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244.初夜も気になって憂鬱だった

 アグリッパの町、深夜。

 ふた世代前の擾乱の時『戦場の剛剣』と呼ばれた男が、いま若い恐るべき強豪と肉弾相撃つ接戦を演じている頃、酒亭でほっこり酔っている聖職者がいた。


「あら、『オラショ伯父さん』・・、『ヒルダお嬢さん』轟沈してますね」

 執事アントン戻って来る。

 執事仲間のヘンドリクが常連の不良老人二人に玩弄物おもちゃにされ始めたので、っと無慈悲に捨てて逃げて来たようだ。


「まぁ、だいぶ溜まった物が有ったみたいだね」

「悲しい話だったようですね」

「いろんな不幸が重なり合うと、いちばん底におどんだおり)の毒性が強くなるもんだよ。もう大量の水で流れたみたいだけど」

「なら、いいですけど」


「この子のお母さんも、元凶のようで元凶じゃない。澱の毒が最も濃く淀んだ所に居ただけさ。自責の念を外へ攻撃性に振り替えて発散しちゃうタイプって、身近に居られると迷惑だけど、もう故人だしね」


「解決したんですか」

「ま、君だから良いか・・。むかし事情あって恋人に結婚して貰えなかった女性が嫉妬に狂って、恋人の若い奥さんと新生児こどもを殺しちゃったって話。・・飽くまでも証拠のない疑いだけどね。強い強い疑い」

「ふたりも・・」

「まぁ、産後の衰弱した母体と嬰児だ。ちょっと意地悪しただけで死んじゃったのかも知らん。真相はもう誰も知らん。けど、誰もが悪意だと疑ったとさ。自分より若くて美しいお金持ちの娘が、恋人だった男の家督を継ぐ男子を産んだんだもの」


「女って怖いですね」

「君も気をつけなさいよ。相当モテてるみたいじゃないか」

「僕が?」

「刺されるなよ」

「怖いこと言わないで下さい」


「ここ、重要なポイントなんだが、若い奥さん最初に女の子を産んでる。その時は我慢してた。次に自分も女の子を産んだ。だが、爆発したのは若奥さんが跡取りを産んだ時なのですよ。姉→妹→弟でドン!」

「捨てた女を孕ませたんですか。孕ませた女を捨てるより悪質じゃありません?」


「まぁ、それもイロイロあるんだよ。周囲から『男の子つくれ』攻撃がもの凄くて『お前が女々しいから女が生まれる』とか、針の筵の入婿地獄だったとか。それで自分に何か問題があるのかと悩んだ挙句、昔の女に相談したら・・」

「う・・誰が悪いか分からんですね」


「この辺り大河の下流で、水捌けの悪い沼地とかあるよね。水の濁りが酷くなってどぶ溜めみたいんなって蝦蟇しか棲まなくなるとか」

「まさか、その捨てられた女の人が蝦蟇みたいな顔とか・・」

ちゃうちゃう。水の濁りがだんだん酷くなると、沼に棲んでる魚もだんだん減ると思うでしょ。違うのですよ。汚いの限界を超えたとき、魚たちは突然みんな揃って死ぬんです」

「はぁ、つまり溜まり溜まって或る日突然爆発したと」


「仮にその女性の名をステラと呼びましょう。彼女もきっと突然爆発したんです。無計画にね。産褥で弱っている奥さんの容体が急に悪化するような何かを衝動的にやらかしたんだと思います」

「そうですね。やってステラさん何の得も無いですものね」


「そこで、彼女を捨てた元恋人、仮に名をオットーと呼びましょう・・」

「なんて安直な!」

「・・オットーさん、何をしたと思います? ステラと再婚したんです」

「な、何しちゃってんですオットーさん」


「妻を亡くしたから仕方なく次・・ではなく、ステラを守る唯一の手段だと、彼は思ったんです。やっと授かった待望の男児を殺した犯人などと結婚する筈がない。無実と信ずべき確証があるのだ! と、世論は確かにそう傾きました」

「なるほど」

もう一つ有ります。一門の有力者たちは、残るたった一人の娘、宗家の血筋を引く一粒種の長女が迎えるであろう婿に望みを掛け、入婿オットーにはもう世継ぎなど要求しなくなりました」


「じゃ、お嬢さんはふり・・」

「嫌だなぁ、アントンくんたら。これはオットーとステラの娘の話ですよ。ここで寝てるお嬢さんとは別人別人」

「はいはい」


「しかし姉のほう、どこか旧家の君侯プリンツのところでお嫁入りを前提に行儀見習という噂だったのに全く騙されましたよ。残飯食わせて下女させてたなんて」

「やっぱり彼女の話じゃないですかぁ!」


                ◇ ◇

 因みに、下男下女が残飯食うのは当たり前である。問題なのは、身分差別でなく衛生観念の欠如だ。

 食事を半分食べて残りを後で本人が食うことが、自分自身を差別していないのは言うまでもなかろうから。


                ◇ ◇

 同じ店内。


「んだから言ったじゃろ」と、小柄な老人。

「ええ、だから大店おおだな旦那だんさんと息子ふたり、流行はやり病でぽっくり逝っちゃったんでしょ?」

 間に挟まれたヘンドリク、受け答えのたび右を向いたり左を向いたり忙しい。


「そうだ。逝っちまった」

 大柄の初老の男が続ける。

「息子ふたり、どっちも独りもんだ」

「居ないんですか、従兄弟とか姪っ子とか」

「旦那には、逃げた女房がおるけれど、慰謝料たんまり払って縁切り済みじゃわ。亭主有責でな」


「縁切りって、どうやって!」

「尼寺に駈込んだわ」

「女にゃ最後はソレが出来るんですね」

「後の半生ずうっと経読んで暮らす気んなりゃな」

 本当は教会側の特段の配慮で一般市民として暮らしているが、機密事項である。


「不公平じゃないぞ。男にだって出来るさ」

「山寺で坊主の修行は嫌ですよ」ヘンドリク左右振り向いて忙しい。

「かみさんが浮気すりゃ出来るじゃねぇか」

「寝取られ亭主んなるのも御免です。あれ、再婚できないでしょ・・ってか俺って独身だし」

「んなら別れる心配すんなよ。そもそも嫁の来手あるか知らんし」

「俺だって、いい仲の女のひとりやふたり、は居ないか」


 この世界、持参金相場がなぜか高騰したので、独身率がやたら高い。平民ならば事実婚でも気にしないが、貴族の次男以下は悲惨である。それで更に、逆らえない身分の娘に悲惨が飛び火する。いろいろと悪循環が多い憂き世である。


「もひとつ、掟破りの荒技があるんじゃ。平然と再婚もできる」

「なんですか、それ!」

「系図の偽造よ。『よく調べたら生き別れの妹でした。どうか、この結婚最初から無かった事にして下さい』ってやるのよ」

 離婚でなく婚姻無効の訴えだが。

「荒技すぎますよ」

「文字どおり掟破りだわなあ」

 しかし実際やってる奴もいる。世に外道どもの種は尽きまじ。

 十八歳で嫁いだ新妻が翌朝に離縁宣言受けて、持参金全額取られたうえ二十年間幽閉された事件もある。夫が臨終の床で謝罪したというが、謝られても始まらん。


「それより、旦那も息子も死んじゃったお店、どうなったんです?」

「正統な相続人が無けりゃ身代そっくり死亡税だ。市民共同体がそっくり頂戴して市民のために使わせて貰うぜ」

 役人みたいなこと言うこの酩酊老人、ほんとに高級役人であるが今は内緒。


「それが旦那ら三人の葬式で大童おおわらわんときに、番頭の娘が『本当は、あたし大旦那の忘れ形見なんです。あれもこれも、あたしのもんよ』と喚いとる、ってぇわけよ」

「番頭、なんて言ってんです?」

け爺さんで今朝食った飯も覚えとらんとさ」

「その女房は?」

「墓ん中」


「それで、一体どうなったんです?」

「どうも何も、これから訴訟の準備だろ。その娘が何を『証拠だぁ!』って言って持って来るか、これからのお楽しみよ」

「何すかぁ、その『以下次号』みたいなオチ」

「まぢ、此れからなんだから仕方無かべい」


 クルツ局長、市内の話の如く翻案して酒場の噂話にしている。対岸の火事だから気楽なもんである。

 農村部だと、こういう身分確定訴訟は敗訴確定した時のペナルティが、自由民の最下層まで格下げ処分だから相当痛い筈。つまり訴えるなら相当本気で来ると言うことだ。


 局長の火事は向こう岸かも知れないが、向こう岸に部下を派遣したマックスには彼らが下手して現地の紛争に巻き込まれやしないか些か気になる所だ。


 誰か様子見に行かすか・・



続きは明晩UPします。

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