239.挨拶済んでも憂鬱だった
ヘスラーの城下町。
国内随一の大都市から日帰り圏。独立した町であるのだが『アグリッパ郊外』の雰囲気が漂う。
整然と商店も軒を並べているのは、世の中には些少でも歩くのが嫌という人々が実在する証左であろう。
無論あちらに無い種類の店もある。
「こんなところ、アグリッパにゃ無ぇだろ!」
給仕が美少年ばかりの酒場である。
「残念ながら、お持ち帰りは御法度だけどよ」
グランボスコ司教区のナルセス司祭、こんな所が有ると知りせば我が身を滅ぼす馬鹿な事などやらざらましを。
「驚いたっ。こんな場所が日帰りエリアに有ったなんて」とアナ驚愕。
「ばぁか。開店は夕方だ。日帰りゃ無理だよ」
グリゴリー意味ありげに笑う。
「それよりよぉ、給仕の坊や達のお前ぇさんを見る目、気付いてるか?
『お客さん、持ち込みは禁止です』って言ってるぜ」
「ん?」
アナ、旅姿は道中安全のため男装する。
だが今回は、以前より格段に巧妙い変装になっている。
「商売敵と思われてんだよ」
「んふっ、んふふふっ」
アナ、笑いが込み上げてくる。
「わたし、それなりにハンサムですか?」
「へっへへ。結構いいセン行ってるぜ。それが証拠に・・ほら来た」
給仕の、ちょっと年嵩なのが寄って来る。
「お客さん困ります。ここは楽しくお喋りする品のいい店なんでね。『自由恋愛』為に来る人にはお引き取り願ってるんですよ」
「んふふふっ。僕はちゃんと男の子に見えてたかい?」
「え・・あんた女か!」
「ええ、そうよ。しかも聞き込み中の探偵なの。ちょっと前にお店の品格を下げた或る迷惑客の話を聞きに来たの」
「いや、誰の事かな。・・恍けてんじゃなくて、割と頻繁に居るんで」
「警察沙汰になった貴族のぼんぼんの話」
「それなら監軍局のゼルガー警部が詳しいぜ。偉い方なのに人当たりが良いんだ。乾分ども引き連れてお礼参りに来たぼんぼん追い払ってくれた恩人だ」
「コネあるわけ?」
「いや、町の外から来るトラブルを潰してくれる人だ。商工会みんな感謝してる」
「街の世話役みたいなもん?」
「警官が見回りに来たとき取次ぎを頼んでやるよ。探偵屋さんって言ったら割りとホイホイ会ってくれるぜ。情報屋に勧誘されるかも知らんけど」
パシュコーの一族トラブルメーカらしく、入れ食いの態で情報が入る。
◇ ◇
アグリッパ、侯爵の寝室。
夫人は、疲れたのか早くに休んだ。否明日からの夫人だが。
侯、寝顔を凝と視ている。
髪に徐と触れる。
ふと窓の外を見ると、月光に照らされた向かいの建物の破風の上に人影が有る。
ガーゴイルの彫像を見紛うたかと思ったが、静かに此方へと一礼するのを見ては現実と思い知る。
往時は戦場を疾駆した古豪である。この程度で肝を冷やしたりしないが、人影が鴉のように羽搏いて飛来したので、冷えた。
鴉のように羽搏いたと見えたのは錯覚で、修道士の黒いマンテルが風に靡いたのだったが、窓が無音で開いて室内に降り立った人物の左手には、黒く染めた麻縄の束が有った。
「失敬致した。攻城に用ゐる術である」
「貴公、その術でビーチェの許に通ったであろ」
「御慧眼感服仕る」
「義娘になる筈の女じゃったのに・・歳下の義父殿よ」
侯、丁重に拝する。
「我が娘をお愛しみ賜り、衷心より感謝致す」
修道士姿の男、深々と礼を返す。
そして娘の寝顔をひとめ見る。
「明日また改めて」
逡巡り、窓から宵闇の中に消える。
侯、呟く。
「窓・・閉めてけよ」
◇ ◇
ヘスラー城下。
警官の詰所に来ている二人。
案内してくれた警官も感じが良かったが、他の人もいい。
捨てた故郷の糞官憲と比べてしまうアナ。
偉そうにしないと権威が保てない、世が乱れると真顔で言うが、威張りたいだけ野郎なのは見え見えだった。
権威が無いのは『金で転ぶ奴だ』と知れ渡ってるからなのに。
「あそこの男爵さん、一騎当千の武者ぶりで郷土の誇りだったんだがなぁ。俺らが子供だった頃は、さ」
なんだか懐かしんで悲しげなゼルガー警部。
「馬上の美丈夫って有名だったんだ。男の子なら武勇に憧れ、女の子は美貌に・・顔の良さだきゃ孫の代まで遺伝してたが、腕はからきしに劣化してたよ。年月って酷いもんだ」
「孫の代には二人とも、男が好きで家系が絶えたとか、悲惨ですね」
「子供二人作ったパトリス・パシュコーは未だマシだった。顔は良かったが短足で乗馬が出来ず、貴族らしからぬ利殖の道に走ったが」
「お金は有ったんですね」
「愛想尽かした女房に慰謝料ごっそり取られたが、まだ余裕だった筈だ」
「じゃあ、豪華な鎧の代金が払えなかったって話は?」
「三行半突きつけて出てった母親が住むアグリッパの町まで小遣い強乞りに行って叩き出され、当てにして既う注文しちゃってた上等の魚鱗甲の金が払えなかった」
「無計画な野郎だぜ」
もっと無計画そうな男グレッグに言われる。
「アグリッパで出入り禁止になった本当の理由は鎧の代金不払いじゃなくて、実は母親からの嘆願だそうだ」
「タカリ追っ払ったんかい」
「そんな経緯も有って、この町からもお引き取り願ったのさ」
「それで結局この世からも、お引き取り願われちゃった訳ですね」
「え?」
「死んだそうです。一家全員」
「何があったんだ」
「それも、これから現地入りして調べて来ます。男爵家もお取り潰しだそうです」
「そうか・・ナマンダ・ブー」
「なんです、それ?」
「東方の三博士が伝えたお悔やみの呪言だそうだ。旅の騎士から教わった」
「へー」
「で、あんたら何を調べに行くんだ?」
「男爵家が家系絶えたけど、御落胤だって騒いでる娘がいるんで、裁判所の依頼で事実関係の下調べに行くんです」
「ふーん、二代目は顔が良いのに短足で、見た目のバランスが変だった。その娘も美人なのに何処か変なんだろうか?」
「いや、御面相は『中の下下』だと聞きました」
「じゃあ母親が『下の中』くらいだったのか。それが名の通った美男豪傑の子供を産むって計算が道理に合わんな。まぁ世の中、道理に合わん物事の方が多いけど」
「男女の仲は曰く不可解ですもんね」
「あの辺の婚礼は普通どこの教会でやるんですか?」
「それは地元で聞いてもらうのが良い。昔は聖コレーナ・ダストラ堂の主任司祭が一手に管掌してた筈だ。今はたぶん、聖職者の常駐してない村のお堂を地区担当の司祭がぐるぐる回ってると思うな」
「聖職者が常駐してない?」
「ああ、田舎の方だと土地ばかりだだっ広くて人が少ないから、在家の堂守さんが近所に住んでるだけの無人のお堂が結構あって、得度した聖職者は典礼の日にしか来てなかったりするんだ」
「それじゃ、婚礼の祝福とか赤ちゃんの洗礼とか、そういった記録が有るとすればコレーナ聖堂?」
「まぁ、村のお堂よりかは、そっちだろうな」
「明日早々に行ってみましょ」
このあと警部にヘスラーで情報屋にならんかと、めちゃくちゃ誘われた。
◇ ◇
アグリッパとヘスラーを隔てるモーザ川の流れ。
流木の上に、ちょんと人影。
町の北門付近で岸辺に飛び移ったのはお小姓クレアであった。
聳える城壁に取り付いたかと思うと直ぐメルロン狭間の奥へと消えた。
後に残るは月ばかり。
◇ ◇
アグリッパ下町、『川端』亭。
未だ夜更かし連中で賑わっている。
例によって不良老人が酩酊。
「その件だがな、マックス・・」
小柄な老人、左右を見て小声で・・
「・・そのパックスカー男爵とか云う奴、東方騎士団と武力衝突して、一族郎党が残らず北海の魚の餌になったんだと」
「げ」
「で、上の方で手打ちんなって、騎士団は大人しく河東に帰る代わりに領主更迭と決まったんだと。これ、極秘だからな」
「・・そうか。蕎麦喰ったのか」
続きは明晩UPします。




