32.馬泥棒も憂鬱だった
逶迤として蛇行するモーザ川を見下ろす丘陵上のランベール城。
亡き城主の部屋で思案するグァルディアーノ師は名の有る図書館長を長年勤めた碩学であったが、古文書を研究するうち古代の遺宝に憑かれて、若い冒険者達との交友を深めた。
深め過ぎて教会組織と溝が深まったと云う可きか序列階梯から見事食み出したと云う可きか、自由な人物である。
「筆跡よりつらつら我惟うに、此れは暗号や符牒の類ひと謂うより、単なる備忘の走り書きではあるまいか」
「でも、謎めいて居ますよね。『獅子の角』って、獅子にはツノは有りません」
「うむ・・無いのう」
「『獅子の心臓』なら有りますよね」
「一頭に一個は有るな」
「nuが多いです」
「ぬぅ・・まぁ翼を持てる獅子もある。角くらい有っても良くないかのぉ」
「それでは、蛇に足が有っても宜しう御座いますか?」
鼻眼鏡の青年の名はマリュス・グナーデンブリュッケ。若くして某市の名誉ある書記と成る直前に、グァルディアーノ師と似たような理由で遊侠の徒へと堕した。『遊び人』と云う職種の冒険者である。
「そうやって細かい事に煩いから女人と長続きせんのじゃ」
「師だって女性と交遊無いでしょうに」
「わし、修道僧じゃもの」
これは知らない人も多いのだが、修道会員になっていても独身を貫くとかの三戒誓願を立てて居ない人は結構いる。信仰に生きる修道僧の生活をバックアップする商人や職人たちとかで、修道会の賛助会員とでも思えば良い。
女と交わらぬという教義を全世界に拡めようとした某教団と「そんなの、人類が亡んじゃうでしょ」と舌戦が繰り広げられたのは大昔の長閑な時代である。
貞潔の誓願を立てている会士でも、完全に合唱隊員で神学など学んだことのない者も居る。反対に司教とか司祭とか叙階されていても誓願を立てない在俗聖職者は数の上で多かったりもする。グレーゾーンにも可成りの濃淡が在った。
そんな中、グァルディアーノ師は小坊主時代から修道院で育った学僧で女色にも男色にも靡かぬ学究。まことの賢者であった。
師の敬愛する兄弟子の衣鉢を継ぐ者にまた面白い学僧がいて、彼言うに「色欲が無いのは逆に変質者の一種に過ぎませぬ。湧き上がる邪心を理性で抑制する事こそ真の信仰なのでおじゃりまする」なのだ左様だが、そう言う意味では、師は立派な変質者であった。
◇ ◇
ノビボスコの町に近づくレッド一行。
町の名物ノビエラ塔が見えて来る。
否、名物と言っても芸の無い煙突紛いの塔なのだが、それしか目立つものの無い町なのである。飽くまでも外見上の話であるが。
「知ってる町なの?」
「まぁな・・」
随分と前の事になる。一番困っていた時に力になって呉れた人のいる町だ。だが顔を出し難い。
「・・・(夜中にでも、こっそり訪ねるか・・)」
一行、馬廻衆や小姓を引き連れて、ちょっとしたお旗本の行列の態であるが当のレッド、鍔広帽子目深に被って人目を忍んでいる。
「なによ! 堂々としてれば? 故郷に錦飾ってんのと違うの?」
「故郷じゃないし・・偽錦だし・・」
レッド、歯切れが悪い。
「故郷っても兄さんが石もて追われた故郷なんだろ。なぁに・・十年も経ってりゃ無からん無からん故人無からんよ」
護衛に扮したブリン、一杯飲みたそうな顔。
「だ〜から故郷じゃあ無いってば。遠からん所に在る城が昔日所属してた騎士団の本部だったから、是の町にも多少土地勘有る程度の縁故だから」
「昔とだいぶ変わっていて、お寂しいのじゃ有りませんの?」とレベッカまで。
「寸毫も寂寥しくない」
「ん? 何か騒動?」
ぱっとしない従者風の服装の男が、身柄を自警団に引き渡されている。
こういう時はブリンが素早い。早くも那の巨体でちょろっと野次馬の人混みへと紛れ込み、聞き漁っている。
「馬泥棒が捕まったらしいぜ」
この世界、刑罰としての懲役というものが無い。旧帝国時代には有ったが、廃れ果てて終った。
そんなものの為に収容施設や看守といった社会資源を配分するのは無駄だということで、犯罪者はさっさと死刑なのである。
むろん、微罪には公開尻叩きとか丸坊主とか、恥をかかせる系の処罰や罰金刑も有る。然し盗みは不名誉犯罪の典型で、罰が重い。被害額が少なければ手首切断で命だけは助かるというレベルの罪である。
ちなみに馬は最低級の駄馬でも其処々々高価なので、馬泥は死刑確定の犯罪。
面白い事に、脅し取るより狐鼠り盗む方が卑劣度が高いと考えられていて、より刑が重い。即ち強盗は斬首刑なので刑の執行が終われば死を以て贖罪済みである。埋葬が許される。ところが夜陰に乗じた窃盗はより不名誉で絞首刑なため、死後も赦されず遺体が晒される。
「宿の店員みたいな扮装して『お客様。御乗馬を厩舎にお回しします』とか言って預かって、どっか持ってっちゃう詐欺らしいぜ。ありゃ常習犯だな」
「わー、狡こい!」
お小姓に扮したアリシア、最早や言葉遣いにすら貴族家令嬢の片鱗も無い。
「白昼堂々ですが、詐取ですわね。どういう量刑になるのでしょう? 重いのでは無いでしょうか」
レベッカ、あまり憐憫の情を感じさせない口調。彼女、金銭絡むと厳しい人だ。
フィン少年、横目で見ている。関わりになりたく無いと顔に書いてある。正しい態度である。
「あれ?」と。レッド。
捕縛された男の顔に見覚えが有ったのだ。
悉皆り尾羽打ち枯らしているが、騎士団時代に見た顔だった。
「ありゃありゃ、なんて名前だったかな。町の代官に出世したヨーゼフが居たかと思えば、こっちは縛り首一歩手前か」
・・あれから十年だ。皆に色々な人生が有っただろう。
「叫喚告知で犯行現場を目撃した証人の数が定足数を割ってるもんで、縛引くのは告発者ご本人でお願いします。我ら自警団が補助しますんで」
「有司の皆さんのお手を煩わせないで、一層のこと私が決闘ってことで、あっさり始末しちゃいやしょうか?」
被害者と思しき馬主の小男、にやにや笑いつつ言う。
見ると、レッドがカーラン卿に貰った馬も裕福な騎士の乗用馬として違和感ない代物だが、あちらの方が更に高そうだ。質が良いが地味な服装から察するに、大物貴族の側近という所だろうか。
「いやいや! 我らも区民の皆さんからお給金を頂いてますから、公共サービスの仕事きっちり勤めされて頂きます」と、自警団のチームリーダーっぽい男。
「お待ちあれ」
「あ! 顧問官どの」
「一杯飲りに来たら此の騒ぎ。斯ういう時は真っ先に、被告発者に己が身分を自己申告させると宜しいのですぞ。隊長殿は基本姿勢として、被告発者を都市自由人の身分として扱っておられる。それはそれで信念としては正しいが、仕事を合理的に熟すには、本人が身分を立証できるまでは法的無権利者として扱う方が手間が省け申す。仕事改革ですぞ」
「さすがは顧問官!」
誰かと思ったら、メーザー師だった。
「法的保護が無い者の処遇なら、法廷は関与致さぬ。国王罰令権の制約が無いので違法行為の告発があれば市政参事おひとりの裁可で処刑でき申すが、市当局として一番楽なのは被害者たる騎士殿のお手討ちで御座りますな」
「私は構いやせんよ。人殺しゃ好きじゃないが、苦でも無いんで」
小男の騎士不相変にやにや笑っている。
「冷たくばっさり裁かれますなぁ」と、レッド。
「おお、レッドバート殿。此方にお越しでしたか。なぁに、是れは裁きはに非ず。包み隠さず氏素性を告白せよと心を攻めてをる丈ですよ」
「此の男、ノルデンフォルトの騎士団に居た金拍車です。間違いなく昔日見掛けた顔です」
「拙僧が言うのも可笑しいが、昔は昔で御座りまするぞ」
拙僧とか言っちゃうメーザー師、相変らず僧形だが実は実家断絶回避の為に既う還俗して騎士身分。爵位回復の運動中であるが修道士臭さが骨の髄まで染み付いている。
「レッドバート・ド・ブリース!」
馬泥棒、恨みがましい上目遣いで呟く。




