婦年金』の詐取を暴くのが最も効果的でしょう。搾取された騎士家に恩恵を施すツァーデク家も、然るべき忠勤を得られましょう」

「司祭さま・・クールですね」


「人間、深い森の中でお猿と暮らすか隠者にでもなって引き籠らぬ限り、個人では生きていけないのです。人は共同体で暮らしますから。そして共同体の数だけれひとが有るのです」

 それでは国家は困るので、少なくとも血の出る刑罰ぶるうとばんを宣告できる裁判官を限定し法を共通化した。換言すれば、法による保護を受けられる人の範囲は上から順番に決まって来て、ようやく自由人をカヴァーしたのである。


「他人の財産とされている人々もまた『財産権の侵害を罰する』という方便を以て不法な略取や殺害から保護されています。法に携わる人が誰もみな、社会におけるあらゆる不自由は、後天的な『強制』と『暴力』に起因する不公正な習慣だと実は知っているからです。ノアが船から降りたとき、何処に奴隷が居たでしょう」

「崇高なお話しです」

「残念ながら、崩壊した共同体を出てきた流民を保護する法が存在していません。彼らは罪を犯して追放されて来たのでは無いにも関わらず、です。暴動を起こした村民たちの世襲的利権を停止し、流民たちを村落共同体に受容する貴官の政策こそ崇高ですよ」

「身に余るお言葉を・・」

「東方植民に売られちゃう暴動犯遺族は、可哀想ではありますが」


「・・(それ、言わんで欲しかった)」


「ほら、オスカー。せ、窃盗罪で処刑されるより幸せさ。きっと」

 参審人シェッペンザンドブルグ、懸命にフォローする。


                ◇ ◇

 聖コレーナ・ダストラ堂に向かうアナの一行は、チーム仲間のディジとその夫君ジロラモ書記。ディジの色気に負けて還俗した元聖職者だが、アグリッパ大聖堂の外郭的な宗教施設には十分効く肩書き持ちである。

 なにせ大聖堂に短期出向中の市庁書記官シュライバなのである。

 お蔭でグレッグすっかり要らん子で、昼間というのに隠し持った酒を驢馬の背に揺られつつ、ちびちびっている。

 彼ら、もと本物の助祭という点は同じだが、かたや一応円満に還俗した好青年。かたや問題起こして放逐された胡散臭さマックスの中年男である。


「どの寺院でも、読み書き計算の出来る僧俗が貴族家で書記会計のバイトするのはくあることだし、寺院側としても有難い収入です。そのぶん他の者が信仰生活に集中出来ますからね」

「つまり、経営の才能がある坊さんとか、最初から実務担当で支援に来てる信徒にアタリを付ければ良いのね?」

「そう。僕みたいに君と一緒になりたくて落伍しちゃった聖職者でも十分役に立つ職場があるんだ」

「はいはい、いちゃ付かないで生殖者さん達! 昨夜十分役に立ってたでしょ」


 アナ本人は奥手だが、実は覗きは常習者に近い。

 本職も探偵稼業だし。

 浮気調査で報告が克明すぎ某クライアントの不興を買ったが、結果的には彼女のお蔭で勝訴した筈である。

 感謝されなかったが。


 聖コレーナ堂が見えて来る。


                ◇ ◇

 コリンナ代官所にアグリッパから訪ねて来た男。


「探索者ギルドの『買戻し』屋ヨナスと申します」

「彼は、奪われた物を力づくで奪還するんではなく、金を払ってでも取り戻したい時に役に立つ、腕のいい交渉屋ネゴシエータだ。今回は彼の得意分野とは少し違うんだが、何か心当たりが有るということで依頼した」

 ルドルフ中尉の信用を得ている者のようだ。


「随分と昔の事なので、件の細工物を作った職人は他界しておりましたが、思う所有ってか注文書が公証人に預けてありました。令状があれば引渡すとのことです。これが私の控えて来た注文書の写しですが、字体までは真似ておりません。お役に立ちますでしょうか」

「立つ立つ! 立ちまくりだとも!」

 確たる証拠は、例の安物ブレスレットの出所裏付けだけでない。


「凄いな。これが僅か翌日の成果か」お代官シュルツ溜め息である。

「運もあろうが、注文自体が特異であった事、如何にも相続絡みの事案なことなど有利な条件も揃っていた。この日付にて実子認知に係る時間の流れが遂に明らかになったのである」

「盤石ですな」

「あの女子たち、雑多な情報の中で肝腎の勘所を押さえる天性のもの有りと見た。細部をその道の専門に深掘りさせれば百戦百勝」


 そんな人材のいるアグリッパという町が凄い・・と思う代官シュルツであった。


                ◇ ◇

 聖コレーナ堂。

 一行の中に酔っ払いが約一名いる。


「これじゃ聞き込みに連れて行けないわね」

「大丈夫だ。素面でも胡散臭くて連れてけねぇだろ?」

 なにが大丈夫やら。


「仕方ないわね。私たちで行って来るから、問題起こさずに待っててね」

「だから大丈夫だ。この前も外で待ってたろ?」

「はいはい」

 アナたち、グレッグを残して役所の方へ行く」

「んじゃ、俺も前回どおり・・」

 醸造所のほうに忍び込む。


 顔の真っ赤な先客がいた。



続きは明晩UPします。

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