33.零落騎士共は憂鬱だった
ノビボスコの町、宿酒場『かわます』亭の前に人集り。
「レッドバート・ド・ブリース、こんな時こんな場面で再会しようとはな・・」
縛められた馬泥棒、憎々しげにレッドを見上げる。
「存分に嗤うがいいさ」
「・・・(誰だっけ?)」
いや、顔は覚えて居るのだ。・・名前、なんだっけ?
夢に現れるほど親しい仲だったヨーゼフ・フォン・カーランの名も失念していたレッドである。恍けている訳ではない。矢張り、騎士団を追放された那の頃の事を無意識に忘れたがって居るのだろう。
「零落者よと人前に顔も素性をも曝け出されるよりは、一層名も無い無法者として吊される方が勝だったぜ。『ざまぁ見ろ』と言いたいか?」
「んなら私が騎士同士として決闘して、ズンばらりんと幕引きましょか?」
横から小男の騎士が口を出す。
「否ぁ・・勝ってぇのは希望じゃないんだけどな」
慌てて前言撤回する馬泥棒。
「左様左様! 人間素直が一番で御座りまする」
メーザー師、そこ笑うところでない。
「拙者は、ハインツ・フォン・クンツェルドルフ。そこのお偉いお旗本様と嘗ては轡を並べた騎士だったぜ」
「あらら、身元不明で縊死体んなる方が一層愈だって言ってたのに、素性を自分で言っちゃった」
「叱イッ! ブーさん其れ言ったら身も蓋も無いから」
アリシア制止するも結構声が響いて了う。
「騎士・・『だった』・・か」
レッド小さく呟く。
「如何してそんな態に・・?」
「態ぁ充分ご覧ぜろだぜ。ヨーゼフの奴がド・ブラーク男爵のご推挙を賜ってカンタルヴァン伯爵家に祗候すると聞き、妬み嫉んだ挙げ句の悪口雑言、売り言葉がお買い上げ有難う御座います・・だ。決闘と相成っちまったのよ」
「あいつチャラチャラしてるけど強いんだぞ」
「知ってるよ。思い知ったからな」
「それで金拍車と惜別か・・」
「士分から零れ落ちた」
「そりゃ亦たお優しい決闘相手さんだね。命賭けて闘うんだぜ。負けて死ななきゃ人権剥奪のうえ所払いで流民落ちが普通じゃねぇの」
「平民落ちで許して呉れた」
「平民『落ち』って・・、俺ら騎士って元々平民じゃないか」
まぁ王侯貴族だって騎馬武者は騎士だから一概に言えないし、身分社会とて左右彼方此ッ地に越えられない壁がある訳でなく、結構曖昧なグラデーションが多いのである。
騎士になれる家系というのは一応は最上級の平民という区分になる。だが、その騎士の最上層であるお旗本は戦場では己が家紋の旗印を掲げ一門を率いて闘うので貴族である自由領主達と実態はそう変わらない。事実、地域によってはお旗本とも言って殿様扱いだ。旗本という言葉自体が男爵と同じ語源とも考えられている。
「なぁ俺たちって領地持ちな親父と違って、騎士団で叙任を受けた『なんちゃって騎士』だぜ。もろ平民なのと違うか?」
ここでいう騎士団とは、修道騎士団を真似て諸侯が創建した世俗騎士団のこと。嘗ては自由人戦士の食客を傭兵の如き者として召し抱えていた大貴族たち。今では世俗騎士団のパトロンになるのが流行りだ。事実上は小領主であるところの騎士を家臣として多数封建するよりも、城館で共同生活を送る騎士団員を養う方が遥かに安上がりであるから。
「お前には解らないんだよレッドバート・ド・ブリース。家来衆をぞろぞろ連れて大名行列してる殿様にはなぁ」
馬泥棒の零落騎士、更に怨みがましい口調。
「俺ら貴族の家に生まれて跡取り兄貴のスペアとして育ち、兄貴が爵位を継いだら臣籍に降りる交換用部品。兄貴に子供が出来ちまえば家督継承順位はジャリの次。落ちていくだけだ。喩え『なんちゃって騎士』であろうとも手に入れた金の拍車を心の支えに生きて何故悪い」
「いや・・悪くないが」
「悪くないけど格好悪い」
「ブーさん! 優しくしてやろうよ。これから死んでいく人なんだからさー」
アリシアも優しくないが、ブリンも何時に無く辛口だ。
むかし分割相続の風習がある部族が天下を取りかけた事があった。
だが、其の国・・新たな領土を次々と征服している間は良かったのだが、進撃が止まった瞬間に崩壊が始まった。貴族たちが息子全員に領地を分け与えていたので結局国じゅうが貧乏な小領主ばかりになったのである。
国も分裂し、そして消滅した。
その王朝の名も忘れられ、ただ『タワケの国』と語り伝えられている。
今はどの領邦も・・そう王国も侯国も皆な、嗣子以外は臣籍に降りて家格を一段下げる。諸侯を嗣ぐ継体の君以外は自由領主階級に、自由領主たちも継嗣のほかは参審自由人階級に、つまり『頑張れば騎士になれる』階級まで自然に普通に落ちて行くのだ。
その先は?
下手を打つと『超人的な努力をしないと騎士には戻れない』階級に落ちる。
では、馬泥棒の零落騎士は?
それは死刑だ。
「だってせっかく平民落ちで済んだのに、心の支えが無うなって今う一堕落したんだろ? 違うか?」
ブリンの指摘、図星だったようで零落騎士ハインツが目を逸らす。
「態ぁ見やがれと嗤って可いぜ。全ては身から出た錆びだ」
「なぁ、言っとくけど・・俺の是の格好はヨーゼフが貸してくれた変装セットだ。俺は北海州の田舎町で自由市民やってて冒険者稼業さ。こいつらは家臣じゃなくて仲間だ」
「え! お前・・親と兄貴らが揃って戦死したんで、男爵家を継ぐから退団したんじゃなかったのか?」
「親父と兄貴たちが死んだのは本当だが、領地は押領られて男爵家も消滅してた。俺はド・ブラーク男爵の口利きで自由人として冒険者ギルドに入れて貰って日銭を稼いでる身分さ」
ド・ブラーク男爵というのは、騎士団に経営体質改善の苛烈なる勧告をしに来た郡の監察官だが、個人的には実に面倒見のいい人だった。彼のお蔭でレッドの今が在ると言ってもいい大恩人である。聞けばヨーゼフことカーラン卿も世話になった模様だ。
「なんてこった・・俺ゃ貴様が国許に帰って爵位を継ぐって聞いたから妬み嫉みで真っ黒になって、滅ッ茶苦ッ茶罵ったってのに、ガセだったのかよ」
「ああ、無能駄目騎士って随分と言われ捲ったっけなぁ・・紛う方なき事実だから受け容れるけどさ」
「思えば、あれが俺の転落の始まりだったか・・」
騎士崩れの馬泥、がっくりと膝から崩れ落ちる。
◇ ◇
大河モーザを見下ろす丘の上に聳えるランベール城。
何やら思い當ったのか、突如礑と膝を拍ったグァルディアーノ師、慌てて部屋を飛び出し、吹き抜け丸天井の穹窿を見上げる。
「見てみよマリュス君!」
師、天井を指差す。
「十二宮のフレスコ画だ。見てみよ、マリュス君! 射手座の天文記号にⅫと書き添えられているのが見えるかね? これが冬至点の方位だ。そしてあれが春分点の在る魚座。サギタリウスを十二月、ピスケスを春三月とすれば、『Ⅷ・Ⅰ・Ⅲ』はレオ・カプリコン・ピスケス。獅子を指す鋭角の二等辺三角形が出来る」
「それが『獅子の角』だと?」
「『角」は『ツノ』ではなく『三角』の『角』なのだ!」
「謎の言葉『獅子の角、Ⅷ,Ⅰ,Ⅲ』とは獅子座の『角』の方向・・?」
「ちょうど・・書庫の間があるのう・・」
「師、行ってみましょう」
◇ ◇
二人、書庫の間に入る。
なかなかの惨状。
「隠し金庫でも無いか漁ったんでしょうか・・」
「落城の際に強奪を禁じたとはえ所詮は足軽共じゃ。値の張りそうな小間物は漁り尽くしたじゃろ。嵩張る書籍などは持って行けなんだと見ゆる」
「いや・・稀覯本は結構な金になるという知識も無かったのでしょう」
「師・・那裡に・・」
「書棚にも十二宮の天文記号か・・。ふむ、ランベール家には教養人が居った模様だが『角』を『場所』の意味に使うのは、そんな昔の世代でもない・・か」
獅子座の書棚に残っている。
「ランベール家家譜・・か」




