242.知ってる人いて憂鬱だった
ヘスラー領オプツァイ、日没直前。
川舟の湊と浮き橋の交差点。時間待ちの人々で賑わう小さな町だ。
藩兵の駐屯所も有る。
南から浮き橋を渡って来た騎兵の一団あり。
鞍の後輪に立てたツァーデクの連隊旗を見たヘスラーの衛兵が敬礼する。
上官が儀礼的な名乗りを交わす後ろで、騎兵が小声で私語。
「さすが侯爵家の執事さん。ちゃんと話が通ってるよ」
いや・・この場合は、酔っ払っていても部下への指示を忘れなかった伯爵さまを讃えるべきだろう。
下馬した一同、下士官宿舎に案内される。
◇ ◇
アグリッパ下町、『川端』亭。
「『オラショ伯父さん』、こちら『ヒルダお嬢さん』です」とアントン。
「先刻は慌ただしくてね。碌に挨拶もしなくて御免ね」
にこやかに『伯父さん』が挨拶。
「ヒルダです。どうもです」
固くなっている。
「それじゃ、僕らはあっちで飲んでますね」
アントンに促されたヘンドリクも、ぺこぺこ頭を下げて辞す。
「いや・・都会って何処に偉い人がお忍びで御在か分かんないから、今後は礼節を大事にします。肝に銘じて」
意味わからないアントン、曖昧に笑いながら偶然また常連の飲んだくれ爺さんの隣りに座って了ったりする。
◇ ◇
「『ヒルダお嬢さん』、この度は色々あったみたいだけど、あちこち丸く収まって良かったですね。いや、ご不幸も有ったか。気が働かんで済みません」
「私も修道院の門を叩こうかって迷ったりも・・しました」
本当である。断ったあと結構悩んだ。
「あら、可愛いお嬢さん! おぢさんばっかりの店で御免なさい」
看板娘のリュクリー、陶器のジョッキを一つ置いて行く。
「アッ」
ヒルダ、何を思ったか意を結した面持ちで、一気に飲み干して了う。
変装司祭さま、止める暇も無い。
「うぉっぷ」
全然お嬢さまらしくない。平素からだが。
「本当は懺悔に行くべきなんですけど・・」
語り始める。
◇ ◇
聖コレーナ・ダストラ堂、慈善宿。
運よく、或いは調子よく巡礼者家族部屋を占拠した三人。
「やっぱりガリーナは、村長夫妻の子として出生を記録されてる。一体どうやって『自分は男爵のご落胤だ』って証を立てる気なんだろ?」
アナ、訝しむ。
膝を抱えて座る彼女をグレッグが凝と視ている。
「おめ、なんか出てるぞ」
「は?」
この時代のずぼんは社会の窓全開なので小物入れの袋を垂らして前を隠す。よく注意しないとポロリする。
「わわっ」
「大丈夫。俺しか見てねぇ。友達のダンナに見せねぇで良かったな。誘惑したって怒られっぞ」
「なっ、何が見えてた?」
グレッグ、彼らしくも無く気を遣って話を変える。
「しっかし野郎もケツの穴が小せえな・・てか、小せえのは好きだけどよ。どうせ相続は長男が総取りって決まってんだろうに、なんで最初っから親父の再婚とかを無かったことにすんだ? する必要無ぇじゃねぇか」
「ううん、やはり父親が亡くなった途端にその愛人が騒ぎ出して、子供が出来てたとか何だとか始めたので、村長に押し付けた・・と見るのが自然ですねえ」
書記官ジロラモ氏も『実は結婚なんかしてなかった』説を推す。
しかし続ける。
「でも農村には、同じ自由人の間にも幾つもの身分の違いが有って、私ら市民には理解しにくい部分があるようにも思えるんです」
騎士になれる資格を満たす参審自由人は貴族の一歩手前、地主階級がその次だ。そして土地を持たぬ無産自由人が隷属農民のちょっと上。地主階級にも大中小とか所有地サイズの別が有ったりもする。
「俺たち、ひとやま当てても金持ち市民、破産しても宿無し市民だもんなぁ」
「そうね。メイドしてても男爵の娘とか居たり」
「そりゃ破産したやつだろ」
「田舎じゃ・・なんと仰ったかなガリーナさんのお母上。してるなら結婚期間中は男爵夫人で、夫君が逝って三十日の法要が過ぎたら二階級ダウンの地主階級です。彼女を嫌っていて傷付けたい人ならば、もともと婚姻の事実が無かったかのように証拠隠滅とかの嫌がらせをするかも知れない」
「動機として十分ありうるわね」
「ひとは損得の勘定よりも感情で動く、か。言えてらぁ」
◇ ◇
アグリッパ、『川端』亭。
ヒルダ、語る。
「幼い頃から、私の母がなにか罪を犯したひとだ、ということは何となく気づいていました」
「それは何故ですか?」
「昼間には突然ふさぎ込むことが多くって、夜もよくうわ言を言ってはうなされて居ましたから。何か言い訳をするような様子に見えました。でも多分、反省はして居なかったと思います。聞き取りは出来なかったけど、いつも相手に言い返しては『詰り罵る』口調だったからです」
「相手の方が悪いのだと言って?」
「はい。でも母は家族を愛して尽くす人でしたから、母が何か罪を犯したのならばそれは私のためなのだと感じて居ました」
「あなたは、それを自分の罪のように感じたのですね」
「はい」
しばし躊躇のあと・・
「父が結婚を控えてあと僅かという時に、祖父のしでかした不行跡のせいで御家が傾き、父は御家を支えるために偉いおかたのお嬢さまとの縁談を選んだのでした。母も納得して身を引いたのです」
「引いちゃったんですね」
「そのお嬢様は、それはもう美貌のかただったそうで、すぐに姉が生まれました。ご存知のとおり美しいひとです」
「ええ。生きる気力すら枯れてた侯爵さまが生き返っちゃうくらい」
「美貌のお嬢さまが若くしてお亡くなりになったあと、母は薹のたった後妻としてカムバックしました」
「引いたと思ったら頑張って押し返しちゃったんですね」
「私は、身を引いた母が傷心のあまり意にそまぬ結婚をして生まれた子・・という事になってます・・ひっく。お気づきですよね」
「ええ。あなたは伯爵の実の娘さんです。私は昔お父上の懺悔を聴いた司祭です。お互い顔は知りませんが」
「ご存知だったんでうね・・ひっく」
「さっきの一気飲みが効いて来ちゃいましたね。いっそのこと、もっと飲んじゃいましょうか」
「・・が、姉が美しく育ち始めると、亡きお嬢さま・・先妻さまへの嫉妬心がまた蘇っちゃって今度は姉に向かってしまったんです。このとき母はもう心をずいぶん病んでたと思いまふ・・ひっく」
「お母上さまも懺悔なさっていれば、違った未来も有ったかも知れません」
「できない事情があったんです・・ひっく」
「そこまではお聞き致しますまい。神さま限がご存知の方が良い事もあります」
「でも、私は母の告白を聞いちゃったんです」
「では、それをあなたの十字架として生涯秘めて生きなさい。おなたの姉上さまも薄々それを知りながら、あなたを妹と呼んで御在でしたでしょう」
「え?」
「あ、遠回しすぎるなーとは思ってましたが、やっぱり伝わってませんでしたか。実の弟の実の姉だから貴女は妹だーみたいな事、言ってませんでした?」
「あ、その・・私あんまり頭よくなくって、むしろおばかな側なので・・」
「まぁ、おなたの姉上さまも『いちおう許してあげるわよっ。渋々ですからねっ』みたいなニュアンスでしたかね」
司祭さ・・いや『オラショ伯父さん』声色まで使いだす。
「ぜんぜん伝わってませんでした。私も母に便乗して散々毒づいて『あんたなんか死んじゃえ! 私が伯爵令嬢よ!』なんて言ってたんだもん」
「あなたは未だ少女なんです。大人みたいに分別きかなくても誰も責めません」
本当は十二歳過ぎたら法的処罰の対象だが。
「あ・・年齢で不倫の子だってバレちゃいますね」
「大丈夫。ぎりぎり不倫になりません。私生児にも当たらないとする判例も厳然と有ります。でも世間体かなり悪いですから、外の人には『後妻の連れ子で養女』で通しなさい。昔お父上から懺悔を受けたときに、お教えしたとおりです」
あんたが黒幕かよ・・
続きは明晩UPします。




